安楽死2.0とウェブ労働で対価をもらう可能性

pikarrr2009-12-20


1) コンビニエンス化では感情的サービスはセルフサービスを前提とする。
2) 介護2.0
3) 民主党が救う「可哀想な取り残された下層」は存在するか。
4) 安楽死2.0
5) ウェブの発達はコンビニエンス化を加速した。
6) ウェブはウェブと実社会の二重の労働を求める。
7) ウェブに課金システムを広めてウェブ労働で生活できる人々を増やすことはできないか。




1) コンビニエンス化では感情的サービスはセルフサービスを前提とする。


現代のポストフォディズムの労働では、創造的で知的な労働とルーティン作業の分裂が起こり、格差の元になっている。セルフサービスとは、個人の中でこのような分裂が起こる。ルーティン作業を貨幣依存し処理しつつ、創造的知的操作をセルフに任せる。

コンビニエンス化とは、創造的知的操作をセルフサービスとすることで、売り手は情報技術による効率化を進め、低コスト化、他者回避を進める販売システムをいう。食のコンビニエンス化=ファーストフード、住居のコンビニエンス化=ネットカフェなど

サービス業は感情労働にならざるをえない。コンビニエンス化では感情部分はセルフで処理することを前提とする。たとえばマクドナルドのセフルサービスは、料理を受けとり運び食後かたづける、だけではない。あの独特はマクドナルド空間。近接しても儀礼的無関心を保つ居心地の良い場所は、客がセルフで作り出しているのだ。

感情労働において労働者が疲弊することが問題になっているが、コンビニエンス化できない領域、あるいはコンビニエンス化したときにセフルサービスできないオチこぼれた人々が、モンスター化したときに現場の労働者に多大な負荷がかかる。だからモンスター化が起こるのはコンビニエンス化が困難な医療、介護、学校教育などである。




2) 介護2.0


コンビニエンス化はネオリベラリズム「自由化」に関係する。ネオリベが目指すのがコンビニエンスな世界であり、より広範囲がセルフサービスな規制の自由化である。医療、介護、学校教育の自由化は可能だろうか。学校教育は学習塾、通信教育などで進んでいる。それでも学校の先生はコンビニエンス化に取り残された強い感情労働を求められている。

医療は倫理と深く関係し難しいだろう。では介護は?コンビニエンスな介護とはなにか。住居のコンビニエンス化、セフルサービス化はカプセルホテルなどあったが、ネットカフェになっている。これらはなし崩し的にコンビニエンス化をのぞむ人々の動向が生み出したと言える。だから正当なものではない。そして介護や医療のコンビニエンス化も、左派の非実働的な福祉政策を横目に、違法ギリギリで進む可能性が高いのではないだろうか。

ネットカフェ型老人ホーム構想・・・天井が開いた個別のブース。様々に機械化された介護ベット。数名の介護員が各ブースを回ってルーチン処理する・・・?




3) 民主党が救う「可哀想な取り残された下層」は存在するか。


現代の社会保障や貧困の問題の一つは、従来の貧困論で語られる「可哀想な取り残された下層」として語れるのかということだろう。「下層」を選択している人々もいるのではないかということだ。上層/下層という一元価値で語るのはむしろ政治家と上流左派の自己満足ではないのか。ベーシックインカムの良さはこのような一元論を解体し、「政治家は生活を立て直し、仕事を世話するなどつべこべ言わずに金をくれ。あとの価値観はこっちで考える」ということだ。

たとえば民主党が一元的価値から守ろうとしている「大量の難民」は本当に存在するのか。その美しい姿勢は真の難民の声からではなく、一つのプレゼンでしかない。それに満足している人も豊かな人々の自己満足ではないのか。これは左派が陥る根本的な罠である。




4) 安楽死 2.0


「コンビニエンスな生活」の人々は低収入であっても単なる下層ではない。コンビニエンスな食事、コンビニエンスな住居によってセフルサービスで生きて、そして創造的なオタク、ネット活動を楽しむ。当然、結婚はしない。残る問題は将来である。コンビニエンスな介護は可能か。それよりコンビニエンスな死の方がコンビニエンスではないだろうか。

