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Rice cake & Orange*

2018-08-12

最低限の法律を守れない会社

社員を駒としか思ってない会社

多すぎない?


業界自体がそういう感じなのかもしれないけど、

なんでどの業界も平等の権利を与えられないのか。

2018-08-09

私は物心ついたことからずっと、好きなこと、熱中できること、やりたいことがあって、

それはその時によって内容が違うことはあるんだけど、今までの人生のなかで、

やりたいことがなかったことがないんですよね。

それがなんでかはわからないけど、常にやりたいことだらけの私は、やりたいことがないって人の気持ちが全く理解できなくて、まあ今もそうなんだけど、

ちょっとしたきっかけで、やりたいことがあるって幸せなことなのかもしれないと思った。

実際、やりたいことあって幸せだね。ってよく他人からは言われるのだけれど、

自分としては、本当に人生を賭してまでやりたいこともないし、ただの気まぐれな趣味でしかないんだけどなって思っちゃうし、やりたいことが多すぎて生活とか仕事がいやになってるって部分もあるから、いっそやりたいことなんてないほうが幸せなんじゃないのかなあと思ったりもしていたんだけど。

でも、そのやりたいことが生きる上での核になっているんだなということに気付かされた。

何もなければ何のために生きてるのかわからなくなるだろうし、自分ってなんだろうってわからなくなるし、きっとやりたいことがない人も苦しいし悩んでるし、生きるの楽ではないんだろうな。

毎日生きるのしんどいし、めんどくさいし、何のために生きてるんだろうなあって思うことは私にもあるんだけど、でも、やりたいことがあるし、それやってるときは楽しいし、

好きなことをやってる自分こそが自分なんだな。

自他ともに認める気まぐれだし、人の気持ちをわかろうとしすぎていろんな人の感情を知って共感しようとしすぎているうちに、自分の中にいくつもの自分が無数に生まれてしまって、

それが積み重なって今があるけど、本当にどれが本当の自分かわからなくて、苦しいことがよくある。

どれも自分だよって言われても、それなら私はどの自分を核にして生きていけばいいんだって悩むことが多かった。

一貫性のない生き方をしていて、よくわからないやつだと言われ続けて、

自分でもよくわからなくて、けっきょく人生の目標がどこにあるのかその時によって違うからわからなくて、どの自分も本気のはずなのに、その本気は別の自分の本気に簡単に捻じ曲げられて。

ずっと、悩んでいたんだけど、どの自分であるときも、

やりたいことがあることは変わりないんだよな。

やりたいこともいろいろあるけど、でも、やってきたことはずっと一緒だし、それはこれからも変わらないと思う。

好きなこと、やりたいこと、やって楽しいと心の底から思えること、胸の内からやらねばと燃え上がるほど熱中できる趣味があること、その趣味を友達にも、ネットを通して出会って大切な人たちにも、見てもらえて、認めてもらえて、喜んでもらえること。

それってどんなに幸せなことなんだろうか。

私の核ってそこにあるんじゃないかな。

無理に探そうとしなくても、普段はフラフラしていても、やりたいことがあるんだから、

それでいいんじゃないかなって思えて、すごく気分が楽になった。

この気持の中の火が完全に消えるまでは、めんどくさい人生も楽しく生きよう。

そして、できることなら、この心の中の衝動を、やりたいことがない人にわけてあげられるような、そんな作品を生み出せたらいいなと思う。それが今の私の夢かもしれない。

2018-08-01

あんまりふわふわとした幸せの中にいるよりも

多少の悲しさとかはあったほうが、いいような気がする

寂しいとか悲しいとか、そういう感情もけっきょくは自分にとって必要なものなんだし

そういうのがあるから、嬉しいとか楽しいが本物になるのかもしれない

2018-07-16

回ってきた最高のチャンスを自分のちょっとした不注意で逃すことまあまあある

それもまた運命

毎回つかめるもんじゃねえんだよ、チャンスってもんは

2018-07-13

極めるってなんだろう

何かを極めるには他のいろいろなことを犠牲にして時間と全てを注ぎ込まなければならない。

と、そんなふうに思っていた時期もあったのだけれども、最近はそれが全てではないなあと思う。

その考えが合ってるとか間違ってるとかではなくって、ようは価値観なのかもしれない。

何事も、案外全く関係ない場所での経験が、より物事の深みを出す鍵になったりすることってあると思う。

例えば創作はわかりやすい例だけれども、ずっとただひたすらに工夫をこらして時間を費やして机に向かって研究と執筆を続けたならば、きっと生半可にやっている人なんかより技術はどんどんついていくと思う。

けれど、その時間に、他のゲームをしたり映画を見たり、旅行にいったり、立体物を作ってみたり、そういうことをしていたら、それは間違いなく創作をする上での糧になっているのだ。

自分の中から生まれるものには限界があって、でも創作は自分の中からしか産まれないんだけど、なんだろう、新しい自分を常に更新していくことで、限界を突破できるんじゃないかなとか。

もちろん、いろんなことを我慢して努力をかさねてつけた技術ってのはほんとうにすごいもんだし、それで勝負したい人はそれで勝負すればいいんだけど。

まあ、勝負ちゃうねんけど。


私ってけっこう多趣味で、悪く言えば器用貧乏なんだけど、それでも人よりいろんな経験をしている自信はあるし、そういうのって、いろいろな物事で相互作用しあって自分自身を成長させてくれてると感じる。何かはじめて取り組むことがあったとしても、今までの関係ない数々の経験が、そこに生きてきて、なんとなく、ああこうすればいいんだ。ってわかること、最近とくによくある。

だから、そういう生き方でも、悪くないんじゃあないかなって、思ってきたんですよね。


ひとつを極めるもいろいろやってみるも、どっちも良いと思うし、けっきょくは自分にとってどちらのほうが効率が良いかということなんだと思う。

私みたいに集中力散漫ですぐにいろんなことが気になっちゃうけど行動力だけはあるような人間には、後者のほうが効率が良いのだ。

大事なのは、自分がやりたいことをやるために選ぶべき道は、ひとつではないってことで。

誰かがこう言ったから、成功者がこうしていたから、ってのは、参考にはなるけどアテにはならないってこと。

けっきょくその中から、自分にとって一番効率の良い、自分にあったやりかたを見つけていかなければ、うまくはいかないものなのだと思う。


私は器用貧乏で、専門分野で人に誇れるずば抜けた能力なんて、なにひとつないけれど、でも、そのぶんいろんなことにちょっとずつ触れてきて、総合的に効率よくある程度の能力は身につけてきたつもりでいるから、ちょっとしたことで、友達や周りの人の助けになれることが多くて、それで、じゅうぶん存在意義だなって、最近は思える。

得意な人よりうまくできることがひとつあるより、苦手な人をいつでも支えられる、そういう頼れる存在になれたらいいなって。

それに、いろんな分野の経験を積んでいくことで、能力はともかく、人間としての自分そのものは、確実にできること増えてるし、成長していってるって思えるんですよね。

これからも視野広く、いろんな考えができて、ちょっとしたことで誰かの苦手を補える、そんな存在になっていけるように、生きていきたいな。


幸せとか意義とか満足とか、ほんと人それぞれだよなあ。

そうそう、私は、いろいろなことをやることを極めることにしようか。