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Rice cake & Orange*

2018-04-22

音楽と絵と

ピアノを弾くのが好きだ


最近、なんとなく我慢していたけどどうしようもなくなってピアノ弾いたらやっぱり楽しかった

私はピアノがうまいわけではないし、人に聴かせられるようなものが弾けるわけではない

ただ、ピアノを弾くことだけは好きで、楽譜のある曲を弾くこともたまにあるけど、だいたいはオリジナルの曲か、即興で作曲した曲を、好きなようにぱらんぽろん弾くのが好きだ

そのときの思いや気持ちを、そのまま指先を通して音にするのだ

言葉にするよりもずっとスッキリするというか、気持ちがいい


今はそんな感じだけれど、子供の頃はピアノが嫌いだったんですよね。

小学生のあいだずっと通い続けていたんだけど、親が厳しくていつも隣で指導されていて、練習は怒られてばかり、ピアノの上で泣いた数は思い出せないほどで。

兄がピアノがうまかったこともあり、母もピアノができるというのもあり、そうやって何でそんなこともできないの!?の積み重ねで、ピアノに対しての苦手意識が強くて、本当に苦手だし嫌いでした。

中学に入ってしばらくしてピアノ教室をやめたときは、もう弾かなくていいんだ!ってすごく嬉しかったのだけれども、高校生のときに何気なく久しぶりにピアノを開いて、好きなように弾いてみたらそれがすごく楽しくて、ピアノってこんなに楽しいんだって思ったのを覚えています。

それから、作曲なんかをやるようになって、ひとりで音を楽しんで今もそんな感じ。

けっきょくあの苦手意識は、兄と比べられたり、うまく弾かなきゃ!期待にこたえなきゃ!このぐらいできて当たり前!って意識のせいだったのだなと実感しています。

もっと気楽にやるほうが、楽しいんだなと。


ちょっと絵のことで壁に当たっていて、なんとなくピアノを弾いてみたら、そんなことを思い出したんだけど、絵も同じなのかもしれない。

子供の頃は好きなように描きたいものを描いていた、だいたい意味のないらくがきみたいな漫画を描いていたけれど、あの頃は純粋に楽しかったなと思う。

小学校から帰ってきたら、一番に紙を広げて毎日漫画を描いていた。それが一番の楽しみだった。

プロットもネームも書かない、ただ即興で、紙に直接コマ割りをして思いつくままに漫画を描いていくのだ。

誰に見せるために描いてるわけでもなく、自分が楽しいから描いていた。

時々、親や親戚、友達なんかにも読んでもらって、笑ってもらえたりするのが嬉しかったりもしたけれど、根本的には自分のために描いていたように思う。

小学校高学年ぐらいから中学にかけては二次創作同人にふわっと触れていたので、自分も二次創作のまねごとをやるようになったんだけど、完全オリジナルと違って親や友達に見せるものとはなんとなく違うなと、ほんとうにひとりで黙々と描くようになった。

おなじ趣味のオタク友達とだけは、絵を交換したりしていたけど、そのぐらい。

でもそれもすごく楽しかったし、あの頃が一番のびのびと上達していた時だと思う。

中学ぐらいから、SNS(当初は出だしだったけどあった、今はもうないところ)やブログなんかで本格的に絵をネットに上げるようになって、自分のサイトを作った。

ネットに上げ始めて、少しずつ評価をもらえるようになってから、だんだん描くたのしさから評価される楽しさに変わってしまって、逆に評価されないのが苦しくなった。

たぶん、今の状況は、ピアノを隣で母に指導されていたときと同じなんだと思う。

うまく描かなきゃ、期待にこたえなきゃ、どうして自分はこんなものも描けないのかって焦りの気持ちで描いていて、それじゃあ楽しくなくって当然だし、良いものもなかなか根気がなきゃ生まれない。


