ケヴィン・ケリー著作選集1 ー 技術とは何か

たまには本の紹介でもしようと思ってiPadでいくつか本を見返してみて、まだこの本の紹介が途中だったことを思い出した。
無料より優れたもの:http://d.hatena.ne.jp/pho/20111203/p1
千人の忠実なファン:http://d.hatena.ne.jp/pho/20111220/p1
チューリング化:http://d.hatena.ne.jp/pho/20120123/p1
物のインターネットと技術予測の困難さ:http://d.hatena.ne.jp/pho/20120527/p1
既に4回に分けて気になった箇所を書き留めているが、これから紹介するテクノロジーに関する記述には更に心を揺さぶられた。自分の根幹にある物、何を求めて今のような選択をしているのか、そんなことを改めて見つめるきっかけとなった。

  • 技術でないものは何か?私たちの頭脳から出てこなかったものである。私たちの頭脳から生まれたものはみな技術だ。
  • 一般に、技術はあるものに関する別の考え方を人間に提供する。一つ一つの発明は、別の人生の視点、別の選択、別のあり方をもたらす。
  • 技術からの贈りものは、可能性、機会、思考の多様性である。もし技術がなければ、これらを得ることはほとんどない。
  • 特別な一部の人間は、たとえば、修道院の小部屋で制約された選択を、行者の洞窟でちっぽけな機会を、あるいは放浪の導師から制限された選択を得て、向上への道だと考える。しかし大部分の人間は歴史の大部分において、豊かな文明の中で大量の可能性が蓄積していることが人類を向上させると考えている。だからこそ私たちは文明・技術を作る。だからこそ私たちは都市や図書館を作る。それが選択を生み出す。
「物質からの贈りもの」: 七左衛門のメモ帳

初めてこの定義と意見を読んだとき、すっと視野が広がったのを覚えている。「技術からの贈りものは可能性である」。だからこれまで自分は技術を信仰してきたし、今後も信仰していくのだろう。いろんなところでいろんなアイデアが連鎖反応を起こして新しいものが生まれる、新しい可能性が広がる、それが面白くて仕方ないから常に技術と何らかの形で関わっていたいと願い、自分の行動原理の一つの柱になっているのは間違いない。
また、技術(ここではそのままテクノロジーと訳されている)について別の定義もあって面白かった。

  • テクノロジーとは、あなたが生まれた以降に発明されたものである。(アラン・ケイ
  • テクノロジーとは、まだ動いてないものである。(ダニー・ヒルズ)
    • 成功した発明は私たちの意識から焼失する。故障無く静かに気づかれずに動くようになれば、もはや「テクノロジー」として認められなくなる。

銀河ヒッチハイクガイドで知られるダグラス・アダムスはこんなことを書いているそうだ。

1)自分が生まれる前からすでに世の中にあるものは、すべてごく普通のものである。
2)生まれてから30歳になるまでの間に発明されたものは、すべて途方もなく刺激的で創造的であり、運が良ければそれが一生の仕事になる。
3)30歳以降に発明されたものは、すべて物事の道理に反していて文明の終末の予兆である。ただしその後、それが身の回りにあって10年ほど経つうちに、徐々に問題ないものであるとわかるのだが。

「まだ動いていないもの」: 七左衛門のメモ帳

さすがウィットに富んだことを言うものだ。30になった自分は頑固になるor既になっているのだろう。技術とは何かという問いに対する答えは普遍的なものではなく、その人が育った環境、その人にとって何が当たり前かによって変わってくる。それがよくわかる定義である。この他技術をどう評価するかについて、シンプルな例が挙げられていた。

生産力(および富)を増加させるには、つながりを強化すればよい。それだけのことだ。
ある技術が望ましい物であるかどうかの判断基準は「つながり」である。その技術が人や場所や物のつながりを増大させるか、それとも減少させるかを自問自答すべきである。

「つながるための技術」: 七左衛門のメモ帳

具体例と共に一度立ち止まって考えてみる価値があることのような気がする。
そんなわけでケヴィン・ケリーの著作選集1をもう一度お勧めしておく。
http://tatsu-zine.com/books/kk1

物のインターネットと技術予測の困難さ

昨日たまたま妻に頼まれて航空券のWebチェックインをした。航空会社のサイトにアクセスして、必要な情報を入力して当日の手間を少し省く。いつもやっているが、やはり便利な時代になったもんだと感じる。しかし元ワイヤード編集長のケヴィン・ケリーは更に先を見ている。

あなたは実際には航空会社の計算機に接続したいのではない。航空便のページや航空便のデータでもない。航空便そのものにつながりたいのだ。理想的には飛行機に、自分の座席に、あるいは発着時刻に組み込まれた処理と生データにつながる。これらの物とサービスの複合体が私たちが「航空便」と呼んでいるものであり、それにつながるようになる。私たちの究極の要望は、物のインターネットである。

「物のインターネットにおける四つの段階」: 七左衛門のメモ帳

ウェブサイトというのはインターフェースの一形態に過ぎないわけでそれにとらわれる必要はない。物と物がダイレクトに繋がって見える世界。その際の懸念事項も忘れずに述べている。

ウェブはあなたが常にあなたであると知っているとして、あなたは誰なのか?個人へのサービスの代償が、全面的な個人の透明性であるならば、それは全面的な個人の監視とは何か違いがあるのか?

「物のインターネットにおける四つの段階」: 七左衛門のメモ帳

自ら情報を提供すればするほど多くのものを得られる。しかしながらだんだん居心地の悪い状態になっていく。人によっては実害もあるかもしれない。どこに線を引くのか、どこまでの情報をどこまでの範囲で公開するのか。それは常に心に留めておく必要がある。
でも実際のところそんな未来がいつ来るのかはよくわからない。21世紀だというのに車はあんまり空を飛んでない(少しは飛んでるけど)わけだし、もうすぐもうすぐと思っていることはなかなか実現しなかったりする。それに関してマース=ガローの法則が興味深い。

  • 未来に対する予測がはっきりと明らかである場合に、それがすぐ近い将来に発生すると誤認してはならない
  • 遅れの原因は、生態系の中で見えないけれども他に必要な技術があって、それがまだ用意できないからである。そのような発明は、何年も保留されて近づいてこない。
  • ある予測が実現し、かつ、その人の寿命がまだ残っていてそれを実行することができる最終時点を「マース=ガロー・ポイント」と定義する。その時期はその人の余命マイナス1に等しい。
  • マース=ガローの法則:未来の技術に関する最も好ましい予測は、マース=ガロー・ポイントの範囲内にある。
「マース=ガロー・ポイント」: 七左衛門のメモ帳

自分が死んだ後のことはうまく想像できないから予測にバイアスがかかって、自分だけはその技術にぎりぎり間に合う的なご都合主義な考え方をしてしまうということである。人間誰しも本人が死ぬという個人的な特異点の影響を免れないというのが面白いと思った。
ケヴィン・ケリー著作選集 1
http://tatsu-zine.com/books/kk1