右翼になろうよ♪ このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2005-01-16 続 エロビデオはなぜワンバターンなのか その1

pikarrr2005-01-16

続 エロビデオはなぜワンバターンなのか その1 続 エロビデオはなぜワンバターンなのか その1を含むブックマーク 続 エロビデオはなぜワンバターンなのか その1のブックマークコメント

*1

AV女優の消費構造

オーラルセックスによるクラミジア咽頭感染が拡大

かつては特別な行為だったオーラルセックスが、ごく普通のパートナーが日常的に行う性行動になったようだ。その結果、クラミジア咽頭感染が増え、感染拡大の一因になっているという。・・・研究グループは、風俗産業従事者ではない性体験のある一般女性122人を対象にアンケートを実施した。その結果、性行為の際、オーラルセックスを「必ず行う」「50%以上の割合で行う」とした人が77%を占め、行わない(経験がない)は8%に過ぎなかった。しかも、「必ず行う」「50%以上」の回答は30歳以上では57%だったのに対し、20歳代では81%、20歳未満では90%と若いほど高く、近年では性体験の初期から当然の行為として受け入れられている様子がうかがえる。

http://nikkeibp.jp/wcs/leaf/CID/onair/jp/medi/325527

最近は性感染症が流行っているらしい。それは不特定多数との性行為が広まったことと、オーラルセックスが一般化ためだろう。おばあちゃんなどでキスをしたことがないと言う人が良くいるが、その昔は性行為にはキスさえなかったのだ。そしてフェラチオなどのオーラルセックスの普及は、アダルトビデオの普及と対応しているのではないだろうか。

TV番組日本に住む外国人女性が日本人の男のセックスはみな同じパターンなのが不思議だといっていたが、このようなアダルトビデオ普及は、もっと深く人々の「性」に対する意識を、構造化しているのだろう。 たとえば、アダルトビデオにおける性行為は、このような性のタブー性として象徴的に構造化されているが、それが日本人セックス方法を拘束しているということだ。

アダルトビデオの価値構造

フェラチオ 挿入 オナニー バイブ 3P 多人数 アナル 屋外 レイプ SM

たとえば、AV女優は、始めにきれいに梱包され、まず「普通」のかわいい子、アダルトビデオなどに出演しないような子であるように演出される。そこから、初出演では、フェラ、挿入ぐらいの性行為が撮られる。「普通」の子が、性行為を行い、「普通」を破ることによって、興奮を生むのである。しかしこれを反復していては興奮はさめていく。このために次はオナニー、バイブ、3P、多人数というように、性行為は過激になり、このタブー性の構造を下っていく。そのたびに、「ここまでやるのか!」彼女「正しさ」の破られ、興奮が生み出されていくのである。そしてある段階まで来て、そのAV女優は、「やっぱりこういうことができる女だったんだな。」と消費され、消えていく。

そしてまた次の「普通」の子が、AV女優として興奮を生み出していくのであり、これが一つのシステムとして作動している。このシステムは、「商品としての女性」の消費構造であり、ここで消費される価値は、いわゆる処女性」である。




ロリコンという「商品としての女性」の拡張


このようなアダルトビデオの構造は、処女性」という価値による「商品としての女性」として、上部へ拡張することができるだろう。

「商品としての女性」の価値構造

純情、清楚 ミニスカート 水着 乳出し ヘアヌード /フェラチオ 挿入 オナニー バイブ 3P 多人数 アナル 屋外 レイプ SM

「商品としての女性」を構造化している処女性」とは、神性さである。そしてこの神性さを汚すという欲望によって、興奮は生み出されるのである。たとえばいまは、清純であり、水着披露までのあややが、いきなり3Pで犯されるビデオに出演することは、そこに大きな処女性」の消失、神性の差異=神性ポテンシャルが生まれ、驚くべき興奮を生み出すことがわかるだろう。そしてこのような差異は、萌え絵上で表現されているのである。一つの絵の中に、「純情と淫乱というような神性ポテンシャルの差異を内在させ、興奮を生んでいるのである。

最近、奈良女児誘拐殺人事件もあり、ロリコンが問題になっているが、このような「商品としての女性」の構造の延長線上として、ロリコンという商品が生まれることは、容易に想像できるだろう。幼女は、「商品としての女性」の構造において、高い神性を持つところに位置づけられる。すなわち性的な欲望の増加は、より大きな性的興奮を生みだすために、タブーであるが故に、ロリコンという「商品としての女性」によって、構造を拡張し、興奮の差異を広げているのである。




消費されるフェティシズム(物神性)


このような「商品としての女性」の消費構造は、典型的な消費の構造ではないだろうか。商品には、処女性」フェティシズム(物神性)があり、それが経験という欲望の反復によって、汚されていくことによって、「興奮」が生まれる構造を持つもである。

