かけらを集める(仮)。

日記/旅行記+メモ帳+備忘録、みたいなものです。

札幌→千歳

  • 計画では、この日はレンタサイクルを借り出して、丸一日札幌の野外彫刻を観て回るつもりだったが、事前の天気予報では降水率が高く、あまり自転車日和ではなかった。7:30頃に起きだして、外を見ると、青空がところどころ見え、ホテルの前を自転車で通勤、通学する人がひっきりなしに通り過ぎていく。が、天気予報の降水率は変わっていない。さて、どうしたものか、と荷造りをして、2Fの食堂でコーヒーとパン(だけの)軽朝食を食べる。まあ、行けるところまで行ってみようか、という結論になり、8:30過ぎにチェックアウト。
  • まず、地下鉄の北12丁目駅近くの《有島武郎邸跡の碑》を観てから、札幌駅前のエキチャリの受付に向かう。エキチャリは、1日500円という低価格の上に、なんと6:00〜24:00の時間帯で利用できる。これはありがたい。ただ、引き取り手のいなかった撤去自転車を再利用したレンタサイクルなので、自転車は古く、メンテしてあるとはいえ、乗り心地がいまいちだったりするが、自転車は大量にあり、その中から自分で好きに選べるので、調子のいい自分に合った自転車さえ選べば、なかなか快適に乗り回すことができる。受付で住所・氏名・電話番号などを書き出し、免許証などのIDで記載内容を確認の上、すぐに貸し出してくれた。



有島武郎邸跡の碑》。有島武郎の肖像レリーフは、坂坦道の制作(1993)。碑の下部に彫られた文は、有島武郎の妻の安子の遺稿集『松むし』収録の日記から採った一節。「「細君は中々いいものさ。君も早く結婚し給へ」と仰有るやうに私はなりたい。」とある。有島武郎(1878-1923)は、明治41年(1908)に再び札幌の地を踏み、北大で英語を教えながら、本格的な文筆活動を開始した。大正2年(1913)8月には、札幌永住を決意して、この地に家を新築した(この家は現在、札幌芸術の森に移築・保存されている)。この家では、安子夫人の病気療養のために、大正3年(1914)この地を去るまで過ごした。※主に解説板を参照。

  • まず、札幌駅近くの北海道自治労会館前(北6条西7丁目)の《朔風》を訪ねた。実は昨日も立ち寄ったのだが、例によって真っ黒な写真しか撮れず、あらためて来てみた次第。続いて、若草公園(北26条西6丁目)→札幌飛行場正門跡(北24条西8丁目)→札幌市美香保体育館(北22条東5丁目)→札幌市東区民センター(北11条東7丁目)と、札幌駅の北側に散在する野外彫刻を、自転車を駆って、訪ねて回る。すがすがしく、気持ちのいい天気だ。ここまではネ。



北海道自治労会館前の、本田明二《朔風》(1980)。北海道自治労会館竣工記念に建立。



若草公園の、坂坦道《いのち》。北区北第2町会が、町内の子どもが悲惨な交通事故で亡くなったことを悼み、建立した交通安全祈念像。オリジナルは1977年5月7日に建立されたが、その後、10年の間で破損が激しくなったため(当初はコンクリート像だったか?)、1988年にブロンズで再制作された。



札幌飛行場正門跡の、「風雪」碑。台座には「風雪」とあるのが、像自体には「空」とある。像の制作は、坂坦道(1986)。プロペラの中心にパイロットの顔が彫られている。また、像の裏面には「大空に憧れ.空高く飛んで.父も兄も弟も.遠い想い出になつて消えてしまうだろう.」とある。札幌飛行場は、1926年(大正15)旧北海タイムス社が報道用に北24条以北を滑走路として使用したことに始まり、1933年(昭和8)逓信省がこれを大幅に拡張、1945年(昭和20)に閉鎖されるまで飛行場として使用された。※解説板を参照。



札幌市美香保体育館前の、《聖火を持った男(オリンピック開催記念の像)》(1973/1973.2.27建立)。「札幌五輪をしのび 原田さんに感謝する会」が建立。像の制作は、佐藤忠良。「原田さん」は原田與作(1900-1979)のことで、第6代(公選第2代)札幌市長(1959-71の3期12年在任)として、札幌五輪誘致に力を注いだ人物。台座正面に「一九七二年二月三日 札幌の地にオリンピックの聖火はともされた それは札幌の歴史に大きな誇りとして永遠に輝くであろう 青少年に夢と希望をあたえるとともにこれを機会に 札幌の街づくりにつとめることを念願しオリンピック招致に心魂を傾けた当時の市長原田與作氏に感謝し ここに記念の像を建立する 昭和四十八年四月二十七日」とある。また、美香保体育館は、札幌五輪の際に、フィギュアスケートの会場だった。



札幌市東区民センター前の、本田明二《手をつなぐ》(1977.7.21設置)。札幌市東区民センターの開館を記念して建立。札幌市東区災害協力会、札幌市東区経営者協会、札幌市東区商工連合会、札幌市東区園芸造園組合の寄贈。ちなみに、札幌市が政令都市に移行し、行政区制が始まったのは、1972年のこと。

