IDEOの人材募集要項を読んで思ったこと(その3)

前回前々回につづき、IDEOの人材募集要項を読んで思ったこと。


Business Development Lead, IDEO CoLab | ideo.com


同僚がかつて働いていたIdeoのネットワーク型R&D*機関、CoLab。


なぜR&Dが*つきかというと、"Research & Development"ではなく、"Research & Design"の略だから。

Research & Design
We bring together like-minded organizations to understand and shape how emerging technologies will affect our world.

like-minded organizationsたる"メンバー"は、例えばFidelity、Nasdaq、Citi Ventures、Fordといった大企業たち。


そこがビジネス・ディベロップメント・リードを募集している。わくわく。


今回気になったのは、「あなたがやる3つのこと」という項目の3つめ。

Offer Evolution

進化をつくり出せ。みたいなことだろうか。
そもそも、evolutionってofferするものなのだろうか。


Offer Evolution!


汝、進化を供せよ!


すごいな。王様かと。


内容はこんな感じ。

Keep abreast of the market landscape to continuously push our positioning so that we position ourselves to win where we should. Identify and define value that’s already being created, evolve our current revenue model(s), and continuously experiment with ways to create new value and generate revenue.

市場環境を見定め、自社の立ち位置を見極め、新たな価値をつくり出すようなチャレンジを繰り出し、儲かり続ける仕組みをデザインしろ、と。


そう言われると当たり前な気もするけど、お前の仕事は"Offer Evolution"だって言われたらちょっと萌えるよね。


IDEOは、Job Discriotionづくりにコピーライターが関わっている、ような気がする。

無理に売るな。客の好むものも売るな。客の為になるものを売れ。

Panasonicの方とお話していて「無理に売るな。客の好むものも売るな。客の為になるものを売れ。」という松下幸之助の言葉を知った。


世界最強のシード・アクセラレーター、Y Combinatorが"Make Something People Want"と言い続けているけれど、通じるものがある。



「無理に売るな。客の好むものも売るな。客の為になるものを売れ。」



これは松下幸之助による「商売戦術30箇条」にある言葉で、松下電器の連盟店に向けたメッセージだった。

商売戦術30箇条
 第1条 商売は世の為人の為の奉仕にして、利益はその当然の報酬なり。
 第2条 お客様をじろじろ見るべからず。うるさくつきまとうべからず。
 第3条 店の大小よりも場所の良否、場所の良否よりも品の如何。
 第4条 棚立上手は商売下手。小さい店でゴタゴタしている方却ってよい場合あり。
 第5条 取引先は皆親類にせよ。之に同情をもって貰うか否か店の興廃の岐(わか)るるところ。
 第6条 売る前のお世辞より売った後の奉仕、これこそ永久の客を作る。
 第7条 お客様の小言は神の声と思って何事も喜んで受け入れよ。
 第8条 資金の少なきを憂うる勿(なか)れ。信用の足らざるを憂うべし。
 第9条 仕入は簡単にせよ。安心して出来る簡単な仕入は繁昌の因(もと)と知るべし。
 第10条 100円のお客様よりは1円のお客様が店を繁昌させる基と知るべし。
 第11条 無理に売るな。客の好むものも売るな。客の為になるものを売れ。
 第12条 資金の回転を多くせよ。100円の資本も10回廻せば1000円となる。
 第13条 品物の取り換えや返品に来られた場合は、売った時よりも一層気持ちよく接せよ。
 第14条 お客の前で店員小僧をしかるくらいお客を追い払う妙手段はない。
 第15条 良き品を売ることは善なり。良き品を広告して多く売ることは更に善なり。
 第16条 自分の行う販売がなければ社会は運転しないという自信を持て。そしてそれだけに大いなる責任を感ぜよ。
 第17条 仕入先に親切にせよ。そして正当な要求は遠慮なく言え。
 第18条 紙1枚でも景品はお客を喜ばせるものだ。付けてあげるもののない時は笑顔を景品にせよ。
 第19条 店のために働くことが同時に店員のためになるよう、待遇その他、適当の方法を講ずべし。
 第20条 絶えず美しい陳列でお客の足を集めることも1案。
 第21条 紙1枚でも無駄にすることはそれだけ商品の値段を高くする。
 第22条 品切は店の不注意、お詫びして後「早速取寄せてお届けします」とお客の住所を伺うべきである。
 第23条 正札を守れ! 値引は却って気持を悪くするくらいが落ちだ。
 第24条 子供は福の神──子供連のお客、子供が使いに来ての買物には特に注意せよ。
 第25条 常に考えよ、今日の損益を。今日の損益を明らかにしないでは寝に就かぬ習慣にせよ。
 第26条 「あの店の品だから」と信用し、誇りにされるようになれ。
 第27条 御用聞きは何か1〜2の品物なり、商品の広告ビラなり持って歩け。
 第28条 店先を賑やかにせよ、元気よく立ち働け、活気ある店に客集る。
 第29条 毎日の新聞の広告は一通り目を通しておけ。注文されて知らぬようでは商人の恥と知るべし。
 第30条 商人には好況不況はない、何れにしても儲けねばならぬ。

