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ペン君流ことわさ日記。 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008/09/25(木)

私はどうやっても死ねないかもしれない問題

 殺人や自殺など様々な人の死に関する事件が報道されてます。

私自身も時折、「死」について考えることがあるのですが、そのことについて書いてみます。

結論:私は死ねません。

 結論から言えば「私は死ねません。」少し正確に言えば、

「私が死ねるかどうかは、私には分かりません。」

私もこの歳になると他人の死に触れることもあります。おそらくですが、私もいつか死ぬでしょう。上で言っていることと矛盾している様に聞こえるかもしれませんが、「私も死ぬ」というのは推測でしかありません。他人の死を知っているので、それから推測しているに過ぎません。

「実際に死ねば分かる」等と言う疑問をお持ちの方もいるでしょう。いえ、仮に私が死んだとしても私には分かりません。死ねば私という存在はなくなります。故に死んでしまえば、私には分からないのです。私が死ぬことが分かるのは私以外の人間です。私自身にとって、私が死ぬということを立証する手段がない。私が何も特別な人間でなくても、私には自分の死が分かりません。

私が特別な存在だった場合を考えてみる

 上の話は、仮に私が死ねる人間だったとした場合です。それでも、私という意識が存在する限り私は死にません。さらに、この延長線上に本当に私以外の意識は存在するかという問題があります。ここら辺はマトリックスをイメージすれば分かりやすいかもしれません。つまり、「私が現在見ている世界は私だけにしか見えない世界かもしれない。」という問題です。要は私という意識の中に、全くの外部から自分だけにある種の情報を送りこんでいる世界を想像してみてください。これは、仮にその外部というものを私が証明できる可能性はあります。しかし、今のところありません。というよりそんな外部世界が存在しているかどうかも分かりません。あるかもしれないし、ないかもしれない。私には分かりません。この場合は本当に死なない人間かもしれない。

 ここで少し例を出します。PC上に意識を持った人口知能プログラムがあったとします。この人口知能は自分を一人の人間だと思い込んでおり、私と同レベルの思考回路を持って動きます。このプログラムに外部より様々な情報を与えているとしてください。そしてこの与えられた情報がもし今、私が見えている情報と同じものだったとした場合をさらに考えみてください。

私が何を言いたいかというと、「私自身が人口知能だったとしても私には分からない。」ということです。

おそらく、このプログラムは外部より与えられた情報を基に自分も死ぬだろうと推測することでしょう。それが今の私の意識である可能性を私は否定できません。何より立証できません。

 逆に言えば、私は突然死ぬかも知れない問題になります。今度は、上の例のPCの電源を外部から誰かが「ぷちっ」っと切ってみた場合を考えてください。仮に私が人口知能だった場合、その場で人生終了です。考える余裕もなく突然の無に返ります。この可能性も私は否定できません。ただ、今のところそういうことはありませんが。


自分自身の死を知るために、死後の世界が存在すると仮定する。

自分自身が死んだことを感じることができるとすれば、それは死後の世界が存在しているということでもある。そこで、「生きているということ」=「自分という意識が存在している」「死ぬこと=私の意識が完全に消滅すること」と定義してみる。すると、死後の世界に意識があるとするならば「形は違えど生きている。」ことになってしまう。ここで矛盾が生じる。やはり、私の意識が消えることを私は知ることができない。


まとめ

  1. 私にとって私は自分の死を知ることができない。
  2. 私だけが特別に意識を持った存在である可能性を否定できない。
  3. 私はひょっとすると死なないかもしれない。

私が本当に死ねるかどうか、私には分からない。さて貴殿は「自分が死ぬ」と言いきれますか?

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