  • これまでのところ、天気はよし、なかなか快調だったのだが、駅の南側に入り、大通公園を抜けて、石山通りを南下し始めると、空が厚い雲で覆われ、暗くなってきた。南9条緑地(南9条西10丁目)まで来たところで、とうとう大粒の雨がぽつりぽつりと降り始めた。慌てて、緑地に逃げ込み、奥の方の屋根のあるベンチで雨宿りをする。ときに11:30。ここで、30分ほど、過ごすが、雨は激しくなったり、弱まったりのくり返し。南の方は暗いまま。あわよくば、真駒内方面まで足を延ばし、帰りは豊平川の河川敷を自転車で走ろうかと思っていたのだが、これはちょっと無理のようだ。12:00を過ぎて、雨が弱まり、北の方が明るくなってきたので、引き返すことにした。途中、小降りになってきたこともあり、少し西寄りにルートを変え、札幌医科大学に立ち寄って、野外彫刻2基を観覧し、その後は、あっちへ行ったり、こっちへ行ったりとふらふらしつつ、どうにか札幌駅のエキチャリ受付にたどり着いた。13:00過ぎに自転車を返却。まあ、真駒内方面は次回の宿題としよう。


南9条緑地の、山内壮夫《春風にうたう》(1958)。


札幌医科大学前の、伊藤隆道《よろこび・愛》(1986)。同大学同窓会の寄贈。動いていないけど、伊藤隆道(失礼)。


札幌医科大学内の、《初代学長大野精七博士》(1962/1962.6.25設置)。像の制作は、佐藤忠良

  • 小雨が降り続いていることもあり、駅周辺からすすきのの街かどで見ることのできる野外彫刻を回ることにした。


北4条西4丁目の、國松明日香《NIKE》(1991/1991.11.5設置)。自転車に囲まれた勝利の女神。伊藤組土建株式会社の寄贈。


同、小野寺紀子《BIANCA》(1991.9.11設置)。株式会社第一ビルディングの寄贈。



北3条西3丁目(ヒューリック札幌ノース33ビル前)の、 松本純一《EYES》(1992.3.19設置)[写真上]、《MANAZASHI》(1992.3設置)[写真下]。


北2条西4丁目(日本郵政グループ札幌ビル) 伊藤隆道《空・ひと・線》(1993)



北海道新聞社北玄関(大通西3丁目)の、米坂ヒデノリ《北を拓く》



北海道新聞社北玄関(大通西3丁目)の、本田明二《大地のうた》(1982/1982.11設置)。北海道新聞社創立40周年を記念して、道新会連合会が寄贈。


大通公園は、だいぶ様変わりして、春の装いとなっていた。ここらを抜けて、さらに南下する。



北陸銀行札幌支店(大通西2丁目)屋上の、山内壮夫《鶴の舞》(1966)[写真上]。同西側出入り口の壁面を飾る彫刻[写真下]。これも山内壮夫作で、屋上の《鶴の舞い》同様、鶴をイメージしたものだとか。


ラ・ガレリア(南1条西3丁目)前の、松本純一《元気地蔵》(1995)


水野メガネ店(南2条西4丁目)の、山内壮夫《花と子供》(1967)


F45ビル(南4条西5丁目)前の、平田まどか、松本純一《タマゴ》(1991)

  • ここらで、街中の彫刻めぐりはひとまず終わりとして、少し遅い昼食を適当に食らい、札幌駅まで歩いて戻る。札幌エスタ屋上庭園「そらのガーデン」のポスターに國松明日香作品が写っていたので、これを観に行く。屋上庭園では、先ほどまでの駅の喧噪とは打って変わって、とても静かだった。小雨の中、女性がひとりもくもくと花の手入れをしていた。



札幌エスタ屋上庭園「そらのガーデン」の、國松明日香《テルミヌスの風》(2011)

  • 千歳市の野外彫刻 札幌の野外彫刻は、今回はここまでとし、空港に行く前に、千歳市で途中下車して、鈴木吾郎の野外彫刻を観に行くことにした。札幌駅から15:05発の快速エアポートに乗車。車中、爆睡してしまい、気づいたら南千歳駅という…慌てて、下車し、札幌行きの快速エアポート千歳駅まで戻る。840円(SUICA)。やれやれ。西口ロータリーの鶴のオブジェを見て(東口にもあるようだ)、駅前通りを歩き、千歳市民ギャラリー前の鈴木吾郎作品を観覧。その後、グリーンベルト公園→千歳川沿いの道を歩き、市役所をかすめて、千歳青葉公園まで歩く。20分弱といったところか。市役所の裏手が工事中だったが、保護シートを被せられたモニュメントらしきものがあった。あれは何だろう? 千歳青葉公園は、運動施設がある大きな公園だが、その東側、千歳市立図書館のあるあたりの野外彫刻、モニュメントなどを観覧。最後に図書館を覗いたら、エントランスの本田明二の大作レリーフがあった。