松下幸之助と社員研修の総合サイト PHPビデオアーカイブズプラス より)


この30箇条のうち、実は10個は引用元がある。
以下の10箇条だ。

 第1条 商売は世の為人の為の奉仕にして、利益はその当然の報酬なり。
 第3条 店の大小よりも場所の良否、場所の良否よりも品の如何。
 第6条 売る前のお世辞より売った後の奉仕、これこそ永久の客を作る。
 第8条 資金の少なきを憂うる勿(なか)れ。信用の足らざるを憂うべし。
 第11条 無理に売るな。客の好むものも売るな。客の為になるものを売れ。
 第15条 良き品を売ることは善なり。良き品を広告して多く売ることは更に善なり。
 第18条 紙1枚でも景品はお客を喜ばせるものだ。付けてあげるもののない時は笑顔を景品にせよ。
 第23条 正札を守れ! 値引は却って気持を悪くするくらいが落ちだ。
 第25条 常に考えよ、今日の損益を。今日の損益を明らかにしないでは寝に就かぬ習慣にせよ。
 第30条 商人には好況不況はない、何れにしても儲けねばならぬ。

近江商人の商売十訓」と言うそうで、ググるとこの10箇条を書いたブログなどが出てくる。
ただ出典まで辿れなかったので、本当に近江商人の間で言われていたのかは良く分からない。
文章もまったく同じなので、何だかむしろ「商売戦術30箇条」が元になっている気すらする。


ちなみに、その1。近江商人でもっと有名な「三方よし」(「売り手よし、買い手よし、世間よし」)も、どうやら中村治兵衛という人が書き残した家訓が由来のようだけれど、「戦後の研究者が分かりやすく標語化したものであり、昭和以前に「三方よし」という用語は存在しなかった」そうだ。
近江商人 - Wikipedia より)


ちなみに、その2。この中村治兵衛という人は、現在の東洋紡の前身となった金巾製織の創業者のひとりみたい。
金巾製織 - Wikipedia より)

