澱んだ空気と宵山の空

銀行の研修を午前中で自主的に切り上げた彼は、電車に揺られて京都へ向かった。


夏の京都盆地というものは、澱んだ空気が息苦しいほどの湿度をまとい、直射日光と照り返しによって挟み撃ちされたそれがぐらぐらと煮え立つような、天然釜茹で地獄とも呼ぶべき場所である。


折しも、この日は祇園祭のクライマックス、宵山の夜。


一年で最も京都に人が集まる日だ。
身動き一つ取るのにも苦労するほどの人々が街に溢れ、暑苦しさも5倍増である。

そんな、365日で一番暑く熱い京都に、暑いのも人混みも嫌いな彼が、なぜわざわざ?



彼が初めて祇園祭に身を浸してから、今年で6年になる。

大学在学中は京都に住んでいたという地の利と自由に使えた時間を活かし、宵々山や山鉾巡行にも顔を出していたが、社会人になってからはそうはいかない。


それでも、宵山が週末と重なった去年と今年は、運良く参加することができたのだ。


彼は、暑いのが嫌いである。
そして、人ごみも嫌いである。
極めつけに、祭りに行っても特にやりたいこともなければ、買いたいものもない。

めんまるさんがいれば、りんご飴やチョコバナナを買ったりしてうれしそうに食べるのだが、仕事の都合上行けないのが残念である。


ではなぜ、彼は今年も祇園祭へ行くのか?

そのことについて、彼はこう語っている。

「たぶん、大学に入ってからというもの、このくそ暑いときにわざわざ人混みに紛れ込んで山鉾を横目にぶらぶらし、べったりとした空気の中で“トンチキ”と聞こえてくる笛や鐘の音に包まれることが、ぼくにとっての“夏”になったのだ。」と。


早い話が、彼もまた、祇園祭の魔物に取り憑かれた者の一人なのだ。


さらに彼は、6年連続で繰り出し、彼にとって“夏の決まり”となっている祇園祭へ赴くのも、今年を一つの区切りとし、来年は参加しないつもりであると言った。


その決心の裏には、祭りの日程の問題や彼の身の振り方など様々な要素がある。

今年の彼の宵山にかける想いは並大抵ではないようだ。


とはいえ、別に彼も、たった一人でその決心と向き合いながら宵山の雑踏に踏み込んでいくわけではない。

今年は、京都の大学に在学中の、高校の時の後輩と一緒である。

その後輩とは、半年ぶりの再会だ。

話すことが山のようにある。


京阪の祇園四条駅から地上に出た彼は、まだ眩しい西日に向かって、四条大橋を渡った。

四条河原町の交差点では、今まさに、交通規制が始まろうとしている。


さあ、宵山はこれからだ。