そしてこの「興奮」は、まなざしの快楽である。たとえば、かつてボクが言ったように「なぜ上から二冊目の本を買うのか?」*2は、誰もが開いていないということによって、二冊目の本に、神性ポテンシャルが生まれ、まなざしの快楽を生むのである。また宮崎アニメの魅力に、主人公たちの幼女的神性=ロリコン性の活用が良く指摘されいるが、それはロリコン性という神性ポテンシャルが、宮崎アニメという「物語(神話)」としての訴えかける力になっているであろう。

AV女優が、神性の消費によって、視聴者の強烈なまなざしを集めるときに、それはそのまま視聴者に内在したまなざしとなる。AV女優を見ているボクは見られているのであり、「偶有性から単独性への転倒」によって、まなざしの快楽を生むのである。このまなざしによって、世の中の誰でもある人から、「この私」へ転倒され、「この私!」という実感を生み出されるのである。これが、消費の意味である。

このために、商品のもつ神性ポテンシャルは、このような「偶有性から単独性への転倒」を起こすための力といえる。またハイデガーの現存在としての「気遣う」力だと言える。しかしこの神性ポテンシャルは、商品そのものが内在しているわけではなく、私が、この商品を他者が欲望するだろうことによって、捏造し、高められるものである。




欲望の減算反復と加算反復


消費は、、「この私!」という実感を獲得するために、欲望の反復によって神性ポテンシャルが摩耗させていく過程であり、「価値が減算する反復」である。この減算反復はまず、商品の購入によって、高い神性ポテンシャルを得る。それは、他者が欲望するだろうものであるが、反復によって汚れ、欲望されないだろうものとなるのであり、反復は少ない方がよい。

それに対して、「価値が加算する反復」もあるのではないだろうか。欲望の反復によって、神性ポテンシャルが増加していく過程である。最初は思い入れなかったものが、使い込むことによって、愛着がわき、思い入れができて、特別なものとなり、神性ポテンシャルが増加するのである。どこにでもあるものが、反復によって唯一のものになっていく。だれにでも、長く使っていて、捨てられないものがあるだろう。

ここにあるのは、より根元は「偶有性から単独性への転倒」であり、転倒のための原動力となる神性ポテンシャルを如何に生み出すのかという方法論の違いとして、減算反復と加算反復があると考えられる。




欲望される処女と欲望する童貞


減算反復としての消費は、まさに処女性である。その始めに強烈に高い価値=神性ポテンシャルがあり、その後経験回数、体験人数によって、価値減算していく。その意味で手に入れることそのものに意味があり、容易に、即効的に「偶有性から単独性への転倒」によって、まなざしの快楽を生むことができる。

これに対して、童貞は、加算反復型である。低い価値=神性ポテンシャルが、経験を繰り返すことによって、性的なテクニック、大人になっていく、まなざしの快楽によって自信もつ、というように考えられる。

この差は、処女は他者に欲望される対象であり、童貞は他者に欲望される対象ではないということである。そして処女を欲望するものは誰か?、それは男たちであり、そして童貞を欲望するものは女たちであるが、欲望するのは男たちであり、女たちは欲望しない、欲望される側であるというジェンダー的な構造があるだろう。すなわち、「商品として女性」は、このようなジェンダー構造が支えているのである。




アイドルの消費と萌え


しかし減算反復と加算反復は、対立するものではなく、どのような欲望の反復も、加算と減算の両義性をもつだろう。アダルト女優は、段階的により過激な性行為を見せていくことによって、神性ポテンシャルは減算していく。しかしこのような反復の中で、その女優に対する思い入れが生まれ、「女神」と呼ばれ、神性ポテンシャルが加算反復されうる。

さらにアイドルにより加算反復を見いだすことができる。アイドル「商品としての女性」として消費(減算反復)されるが、アイドルヲタクは、欲望の反復(応援)によって、より萌えがまし、アイドルへの神性ポテンシャルを向上させている。より応援することが、まなざしの快楽を生むのである。

愛情などの人間関係は本来欲望の加算反復である。経験が深い絆となり、まなざしの快楽を生み欲望を満たすのである。しかし現代の資本主義社会では、その即時性から減算反復としての消費が重要視されている。すなわち金銭交換によって高い神性ポテンシャルの商品を手に入れ、即効的に欲望を満たすシステムである。このために人間関係さえも、減算反復的にそのときだけの欲望をみたすものとなっているともいえる。その故に、オタクマニア)という傾向は、消費を創造性という加算反復へ転換する傾向であり、確かな欲望を求めているといえるかもしれない。


つづく・・・その2 http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20050118

*1エロビデオはなぜワンバターンなのか http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20040701#p1

*2:なぜ上から二冊目の本を買うのか http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20041002#p1