人魂で 行く気散じや 夏野原

天気が良くて、空気が冷たい。


家を出てすぐは寒かったが、しばらく歩くうちに気持ちがよくなってきた。

日陰は凍えるようだけど、日なたはとても心地よい。


いい日だ。



こんな日は北斎に思いを馳せてみる。

富嶽三十六景ゴッホに影響を与えたことなんかで有名な浮世絵師。

諸国滝廻りなんかもいい。木曽路ノ奥阿弥陀ケ滝は特にいい。


あとは晩年の作品が好きだ。怒涛図とか、八方睨み鳳凰図とか。

八方睨み鳳凰図なんて、88歳とか89歳の頃に描いたと言われている。

現代のアクティブ・シニアもびっくりするようなアクティブさだ。



アクティブなだけでなく、彼は死の間際まで進化し続けた。

本当に死の瞬間まで彼はもがき続けていたことを、北斎の最期の言葉がよく表している。

翁 死に臨み大息し 天我をして十年の命を長らわしめば といい 暫くして更に言いて曰く

天我をして五年の命を保たしめば 真正の画工となるを得(う)べし と言吃りて死す

五年の命を保たしめば 真正の画工と成るを得べし。


「あと5年あれば」と彼は臨終その時に言ったのだ。「真の画工になり得たのに」、と。



でも、今日みたいな日に北斎を思い出すのは、彼の辞世の句のせいかも知れない。

人魂で 行く気散じや 夏野原

気散じは、気晴らしのこと。いいよねえ。

人魂(ひとだま、火の玉。)でってのも北斎らしい。


木田金次郎の話を聞いた時にも思ったけど、こんなじいちゃんになりてえな。

そしていつもいつもいつも

世の中には素敵なことがちゃんとあるんだ。紛れもなく素敵なことがね。なのに僕らはみんな愚かにも、どんどん脇道に逸れていく。そしていつもいつもいつも、まわりで起こるすべてのものごとを僕らのくだらないちっぽけなエゴに引き寄せちまうんだ

フラニーとズーイ』J.D.サリンジャー 村上春樹 訳|新潮社


毎日を生き抜いていれば、どこかで素敵なことはふらっと現れる。
それは必ずしもドラマチックじゃなかったりするけれども、ちゃんとやって来る。


でも、つい僕らは「日々のもろもろ」に絡めとられていく。
小さなことの積み重ねの忙しさにかまけて、素敵なことの匂いなんて忘れてしまったりする。


ある日、素敵なことが静かに近くを通り過ぎる。


そのときに、耳を澄ませることが出来るか。一歩踏み出せるか。喉から声を絞り出せるか。
そのためには準備がいる。体を動かしておくべきだし、喉も潤っていた方がいい。


そういう意味で、自分が「素敵だなあ」って感じることを、たまにみんなに伝えておくことは大事なんだと思う。
そうしておくと、たまに彼らが思い出させてくれる。気づいたら脇道に逸れてしまっていた自分を呼び戻してくれる。


そんなことがあった。


大事なことを、書き記しておいて、まわりの皆に預けておく。
自分のちっぽけなエゴでそれが見えなくなった頃に、彼らがふらっとその手紙を届けてくれる。


昔どこかで、未来の自分に宛てて手紙を書いたことがあったな。
たぶん誰かが、それをあるタイミングで送り返してくれる仕組みだった。


そんなにキレイにはいかないけれど、たまに種を植えておくといい。
忘れたころに、それは芽を出すかも知れない。その芽は君を導いてくれるかもしれない。


たまにでいいけど、何かを素敵だなあと思ったら。それをまわりに伝えておこう。
意外な人が受け取ってくれることもある。思わぬ熱意が返ってくることもある。


意外な人の思わぬ熱意に、視界が開けることがある。岩盤に小さな穴が空くことがある。
伝えておこう。出来れば広く。

a boy playing on the sea-shore

"I do not know what I may appear to the world, but to myself I seem to have been only like a boy playing on the sea-shore, and diverting myself in now and then finding a smoother pebble or a prettier shell than ordinary, whilst the great ocean of truth lay all undiscovered before me."