JR千歳駅西口のモニュメント。鶴をイメージしたものとのこと。



千歳市市民ギャラリー前の、鈴木吾郎《ASUKA》(1995.3)




千歳青葉公園(図書館隣)の、《千歳市民憲章像》(1991.7)。(左から)《希望》《健康》《愛》《連帯》《自然》の5像と「千歳市民憲章・千歳市民憲章像建設の趣意」が彫られた石碑によって構成。像の制作は、鈴木吾郎。なお、近くに千歳市開基100年のモニュメントもあった。

《希望》

《健康》

《愛》

《連帯》

《自然》

千歳市民憲章・千歳市民憲章像建設の趣意」


千歳市立図書館前の《巣立ち》。作者不詳だが、像には、印記をまねたサイン?が… 

この印記というか、サインは、帯広中央公園にあった《育くめ青少年》と同じものではないか!? でも、篆書体、読めなくて、相変わらず作者不詳。 追記(2020.11.1):印記のようなものは「誠峯」。作者は、彫刻家の北村誠峰だろう。


千歳市立図書館・エントランスの、本田明二《北国の詩》(1987)

  • 当初は千歳市立図書館前からバスで千歳駅まで戻り、JRで新千歳空港に行くつもりだったが、市役所から新千歳空港まで行くバスがあることを知り、予定を変えて、千歳青葉公園/千歳市立図書館から千歳市役所まで歩いて戻り(10分強)、市役所前バス停からバスに乗ることにした。17:02発の北海道中央バス・空5・新千歳空港行きで、新千歳空港1番で下車する(新千歳空港国内線は28と1の2つ停車場があり、28はANA、1はJALジェットスターが近い)。17:20頃、到着。そんなに時間はかからなかった。220円。JR利用より断然安いぃ。が、少々早く着いてしまった。空港内をうろうろして少し時間を潰して、おやつなど食べたりもしてから(太るぅ)、保安検査を済ませ、静かなところで、本を読んで、飛行機の時間を待つことにした。
  • で、18:30頃、アナウンスがあって、唐突にボスキャラ登場…
  • 最後にまたしてもジェットスターにしてやられた。機材繰りで、搭乗予定のGK124がドタキャンになった。これで、オレ史上、6回目の欠航である。4月の成田→関空に続いて、今月も天下御免の「機材繰り」にやられた。ふんっ。キャンセルされる方としては、もう少し具体的にどんな機材繰りよ?って訊いてみたいところだが、訊いたところで、地上職員はとにかく「機材繰り」以上のことは説明できないだろう。全然納得がいかない。釈然としない。LCC(特にジェットスター)って、こんなものよ、とは頭で分かっていても、こう頻発されると、うんざりである。


こいつだっ!

  • と、愚痴はこれくらいにしておいて、オレは「今日中に帰り着く必要がある」ので、早急になんとかしなくてはならない。ジェットスターには、何度かこんな目に遭わされているので、対応は心得ている苦笑 こういう場合、ジェットスターのカウンターは基本的に振り替え便の手続きしかしてくれない。返金手続きはコールセンターだかに電話する必要がある(欠航時の対応コールセンター:0120-9347-87)が、これは後回し。一応、ジェットスターのカウンターの様子をちら見して、相変わらずオレの役に立ちそうもないなと思われたので、ここには立ち寄らずに、早々にAir Doのカウンターに行き、当日料金で新千歳→羽田のチケットを押さえた。新千歳なので、東京行きの便が多く、選択肢がいくつもあるのは不幸中の幸いといったところ。だが、30,000円弱かかったのは、やむなしとはいえ、まいった。(明日以降のジェットスター便に振り替えられるのならば、宿泊費・食事代もジェットスター持ち、ではあるのだが…)
  • ということで、代わりに乗った飛行機は、Air Do 038便、新千歳20:35→22:15羽田T2の予定である。ゲート3で、使用機材はB-737だった。座席は前方窓際。20:20搭乗開始、20:40離陸、22:07着陸、22:12頃降機、22:18頃到着ロビー、バスのチケットカウンターで次は22:20ですが…と言われたので、この便にチャレンジすることにし、ものすごい勢いで走って、22:20のバスに乗ったという…(別に終バスではなし、本数もあるので、こんなにがんばんなくてもいいのだが…) 23:30過ぎにはなんとか無事(ではないな…懐が…苦笑)帰宅できたのであった。で、家でメールチェックしたら、ジェットスターから文字化けの気味の悪いメールが来ている…というおまけつき笑
  • ジェットスター、以前に比べるとそれほど低価格でもないし、いろいろと高ストレスだし、その上、こうドタキャンに遭うと、高リスクと考えちゃうんだよな。欠航・運休時に見舞金の出る料金(Plusとか、Max)もあるようだが、注意書きを読んでみると、オレのように払い戻しして、他の航空会社利用で帰ってくると、見舞金は出ないようだし…う〜む、これからまだ何回か利用する予定があるけれど、こんなんがまた起きると考えると、低価格のメリットなんて、全くない。むしろ、マイナスだ…やれやれ。