授業中のらくがきとかが真面目に描いた絵よりずっとうまくいくってことがよくあったし、きっと誰にでもある経験なんじゃないかなって思うんだけど、けっきょく、誰に見せるつもりもないものって、自分の中にあるものをのびのび出せるんだと思う。失敗も恐れないからおもしろいものが生まれるのかもしれない。

そしてなによりただ楽しい。

誰に聴いてもらうわけでもないピアノとおんなじだ。

今でも、らくがきでならできることが、作品になるととたんにできないってことがよくある。

実際にはらくがきでもできてるわけではないんだけど、それっぽいことがなんとなくできるのだ。

自分が楽しむだけなら、それでじゅうぶんなのかもしれない。


しばらく、見る人を意識する作品作り、やめて、ひとりでも黙々とやるあの感覚を、取り戻すべきなのかもしれないなあ…

そういう壁もあるのかもしれない。それを超えてからもちろん次のステップがある、立ち止まるのは嫌だけど、次に進むための逃避って、案外大事なのかも…とか、思っているのも甘えかなあ。

2018-03-17

たぶん心が弱くなったんじゃなくて必要なものがかわったんだろうなと思った

なにかに強くなったときなにかに弱くなるのだ

2018-03-13

神経を張り巡らせていると毎日毎日ものすごい勢いで嫌なことがあるんですよ

情報社会だからそりゃあもうすごいんですけど

でもそういうのって自分の感性のレベルを調節すれば、それで済む話なんですよね。

いつも全開状態でいろいろな情報にいちいち反応していたらそりゃあ生きていくのがしんどいはずで

今から3年よりもっと前ごろの数年間、わたしはあまりにつらいことが身の回りに起こりすぎて、この、感性のレベルを下げるを無意識のうちにやれるようになっていたので生きてこられたのだけれども、

最近そこまでのストレスを感じることがないので、だんだんレベルの調節ができなくなってきて、

なんでもかんでも受け入れて、小さな事がストレスになっていたみたいです。


もうちょっと、いろんなことを、気にしないで生きていこう。

前にできてたので、たぶんちょっと工夫すれば普通にできるんですけどね。

感性のレベルを上げてるほうが、楽しことが楽しいんですけれど、それがいろいろストレスになっちゃって、毎日嫌なことばかり気にしていても仕方がないんだよなあ。

自分に都合の悪いことはぜんぶスルーする性格だったのが、最近妙に気にするようになってなんだかちっさい人間になってしまった。

スルーするスタイルに戻します。

よっしゃ行ける気がしてきた。

2018-03-12

現代は一昔前にくらべると、いろいろなコンテンツで溢れかえっているけれど、

自分が創作するのにおいて、インスピレーションも受けるし、流行を取り入れる上でもそういうものにたくさん触れておくのは大切だと思うけれど、

ある程度取捨選択もしていかないと、自分の世界というのは生み出せないものだなとも、最近思う。

自分の中から生まれる情報と、自分が取り入れたくて取り入れてる情報をうまく混ぜ合わせて、自分らしい作品作りができるようもっと洗練していきたいというか。

でもむつかしいですね。


なんだか少し焦っていたんですけれど、絵や漫画を描いているひとたちのなかには、ゆうに私の人生の倍以上生きている人たちもたくさんいるし、私の人生より長く創作活動を続けている人だっていくらでもいるわけで、自分にもまだまだ時間があるのだなと最近気付いたんですよね。

今はもがいていてもいいのかもしれないけれど、それでも諦めずにこの先20年、30年と、ずっと成長し続けていけたらいいなと思います。

そうやって、自分の世界作りをやっていけたらいいなあ。

2018-02-28

しとしと

部屋の中から雨音をきいているのが好きだ

なんだか心が落ち着く気がする


いろいろと悩んでる風でしたが、ひとりになって冷静に考えてみると、

もともと自分が何を求めてどうなりたくて生きてきたか振り返り、

けっきょく自分が求めていることと違うことをしているから、ストレスになってたんだなあとあらためて思った。

人と違っても自分の生き方を大切にしたい。