ニュートンの言葉らしい。
彼の、無限に広がる知の海に対するワクワクと、一生かかってもそのほとんどは未知のままで終わるんだっていう哀しみが伝わってくる。


スケールがだいぶ小さいけど、昔大学の図書館で素晴らしい本と出会うたびに「ああこの建物の中にはこんな本が見渡す限りあるんだなあ」なんて思ってたな。
そういう経験を何度かした後は、図書館に行くたびに少しドキドキしていた。


それにしてもなんで多くの知の巨人たちは、こんなに素敵な言葉をも操れるんだろう。
こういうイメージが鮮明にいつも頭の中に浮かんでいて、それを素直に言葉にしただけなんだろうか。


それにしても"a boy playing on the sea-shore"って、「海辺のカフカ」を思い出すな。
この言葉から取ってたりして。

10%より10倍

ある事柄を現状より10倍良くするほうが、10%良くするよりも実は簡単なことがよくある……そう聞くと驚くかもしれないが、これは本当のことである。


何かを10%良くしようとするから、どうしても既存の手段や前提に注意が向くことになる。何かを10%良くしようとするから、多くの人々がたくさんの時間を費やして考え出した既存の解決策をベースに答えを見つけようとすることになる。


こうした課題を解決するためには、少しずつ物事を改善していくという発想を捨てる必要がある。われわれにとっての唯一の方法は、10%の発想や従来のソリューションから離れ、10倍の発想、つまり「ムーンショット」の発想を見出すことだ。


これは、Google Xの責任者Astro Tellerの言葉だ。
ちなみにAstro Tellerさんは、Google Xを"Moonshot Factory"と呼び、自分のことをその"Captain of Moonshots"と呼んでいる。
Google Glassや自動運転車などはここから生まれた。


その根幹にあったのが、このムーンショットだったわけだ。


ちなみになぜ「ムーンショット」かと言うと、かつてケネディ大統領がアポロ計画を発表したとき、月に人を送り込むなんてずっと先の話というのが常識だった。でも、ケネディ大統領がそう宣言したら、数年で実現してしまったっていうエピソードから来ているそうだ。


この前、ある人と話していたら「ウチのサービスに登録してくれる人の内、マッチングする人って15%くらいなんですね。で、みんなこれを少しでも伸ばそうと毎日がんばるわけです。少しでも多くコミュニケーションを取って、少しでも多く情報を集めて、少しでも早く作業をして… と。でも、実は「なんで15%しかマッチングしないんだろう。残りの75%はどうなってるんだ」って考えないと、大きい成長はないんですよね。そう考えると、思いもよらない効果的な打ち手にたどり着くことがあるんです」みたいなことを言っていた。


テスラ・モーターズで、イーロン・マスクのすぐ近くで働いている人に聞いたところによれば、イーロン・マスクもまさにムーンショットの発想で動く人らしい。しかも彼は「物理的な限界に基づいて考えているんじゃないかな。いつも、彼の指示を聞くと「絶対に無理だ」と思う。でも、最後までやり切ってみると、無理だったことは一度もないんです。ただの一度も。」と呟いていた。


誰かはこう言っていた。小さな事業を成功させるのも、巨大な事業を成功させるのも、実はどっちも死ぬほど大変なんだ。だったら、大きい事業に挑戦したいって思わないか?


金曜の夜のオフィスにひとりでいると、ついこういうことを考えてしまう。


さてと。もう一踏ん張り。ずっと先にある月面を目指して、今日のところは足下の課題を片付けてしまおう。

テディ・ベアとGAYTM

さすが、と唸ってしまった。


ANZマルディグラ・キャンペーン。
https://www.social.anz.com/mardigras/


ANZはオーストラリアの銀行で、マルディグラは世界最大のゲイ・パレード


まずはこの動画を見てもらえれば、だいたいのことは分かる。



2009年くらいにシドニーに住んでいたとき、このマルディグラに遭遇した。


衝撃を受けた。


その規模と、街中がお祭り騒ぎの雰囲気に圧倒された。
ヘテロもゲイもレズビアンも関係なく、老若男女関係なく、皆が楽しそうに騒いでいた。
(もちろん、眉をしかめている人もいるのだろうけれど、そんなのどんな祭りだって同じだ)


