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二面楚歌 断章

2011-05-22

AKB48 3チーム制を送る(再掲)

検索で引っかかるようなので、2009年10月末の記事をコラムとしてこちらで再掲。
新3チーム制すら有名無実化してしまった今読むと、あれがAKB48そのものが、かの「ヴァルドマアル氏」になってしまった瞬間だったように思う。


先日行われたチーム対抗運動会は、現3チーム制の終焉を彩る葬送イベントだったように思われてならない。

AKB48の歴史は、好きだった何かが終わり、新しい何かが始まる事の繰り返しであった。

それは「あなたとクリスマスイブ」の早すぎるお蔵入りに始まり、第一次ユニット改変、「会いたかった」公演に於けるユニットコーナーの金太郎飴化と続き、デフスターとの契約終了による過去楽曲お蔵入り、研究生大粛清etc...

デフスター時代が「過去」だとすると、それ以前は「大過去」となった。
戸島や中西やコマタニが辞めたのが「さきの大戦」だとすると、星野が辞めたのがノモンハン事件、折井が辞めたのが上海事変、宇佐美が辞めたのなんざ尼港事件みたいなもので、当時の衝撃たるやかなりの物であったが、もはや当時を知る人の方が少ない。

「歴史に真実は無い、あるのは解釈だけだ」とニーチェは書いている。
メンバーがAKB48劇場から去っていく場合、(突発的な何かが無ければ)「卒業」の美名で彩られて、形だけでも祝福されて来たが、辞めるに到った理由はひとそれぞれであり、それがどこまで当人の意思であったかは窺い知れない。

棺蓋って評価定まると言うが、辞めて一年を経て漸く連中が辞めたことの「意味」が定まった様な気がしている。
「意味」さえ定まれば、漂っていた魂も浮かばれる。

幸いなことに私は、好きだったメンバーに殉じて劇場を去れなどど言うトンチキを知己に持たなかったので、時として「宇佐美難民」呼ばわりされたり「一体誰のファンなんですか」と野暮なことを訊かれたりしつつも、こうして劇場周辺をうろうろしている事が出来た。
然し乍ら、劇場周辺をうろうろするだけでも結構な労力と資金力が求められるようになって、それすらままならなくなりつつある。

昨年の件が先にあったので、今般のチーム解体劇もそれなりに落ち着いて眺めることが出来た。

落ち着いたと書きつつも、こうして纏まらない文章を纏まらないまま書き連ねている訳であるが、纏まらないまま筆を置き、献花の代わりにこの一文を捧げて葬送の辞とする。
(2009年10月17日)

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