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ペン君流ことわさ日記。 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008/03/02(日)

増田明かしがしたくなる

 増田で書いた記事をばらしたくなる。

そんな衝動に駆られたことはないだろか?「匿名として書いたのだけど実はそれ私が書きました。」みたいなことを一度でイイから書いてみたい。そんなことはないだろうか?私はある。*1批判されることを想定していたが実は意外に好評であった。好評であったが実際は不評で、「すみませんでした。」と謝罪したくなったりするわけである。増田はてなダイアリーの両方を使用している人に一度聞いてみたかったことだ。

 増田明かししたくなったことありませんか?

この記事を書いていて思うことがある。仮に増田で書いた記事をこのブログで書いたら同じ評価に至っているのだろうかということだ。おそらく答えはNOだ。同じような評価を得ているかもしれないが、全く同じということはありえないと思うのだ。それは幾らブログが記事を評価するものだと言っても、結局のところ人というものは、内在意識として人を見ているのではないか?ということだ。それは増田の記事を読むときにもそうだ。「増田だから」という視点で記事を読んでいるのではなかろうか?そういう偏見的な目でしかブログを見れないというのは実に残念である。これは私だけかもしれない。だからこそ聞いてみたいのだ。

 「ブログを見る時、記事の内容だけを評価することができますか?」と。

初めて読む人の記事ならそれは可能かもしれない。中の人の情報が一切ないし過去ログの情報もないからだ。アルファブロガーの記事を読む時にそれが本当に自分にとって素晴らしいものかどうか、と考える前提にはその中の人という情報が関与しているのではないかと思うのだ。少なからず私は、記事を読む際に中の人の情報によって影響を受けていると思う。

 記事の内容だけを正当に評価するという方法は果たしてあるのか?

JAPANEASEでNETに書き込みするやつがなんか汗に障る。

ネットのコメント欄とかでNIHONGOの書き込みを見るとなんかBLUEな気分になってしょうがない。

これは特にNIHONJINの人に多いと思うんだけど、CHANとした文章はENGLISHで書けるくせに、ネット上のやりとりになると「わざわざ」JAPANEASEを使って自分がNIHONJINであることをアピールする。なんで通常の文章で書けるようにENGLISHを使ってコメントすることに抵抗があるんでしょうか。そういうFUJIYAMA HEARTってコミュニケーションの妨げになることも多いと思うんだけどどうでしょうか。

書き込みをENGLISHで統一しろってのはAMERICANの傲慢だという意見もあるかもしれんけど、別にCHINEASEの人々やBRASILの人々、さらにはHANGEULの人たちだってネット上のコミュニケーションのなかで強引にMOTHER TONGUEを使ったりはしない。せいぜい冗談めいた表現の中で使うぐらいでしょ。なんで一部のJAPANEASEはNIHONGOでの書き込みに固執するの?自分たちが特別だとでも思ってるんじゃないの?

と日本語しかできない日本人ことペン君がおっしゃっております。

参考記事

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*1:ただしこの記事で明かしたりはしない。