書きたかったこといろいろ

こんなに日記を書くつもりはなかったんだけど、
ここ数日どうしても書きたいと思うことがわーっと
出てきたのでとりあえず書き留めている。
思いつきそれぞれについて1エントリになるように
肉付けできないこともないけど、きりがないんで
断片としてここに書き出してしまおうと思う。

豊かであるということ

言うまでもないけど、主観的な話と断っておく。
しまなみ海道を寄り道しながら100キロくらい自転車で走って
石川直樹氏の世界中をいろいろ旅をする本を読んで、
ハーバードビジネスレビューを開いてみた。
そこに出てる広告をみていろいろと考えさせられた。
高そうな車とか高そうな腕時計の広告ばっかり。
この雑誌を読んでいる人って自分は単なる物好きの例外で
基本的に社会的に成功したビジネスマンなんだろうと思う。
広告に出てるって事は、その人たちに人気ってことか。
なんかかわいそうだな。お金で買える贅沢しか知らないのか。
自分は自動車があまり好きじゃない。息が詰まる気がする。
腕時計は、中学生の頃に買ってもらったものを10年以上使ってる。
太陽電池で動いているから電池交換の必要もない。
お金では、都内を自転車で走り回る体力と気力を買うことができないし、
お金では、10年使って手になじんだ腕時計を買うこともできない。
お金で済むなんてずいぶん安上がりな人たちなんだと思った。
完全に個人的な感想だけど。


自分の場合、豊かであるとはどういうときか考えてみた。
時間、お金、頭脳、身体
この四つをバランスよく使ったとき満足度が高そう。
満足度の高い状態が維持されるのが豊かかも。
ある程度のハードルを乗り越えないと、楽しいことって
見つからないような気がする。最近なんとなく。
峠を越えたところみたいなの。マゾヒストかな。


たとえばマチュピチュ。お金で買えるのはDVDと
でかいテレビと、サラウンドシステムくらいか。
でもそんなのでは到底満足できそうにない。
高山病にならないようにいろいろ考えないといけないけど
現地で風を感じたい。その場に居ることに意味がある。
年齢的な制限もあるかも。けっこうハードル高そうだから。
仕事が忙しいからいつかなんて言ってたら、体力的にきつくなって
結局DVDに終わってしまいそうだから、ちゃんと計画が必要。
行動力がない人は、なかなか第一歩を踏み出せないかもしれない。
一つ一つできない理由をつぶして、無理のないように
少しずつ段階を踏めば、特に問題はないと思う。今年は無理だな。
もう予定がいっぱいだ。来年チベットのラサで高山慣れして
再来年マチュピチュかな。どうなるかわかんないけど。

ぐるぐるまわって元通り

二年前に自分で書いた文章にぐっときてしまった。
Lazy Suits - 研究所見学
http://d.hatena.ne.jp/pho/20050320/p1

就職活動をしていてよく耳にするのは、人のために
役立ちたいといって、人材の仲介を志望したり
日本に活気を与えたいとかいうフレーズですけど
私としては非常に違和感があります。
「どうして日本に限定するのですか?」と。
どう考えても日本という国は恵まれています。
そんな恵まれた環境で腐っているやつらは
どうだっていいじゃないですか。
世の中にはわざわざ活気を与えなくても
ぎらぎらとやる気に満ち溢れた連中がいますから
そいつらにチャンスを与えるような社会を
目指したらいいんじゃないかと感じます。

文体違うけど紛れもなく自分が書いた。
あれからいろいろあって、いろいろ経験して
いろいろな人に会って、今に至る。
好奇心の赴くままに行ったり来たりしてたけど
あー戻ってきたんだな、と思った。


別にボランティアがしたいとか慈善事業がしたいわけじゃない。
そんなものは自分とは対極にあると思う。
どれだけお金を渡す気がないかは、この記事を見ればわかる。
Lazy Suits - 雨が痛い
http://d.hatena.ne.jp/pho/20040917

Tシャツを1ドルに値切って買うとかなりショッキングなことを
いわれてしまった。「おにーさん、買うお金あるの?」
(ちゃんと持ってます。そのくらいは)

やっぱり居心地の悪さというかそのあたりかも。
自分はまあ大学を出て普通に職に就いているわけだけど、
こういう国に生まれていたら、どうなっていたんだろうと考える。
同じラインまでたどり着けないのだとしたら、今の自分は
単なる幸運という脆弱な基盤の上にあるということになる。
自分の力とかやってきたこととかは、単に幸運のおかげ。
自分の全てがなんか否定されたような気がした。
だから、最低限のラインは確保するような環境をつくらないと
今の自分の価値とか居る意味とか守れないような気がした。
デリーに生まれた子供も、上海に生まれた子供も、
東京に生まれた子供も、ロンドンに生まれた子供も、
別に同じラインにする必要はないけど、最低限のラインを
超えて、やる気さえあればチャンスがあるような
世の中に、フラットな世の中にしていく必要がありそう。
自分のこの中途半端な居心地の悪さを解消するために。


自分の頭の中に国境はない。国益とかも考えてない。
日本ということで考えるとこの思想はあまりよろしくないだろうな。
でもインテルとかが次の10億人って言ってるみたいに
そっちのほうがいろいろと面白そうな気がする。
やる気がないやつにやる気を出させるよりも、
やる気のありあまった人たちに何かやらせた方が
きっと楽しそうだし、多様性という面でもよさげ。