ゲイとレズビアン、と一口に言っても、かなりの多様性があることにも気づかされた。
ドラァグクイーンもいれば、ボンテージもいれば、テディ・ベア(サンタみたいに髭面で太っちょのおじさん達の総称)もいた。
そして、一緒にパレードを眺めていた友人のオシャレ・ゲイ・カップル(ブルックリンにでもいそうなタイプだ)は「イヤだわあ、テディ・ベアよ。気色悪い」みたいなことを言っていた。


ゲイやレズビアンの世界にだって、好き嫌いがあるのだ。
(改めて確認するまでもないだろう、と言われると思うけど、そういう当たり前のことが腹に落ちたのだ。)


もっと驚いたのは、銀行が、パレード車を出していること。
もちろん会社のロゴがバーンッと入っている。


それだけじゃない。
パレード車に乗っているのは、ゲイやレズビアンの行員たち。
「Hi!」とか言いながら満面の笑みで手を振っていた。


これには、唸らされた。すごい。
コンサーバティブになりやすい銀行が、ゲイ・パレードにパレード車を出す。


多様な恋愛や結婚のあり方を支援します。
多様性を受け入れます。
ゲイやレズビアンでも、気持ち良く働くことの出来る銀行です。


そんなメッセージが、費用と時間をかけてコミュニケーションすべきポジティブな響きを持つのだ。


もちろん歌舞伎町にだってゲイ・パレードはある。
でも、あくまで「一部の(変わった)人たちのためのイベント」だ。
周囲の人々は、遠巻きに静かな観衆として眺めるだけだ。
(別にそれが悪いわけじゃない。ただ単に、違う、というだけだ)


シドニーの熱狂の中で、そんなことを考えていた。


そんな国の、そんな銀行が、パレードの日にやったキャンペーン。


GAYTM. ゲイティーエム。


もう、名前からして、一本取られた感。


パレード車を出すなんて生半可なものではなく、銀行の顔たるATMをメディアにして、マルディグラをサポートするってメッセージを発信しちゃう。
ATMをレインボーにラメラメのデコデコにしてしまい、GAYTMと名付けちゃう。


それを、ゲイやレズビアンはもちろん、(いわゆる)普通の人たちも大絶賛する。
"My bank is better than yours"とか言いながらGAYTMの写真をソーシャルメディアにポストしちゃう。


でも、彼らだってはじめからそうだった訳じゃない。


1978年にゲイの権利を求める大規模なデモがシドニーで巻き起こり、ニューサウスウェールズ州では1984年に(僕が生まれた年だ。今からちょうど30年前ってことになる)同性愛が犯罪でなくなった。


今から30年前まで、シドニーでは、同性愛は犯罪だったのだ。


30年後、同性愛は、賞賛すべき多様性のシンボルとして、銀行のマーケティングの題材にまでなっているとは、46年前にシドニーでデモで町を練り歩いていた人たちは思っていなかっただろう。


そして、その取り組みが、こんなにも明るく、FUNでポップなものとして成り立っている。
そこにマルディグラの突き抜けた明るさに水を差すようなシリアスな影はない。
それはまさに、マルディグラのDNAを受け継いだようなキャンペーンだ。


マルディグラは、みんなのお祭りだ。それは底抜けに明るい。楽しい。
政治的メッセージや価値観の主張は、底の方にひっそりと存在している。
あくまで皆、単純にお祭りとしてそれに参加し、受け入れている。


そういう空気を纏った素敵なキャンペーンが、30年前の人々のシリアスなデモの子孫として、産み落とされている。
オーストラリアという国を包む、あのあっけらかんとした気楽でイージーゴーイングな性質が生んだ(そう、そしてそれは30年前は恐らくなかったものなのだ。あるいは、かなり限定されたものとして存在していた)、多様性を受容する空気。


そんなことを、ANZのキャンペーンを見つけてしまって、仕事の進まない土曜のオフィスで考えた。