勝手な解釈をするな!というなら…

自分の文章を入試問題で使われることに抵抗感を持つ作家の方々の中には、入試問題の中で『筆者の主張は〜』『主人公の気持ちは〜』というタイプの出題がされることに対して不快な気持ちでいる者もいるようだ。だが、作品は読者と作者の間にあるものだ。解釈されるのが嫌なら、発表しなければよい。大手出版社から自分の作品を出すことを選択した限り、その作品は多くの人間の目に触れ、その時代、その文化によって判断されてしかるべきだ。その時代その文化において多くの人の目にふれ解釈されることで作家として食っていけているんじゃないのか。入試問題による解釈だけはダメなのですか? もし解釈を拒否するなら、ひっそりと自費出版するか、日記にでも書いておけばいいではないかと思う。

テクストというものは、作家個人の力だけでなく、文化、社会の力によっても生み出されているものだ。著者はこの文化の中で育ち、この時代の持つ何かが、最後の段階で、著者の心を介することで、作品となっているという側面があるだろう。ならば解釈は避けようが無いことじゃないか。入試という制度を持ったこの国にいながら、入試問題にされることだけを拒絶するというのはどうなのか。もし入試制度のない国だったら、その作品は支持されていなかったかもしれないのに。もし解釈自体が嫌ならば、書評や書店のコメントや帯に貼られたキャッチコピーや文芸評論家様による解釈も拒絶してはどうかと思う。

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