阿呆と賢人:「この島にかつて賢人はいましたか?」

ある孤島にn人(n≧2)がいて、阿呆か賢人のどちらかだとします。

また
 a. 阿呆はいつも、自分以外の実際に会った人を阿呆だと思っている
 b. 賢人は実際に会えば、他の人が賢人か阿呆かを正確に判断できる
 c. 賢人も阿呆も、自分自身については賢人か阿呆かを判断できない
とします。

さて今、その島に1人だけ賢人がいるとわかっており、
あなたは電話で(つまり実際に会うことはできない)、
島のどの人とも好きなだけ話をしたり、指示できる
(たとえば全村民を集めてアンケートを実施し報告させる等)
とします。また村民は全員、正直に受け答えをするものします。

そのとき、その島のn人から賢人を識別する方法はあるのでしょうか?

http://q.hatena.ne.jp/1219585618

という問題が人力検索にあったので少し考えてみた。

私の思いついた解答を一つ

私の思いついた方法

「この島で一番年老いた人が生まれるより以前にこの島に賢人はいましたか?」というアンケートを島の全員にアンケートをとる。

予期されるアンケートの内容

阿呆の場合
「知りません。」「いました。」「いません。」
賢人の場合
「実際に会っていないので分かりません。」
「いたかもしれません。」

解説

仮にこの島にかつて「賢人」と呼ばれる人がいたとした場合、おそらく阿呆が答えるのが「いました。」という回答であると私は考えた。いなかった場合はその逆である。つまり、呼ばれる人物がいなかった場合は「いません。」という回答ではなかろうか?ちなみに、呼ばれる人物がいたかどうかの知識すら持ってない阿呆は「知りません。」となる。
逆に賢人の場合、言いかえれば「実際に会ってみるまで判断できない。」と考えるのではないだろうか?

私の回答までの考察の経緯

まず、私が考えた事は「会うことができない」人物を阿呆と賢人はどのように考えるのだろうか?ということを考えた。何の情報も持たない場合の両者であった場合は「会ってみないと分かりません。」という返答が来るであろう。
では、仮に既に「賢人」と呼ばれている人物がいた場合はどうであろうか?*1阿呆である場合、既に賢人と呼ばれている人物を「阿呆」と判断するであろうか?実際に会ったとしたら「阿呆」と判断するかもしれない。しかし、相手は決して会うことができない人物。おそらく、阿呆はその人物を「賢人」だと判断する。そう私は考えた。賢人である場合は「判断できない。」となるのではなかろうか。


ここで私はこの問題における阿呆と賢人を拡張させて以下の様に再定義する。

賢人 実際に会ってみることで判断することはできるが、会ってみるまでは決して判断をしない人物。
阿呆 実際に会ってみるとすべての人を阿呆と判断する。ただし、「賢人」と呼ばれる人物がいて、かつ、会うことができない場合「賢人」だと判断する人物。

その定義の基に導かれたのが上の解答である。


※勝手に再定義を行っている時点である意味ルール違反なのだが。

現実世界においてこの定義を考えてみる。

上で再定義した阿呆と賢人を現実の世界と照らし合わせてみる。その前に阿呆と賢人の定義を物も含めてさらに再定義してみる。

賢人 自分の目で確かめるまでモノや人物の価値判断を行わず、実際に触れることで正確に判断を行うことができる人物。
阿呆 自分の目で確かめるとケチしかつけず、実際に触れるまえから世間の評判によって価値判断をしてしまう人物


なるほど、世の中には阿呆で溢れているではないか。例えばこんな人だ。
例:映画を見る前から評判だけであの映画は素晴らしいと判断して映画を観にいって、実際に観るとダメだしばかりしているヒト。


これは、別に映画に限ったことではない。しかし、こんな人物は世の中には腐るほどいる。「賢人なら実際に観るまで判断しない。」となるわけだ。
こんな例はどうだろうか?
例:ブログのエントリを見る前にはてブの評判だけで記事の価値を判断して、実際に読んだ後はダメだしばかりしている人物。

あ、いそう・・。

最後に

私はこの定義の全てが正しいとは思わない。よって、上の例で挙げた人物が阿呆か賢人かどうかは分からない。
しかし、実際に価値を判断するのは自分自身の目で確かめてからでも遅くはないと思う。評判の良し悪しと自分にとっての価値はまた別問題であろう。


と、ここまでの文章を実際に読んでこれを「駄文」だと判断した人は、賢人です。

*1:ここからは私の推測である。私の推測でしかなくなってしまうのは、問題文の阿呆と賢人の定義が曖昧であるからである。