あなたが私にくれたもの
あの日生まれた恋心、pengyです。
6月を持って1年強お世話になった赤坂の会社に別れを告げ、以前所属していた会社に復帰しました。平たく言うと出戻りです。戻ってきた私に対してみなさん優しく接してくれて非常にありがたい事です。いない間に増えた人たちと早く仲良くしないとなぁ。
自分からわがままを言って前の会社を辞めたものの、やはり人との別れは寂しいものですね。前の会社の人とはそれほど深く接してはいなかったのですが、送別会の後家に帰ってみると何だか儚い感情を抱きました。もうあの場所に行かないのかー。ってね。まあスリッパ置き忘れてきたんだけど。ごめんなさい。
さて、明日も放置プレイされにいくか。
ゲームプランナーの回顧録7
○上司倒れる
チームが暗中模索の中彷徨っていたある日、上司が体調不良で休む日があった。当初は一時的な体調不良と思っていたが、徐々に休みの日数が増えていき、ついには会社に来れなくなってしまった。会社に来た時に状況を聞くと、頭痛や吐き気がする(というか何も出なくても吐いてしまう)といった症状が続いているようだった。平たく言うと「うつ」にかかってしまったのだ。
当然だがこの状況はチームのメンバーや上層部にかなり不安を招く事態となった。そもそも今まで多業務をこなしてきた人が倒れてしまう事態はかなり異常な状態だった。対策として、あらたなディレクターを投入しチームを立て直す事となった。新しいディレクターが来るまで3週間頑張ってくれとの達しが出た。
この時私も上司と同じような状況であった。しかし先に上司が倒れたことによって、逆に倒れられないと思えたし、何より上司の分も仕事をしなくてはならなかった。この頃の精神状態はかなり極まっていた。毎日通勤するたびに車に轢かれないか(死なない程度に)と考えながら歩いていた。
人ってほんの些細なきっかけで壊れてしまうのだと思った。上司はもともと倒れるようなタイプでは無いと思っていたし、本人もそう言っていたと思う。今までそれくらいの修羅場を潜ってきた人だからだ。でも倒れてしまった。「うつ」は誰でもなる可能性があるというのを本当に実感にしたのはこの時が初めてだ。
初めはただの風邪だったのかもしれない。ただそれから立ち直るほどの精神力はもう無かったのだろう。そうなってしまったら終わり。病気まで一直線だ。どうして気づいてあげられなかったのだろう。人が簡単に倒れてしまう事を改めて知る事となった。そして人を良く観察しなければならない事を学んだ。
どたばた
前の更新から一ヶ月経ちました。すいません……。
最近仕事もプライベートもどたばたしていて気がつけいたらこんなことに(いいわけ)
またがんばります。
ゲームプランナーの回顧録6
○チーム崩壊の危機
増員から2ヶ月ほど経った頃、上層部からお叱りを受けることになった。クオリティが保てなくなってきたため、クライアントからお怒りを受けたのであろう。上の人たちもそれによってこのプロジェクトの問題性に気づくことなった。
上の人が入って最初にしたことはこのゲームのテーマを決めることだった。購買層が好きな要素は何か、デザインの見本は何か。オフィスにゲームの世界地図を張り、他の作品からイメージに近い画像を各地方ごとに貼り付けていった。これは非常に分かりやすかった。
デザイナーの作業基準はこれによって相当よくなった。また、インターフェースデザインなどの少しセンスの必要な作業には他チームから協力してもらい、それによってグンと見た目は良くなった。
企画に関してはずっと揉めていたが、とりあえず上の人に現状の場を収めてもらい事なきを得た。だが根本的な解決には至らなかった。私自身の統率力も足りなかったし、この頃になってもまだ何も状況を変える手段をつかめていなかった。
そうこうしているうちに上司がとうとう倒れてしまったのだった……。
ゲームプランナーの回顧録5
○作業が進まないのは誰のせい?
この原因は二つあり、一つはチームが集まった段階でゲームのコンセプトについて話し合わなかったこと。もう一つは私と上司の作業が不透明だったことに起因していた。クライアントと折衝をするのはほぼ私と上司の二人だったが、その際の内容をうまくチームのメンバーに伝えることが出来なかった。
今思えばたくさん方法はあったし、実際にメンバーから要求もあったにも関わらず、私はそれを実現することが出来なかった。それくらい仕事が溢れていたのもあるし、自分の失態を無意識に隠そうとしていたんだろう。こうして悪循環が生まれていった。このころから毎日メンバーから怒鳴られギスギスした空気が流れ始めていた。