ダ・ヴィンチの誕生日

今日はレオナルド・ダ・ヴィンチの誕生日。
1452年の4月15日に、フィレンツェ郊外のヴィンチ村で「愛から生まれた子」として生まれた。私生児として生まれたのだ。

イギリスに住み始めて間もなく、NATIONAL GALLERYを訪れた。
名画の数々、ファン・アイクの「アルノルフィニ夫妻の肖像」、クラナッハブリューゲルボッシュミケランジェロラファエロ・・・
これからここに度々訪れることができるかと思うと、私は悦びでいっぱいだった。
その中で、ひときわ強い印象を受けたものがあった。薄暗い小部屋の中にあるレオナルド・ダ・ヴィンチの「聖母子と聖アンナと洗礼者聖ヨハネ
http://nationalgallery.org.uk/paintings/leonardo-da-vinci-the-leonardo-cartoon
聖母の母親の聖アンナが聖母を膝にのせ、聖母の腕に抱かれた幼子キリストが身を乗り出して幼い洗礼者を祝福し、顎を撫でている姿を描いた素描(カルトン)である。
カルトンは板や壁、カンヴァスに転写されるための原寸大の素描だが、これは輪郭に穴もあけられておらず、なぞられてもいない。
レオナルドはこのカルトンに穴をあけることはできなかったのだろう。聖母マリアの表情。その微笑のすごさをどう表現したらいいだろう。私は性急にその微笑に名を与えようとした、「慈しみ」とりあえず、仮の名を与えてその場を去った。名は決して与えられないと知りながら。
それから何度そのカルトンの前に座っただろう。
見れば見るほど不思議な微笑である。限りなく優しく、美しい微笑だが、そこには、「諦め」とでもいうような心の動き、頑なさが潜んでいる。
聖アンナは聖母に言い聞かせるように微笑む。その微笑は神のもの、この世のものではない。
生身の聖母マリアはこの重みに耐えられるのか。聖アンナが励まし続けるが、聖母マリアは「しらないわ」あるいは「わかっています」とでも呟くように微笑むばかり。
幼子イエスは我知らず祝福を与える。いまにも聖母の腕からすべり抜けそうだ。同じく幼い洗礼者聖ヨハネは興味深く幼子キリストを見つめる。
このカルトンを、レオナルドは生涯持ち続けたのだろうか。「モナリザ」と共に。幼い日に生き別れた母カテリーナの肖像として。

レオナルド・ダ・ヴィンチは仕事を愛した。描くことを愛した。創ることを愛した。知ることを愛した。知ることができる、と信じていた。
処女懐胎を疑いながら、自身を神の子と信じた。

レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 上 (岩波文庫 青 550-1)

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レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 下 (岩波文庫 青 550-2)

レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 下 (岩波文庫 青 550-2)

レオナルド・ダ・ヴィンチ―芸術と科学を越境する旅人

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レオナルド・ダ・ヴィンチ (叢書・ウニベルシタス)

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レオナルド・ダ・ヴィンチ (ペンギン評伝双書)

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5世紀を経てもなお、あいも変わらず「謎」をこねくりまわす人類を天から見下ろし、わらっているかもしれない。「はたして、ひねりが利きすぎたか?」