そもそもコンビニエンスな生活には闘病も介護は合わない。コストがかかり、セフルサービスも困難であり、そして創造的な活動を楽しめない。だから究極のコンビニエンスは介護ではなく、速やかに死ねること、コンビニエンスな死である。自殺は低コストで、比較的回りに迷惑をかけずにセルフサービスで行える。自殺のための低コストでコンビニエンスな装置を作ることは簡単だろう。その後の医療費、介護費と比べるとなんとコンビニエンスだろう。あるところまでくれば、ベーシックインカムからリビング‐ウイル(安楽死の権利)である。

ネットカフェ型安楽死装置・・・闘病、介護もなんのその。ネットを楽しみ、マンガを読み、テレビをみて、もうダメだと思った瞬間にボタン一つで安楽死。そのままコンビニな火葬、そして死亡通知案内から、コンビニなお骨収納ロッカーまでついている・・・

人々が映画おくりびとに涙するのは、すでにコンビニエンスな死は現実であるからだろう。多くの年老いた無名の死がすでに処理されている。現に死はコンビニエンス化しているのだ。むしろ自殺はコンビニエンスな死への抵抗であるとも言える。最後にここに生きていたことを知らしめたい。




5) ウェブの発達はコンビニエンス化を加速した。


コンビニエンス化、セルフサービス化を補完するのはウェブである。フリー(ただ)の大量の情報が蓄積されていることで、セルフサービスで専門知識、対処法を入手することができる。体調が悪い場合に医者に行く前にセフルサービスで情報を入手する。さらにはウェブ上の不特定多数の人々に相談することができる。

コンビニエンス化にはもはやウェブは切り離せないだろう。あるいはウェブの発達はコンビニエンス化を加速したともいえる。コンビニエンスは基本的に他者回避で孤立化するが、ウェブ上の不特定多数による大量の情報とコミュニケーションがそれを補完する。これがIT革命とネオリベラリズムが共犯的な関係があることの理由である。コンビニエンス、ネオリベラリズムが進んでもボクらにはウェブがある。コスト安く、他者回避できることは歓迎である。あるいはウェブを楽しむ時間のために、その他のものはコンビニエンス化で安く、他者回避で速やかに終わらせる。





6) ウェブはウェブと実社会の二重の労働を求める。


ウェブの根本的な欠点は、いくらウェブで労働しても収入が得られず生活を支えられないことだ。ネットで成功した人々は多数いるがほんの一握りであり、実社会のように成功せずとも労働が対価に結びつく賃金がない。だからウェブの労働と別に実社会労働の二重生活を生きる必要がある。

ウェブはフリー(ただ)といわれながら実は労働が必須だ。ウェブはセフルサービスの世界で、単に傍観だけでなく労働が求められる。ウェブのエコノミーは「関心」を交換しあうことで回っているのだから、対価としての「関心」を集めるように労働することが求められる。たとえばTwitterならある程度のコメントをしなければフォローされずに参加することが難しく、また歓迎されない。

グーグルはアフェリエイトなどで「関心」を貨幣価値にかえる画期的なシステムを開発したが、交換レートがあまりに低くて、儲けるにはあまりに効率が悪い。数時間バイトした方がずっと効率的だ。だから人々は実世界の労働とウェブの労働の二重の労働を求められる。




7) ウェブに課金システムを広めてウェブ労働で生活できる人々を増やすことができないか。


ニコニコ動画などをみているとあの創造労働のすばらしさに対価を与えないことはもったいないと思う。ウェブはもっと課金システムを広めて、ウェブでの対価で生活できる人々を増やすことができないだろうか。

仮にブログを課金制にするとどうなるか。まずアクセスがないだろう。似たような情報はウェブにフリー(ただ)であふれている。あるいは誰かが買ったデータがコピーされて回って来ると考える。さらにはそもそもウェブ上には慣習的にフリー(ただ)に慣れてしまっている。また課金がクレジットカードなどで面倒である・・・しかし課金システムを広める余地はあるように思う。

そもそもグーグルにピンハネされる理由などないだろう。むしろ検索にのせるならグーグルから対価をもらうべきだ。グーグルはウェブの無償の労働を担保に大量の金を稼いでいるのだから。グーグルはウェブ労働者に対価を支払うべきだ。グーグルの搾取からの解放を!
*1