花襲(はながさね)


やわらかき風や誘(いざな)う花衣  ぞうりむし

冬の寒さも過ぎて、肌ざわりもやわらかくなった風が、美しく装った女たちを誘うのだろうか。
句の意味を説明してみれば、これだけで事足りる。中七の「や」は、疑問のニュアンスを出すと同時に、句頭の「や」とも響き合っている。もう少し言えば、「やわらかき」が風だけにとどまらず、「花衣」まで効いていて、春の装いの軽快さも含ませたものだ。
季語は花衣。晩春。花衣とは、花の咲く季節に女性が着る美しい衣服のことである。女性と限定したくなければ、「春の服」、「春服(しゅんぷく)」、「春装」といった季語もある。
このようなシンプルな句に、これ以上の説明を付けることは蛇足であろう。それこそ、肝心の「やわらか」さを打ち消してしまうことにもなりかねない。
とはいえ、中七の「や」を、詠嘆の意味に読むこともできる。その際には、「風が美しい女性たちを誘ってくれているのだなあ」となる。
だが、疑問、詠嘆、いずれの意味にとるにせよ、これが「中切れ」の句であることに変わりはない。短歌や俳句の場合、意味の切れ目となるものがあって、それは通常、句ごとの終り、すなわち初句切れ、二句切れ、区切れなし(=意味の切れ目が末尾のみ)という三つになる。まれに、初句の途中、二句の途中で句切れが来ることもあって、その際の目印がいわゆる「切れ字」と呼ばれるものである。中切れが意味の切れ目を作っていることに目を付ければ、句の意味は重層的になる。
したがって、疑問、詠嘆を厳密に考慮に入れれば、「や」を蝶番(ちょうつがい)にして、句の前半と後半を四つに読み分けることができる。「詠嘆−詠嘆」、「詠嘆−疑問」、「疑問−詠嘆」、「疑問−疑問」と。
四通りの解釈すべてをここに列挙するなどという無粋な真似をするつもりはないが、どのように読むかは、読者の感性に任される。これも素朴な句の強みだろう。

句だけについて言えばそういうことになる。
しかし、写真との取り合わせとなるとそうはいかない。写真を見てもらえればわかるように、ここに人影は写されていない。つまり、句の花衣(を着た女性(たち))は、私の側の想像なのである。
絢爛に咲き誇った桜の花。しかし、その花だけに目を奪われず、目線を下げ、周りを見渡してみれば、同じほどに美しく、艶やかな花が目に入りませんか(ここにも疑問の「や」が響いている)。それは、花見に着飾ってきた美しい女性たちのことです。彼女たちを誘ってきたのは桜だけではない。季節を告げる風もまたそうなのだ、と。

ぞうりむし

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写真一口説明:

春、大井川。
SLと桜のコラボをテーマに撮影の旅。
川沿いを上流に向かって車を走らせていたら、とあるカーブの先で桜に出迎えられた。
家山の桜トンネル。
花は八分咲きくらいの頃合で、平日にもかかわらず盛況だと感じたのは、人の多さだけでなく目を覆わんばかりの桜の花ゆえだろう。
提灯に映った影が、桜の花びらの形をしていたのが印象的だった。

すきっぱら