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ペン君流ことわさ日記。 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008/03/16(日)

二階から目薬してる奴に三階から目薬を落とす

 偉そうだ・・。

ちょっと考えてみる。はてブが本当に偉そうかどうかは分からないが、遠慮がちではない。だから面白いのではないか?遠慮もせず、土足で踏み込まれる感じはある。時にそれを不快に思うときもある。

で、想像してみた。はてブコメントが全部遠慮しがちで書かれていたら本当に面白いのかどうか。下から目線のものばかりのコメントが嬉しいのだろうか。全てのコメントが下から目線で書かれているものだとしたら、自分は神様になったかのような感想を抱くかもしれない。しかし、それは気持ち悪い。何故なら私は神様ではないからだ。仏様でもなければ、シナモン様でもない。ただのペン君だ。

そんなものを拝められても困り果てる。

記事の中身にしても同じだ。全てのブログの記事が下から目線で書かれていて、本当に楽しいだろうか?私はそうではないと思う。上から目線で書かれた文章をさらに上から目線で「何偉そうなこと言ってるんだ。」と感じながら読むのも一つの楽しみ方ではあるまいか?

確かに全てが上から目線ということでは困るだろうが、中には上から目線で書いてもいいと私は思う。

 上から目線だから楽しいということもあると思う。

上から目線であることは自由だ。何故なら、上から目線を上から眺めることもまた自由なのだから。

二階から目薬を落とす人に向って、三階から目薬を落とすことはできる。

助けたいと思う人しか助けない

 あなたはどんな募金活動にお金を使ったことがありますか?

今日は募金活動について考えてみた。募金と言っても多種多様なものがある。自分の僅かなお金で多くの人を救えるもの。一人の人を救うために多くのお金を集めるもの。自然を守るためのもの。それこそ多種多様だ。ここでは、特に人を救うための募金について考えてみる。

自己満足を得るために募金を行っているのではないか?

 募金活動でお金を払った後に、そのお金が実際にはどのような使われ方をしているかを確認する人間はどれくらいいるのだろうか?また、それによって本当に救われた人間がいるかを確認する人はどれくらいいるのだろうか?

 多くの人は募金活動によってお金を払う際、自己満足を得るためにお金を払っている。

実際にそのお金によって人が救われたかではなく、その行為を行ったという自分の満足が欲しいのではないか?「人助けをしてやった」という満足感を得るためにお金を払ってはいまいか。私はそれが悪いと言っているわけではない。気持ちはどうであれ、お金は集まる。

自己満足を売る商売として考えれば別にそれほど問題があるわけでもない。

ところで、そこで考えたいのは、お金を払う募金活動の内容である。自己満足を得たいのであれば、その内容に関して特に理論的な結果を欲するわけではない。払ったお金で何人助かろうがそれは問題の定義外になり得る。つまり、何人助かったかではなく、どれくらい満足度を得たかということによる。同じ金額で1000人助かろうが1人助かろうが問題ではないことになる。

 考えてみて欲しい。難病を患っている患者1人を助けるのに1000万円必要だったとしよう。一方で、1000人を助けるのに1万円だったとしよう。仮にお金を払う場合、あなたならどちらにお金を払うのだろうか?

 私はどちらも払わない。なぜなら、私は他に使いたいと思える人がいるからである。お金が余っているのなら好きにすればいいと思う。結局、人は自分のお金で救いたいと思う事にしかお金を払わない。全てを救うことはできない。そのボランティアに正義を振りかざすのは、私は少し気が引ける。


自己満足のためだけに募金してませんか?

コメントに返信

 id:nakunayoさんへ

>以前に電車内でレイプ事件がありましたが、貴方は言い訳ならべてやっぱり助けない派ですよね?

その通りです。

状況としては私のすぐ隣に痴漢にあってるいる友人がいたいう条件を加えてみてください。それでもあなたはレイプの事件に飛んでいきますか?私は友人を助けます。

>貴方のように言い訳ならべて払わないことを正しいとする意見があるかぎり、全ての人が救われることはないですねぇ。 払っても助からないかもしれないですけどね。

払ったことにより潰される可能性のある別の人のことを考えてみたことがありますか?助ける人がいればそれにより潰されてしまう人がいると私は思っています。ボランティア活動そのものが善だということは考えておりません。それでも誰か助けようとする人もいます。その助けるという行為が同時に誰かを潰してしまうのであれば、その助けるという行為は自己満足の為の行為だと思います。それが悪いという気はありません。結局、人は自分のためにしか生きられないというのが私の考えです。どれだけ相手を思おうが答えは自分に返ってくると思っています。その上で、私は別の人を助ける為にお金を払います。

 ボランティアとしてお金を払おうが友人に払おうがどちらに正義があるわけでもなく、それは結局自分の自己満足の為でしかないというのが私の考えです。

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