Hatena::ブログ(Diary)

ペン君流ことわさ日記。 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008/03/09(日)

人は誰のために生きるのか?

私にとっては当たり前なのであるが、ひょっとするとそうではないかもしれないので書いておく。

あなたのために生きていたい。

本当か?それ本当か?

自分の人生が自分にとって意味のあるものでなければ、その人生に意味はない。それが私の自論だ。他人が私の人生に全くの意味がなかったものだったと結論付けたとする。しかしそれでも私は、自分が「自分で意味のある人生であった。」と思えるならばそれでイイと思う。他人が意味を見い出してくれなければ、自分で自分の人生に意味が見い出せないという人もいるかもしれない。確かにそうかもしれない。しかし、仮に他の方法で自分で認められるのであればそれは、決して意味のない人生ではない。人生で感じる全てのことの帰結点は「自分」という存在であると思っている。

 他の人が何て言おうがいいじゃないか。どう思われていいじゃないか。

自分で自分を認めることのできる道が存在するのであれば・・。

他人に認められるということは、自分で自分を認めるための手段であり目的ではない。

AとBを分ける自分に対する絶対的な自信と自分を晒すこと

 AクラスとBクラスに関して私の思うところをつらつらと書いてみる。

Aクラスと言われる人とBクラスと呼ばれる人の差を考えてみた。Aと呼ばれる人も完璧ではない。そこには多くの欠点もある。それはBにも言える。Bと呼ばれる人に欠けているもの。

それは自分に対する絶対手的な自信があるかないかではなかろうか?

もちろん才能の差もあるだろう。しかし、才能のあるものだけがAクラスであると言えるのか?そうではないと思う。

 Aクラスの人はAクラスの人と仕事をしたがるという。なぜか?自分に対して自信があるのである。例え、自分より優秀な人間であってもそれによって自分の価値が下がるものではないことを知っているのである。逆にBクラスは自信がないので、Aクラスの人に潰されてしまうのかと恐れてしまうのではないか?と考えるわけである。それ故に自分以上にできる人間と仕事をしたがらない。

 しかし、少し観点を変えてみる。自分に揺るぎない自信のある人間は自分のダメな個所を晒すことができるのではないか。つまり、自分のダメな個所を晒したところで自分の価値が下がるわけではないと信じているのである。自分を晒せる人間というのは強い。それは私の感覚だが。実際にそうであると思う。晒すことによって(正確には自分のダメな個所を晒して相手に何かを言われることで)潰れてしまうのがBクラスではないか。少々のことでは潰れないのがAクラスではないか。

 と、するとCクラスはどうなのだろうか?Cには大きく二種類に分けることができると思う。

  1. 自分のダメなところを隠そうとするタイプ
  2. 自分の非を自分で認めて開き直るタイプ

この二番目のタイプは実は、Aクラスに化ける可能性が一番高いと感じるのだ。

これからの時代、如何に自分を晒すことができるか?ということが焦点になってくるのだと私は思っている。自分を晒すということは当然、酷いことも言われるであろう。それに耐えうるだけの精神力。それが今後を生き抜くカギではなかろうか?


人事の採用担当に人に聞いてみたい。

「自分のダメな個所を晒せる」人間についてどう思いますか?

(ちなみに私が過去に就職活動をしていたころの話だが、欠点を素直に伝えられた場合は合格率が高かった。)

関連記事

「Aクラス理論」:Aクラスの奴はNoを言わない上に褒めるのが上手い。 - shibataismの日記