なぜ日本経済は「幸福な不況」なのか

pikarrr2013-01-06


社説:2013年を展望する強い経済は構造改革


年頭の経済社説は、過度の悲観論を排することから始めたい。まず、米国きっての知日派ジェラルド・カーティス・コロンビア大教授の話を聞こう。「日本衰退論の不毛」という興味深い論文をフォーリン・アフェアーズ・リポート12年12月号に寄せている。

教授によれば、日本経済に対する衰退論は誇張されている。日本の過去20年間の経済のできばえは、他の先進諸国に比べて見劣りしない。日本衰退論は日本の人口減少を考慮しない見方であり不毛である。


「幸せな不況」に安住

1人当たり実質国内総生産(GDP)成長率の平均値でみれば、日本は他の先進国にまったくひけをとらない実績をあげている。「停滞」といわれた時期にも生活レベルは改善し、失業率は低く抑えられてきた。格差は広がったかもしれないが、米国よりはるかに小さい。

中国と日本のどちらで暮らしたいか。生活レベル、社会サービスのレベル、平均余命などからみて答えは明らか。台頭する中国より「衰退途上の」日本で暮らすほうがはるかにいい。そう教授は言うのである。

こういう日本の状況を、幾ばくかの皮肉を込めて「幸せな不況」と呼ぶ人もいる。金融市場でカリスマ的な影響力を誇るゴールドマン・サックス・アセット・マネジメントのジム・オニール氏である。

日本はすでに十分豊かになり失業率も低い。社会は調和がとれ落ち着いている。しかも、1人当たりGDPは伸びている。不況に見えるが幸せなのだ。このため、現状に安住することを選び、きつい改革を望まなくなっている、と。

今年私たちが問われているのは、この「幸せな不況」にどう向き合っていくか、である。これでずっとやっていけるなら「幸せな不況」も悪くない選択なのかもしれない。

しかし、日本はGDPの2倍にも達する公的債務残高を抱えていることを忘れてはならない。デフレのままでは税収も上がらず、年金・医療など社会保障制度の維持が難しくなるばかりか、財政破綻の危機が現実のものとなる。

安倍晋三首相の答えは「強い経済を取り戻す」だ。そのためにはまずデフレからの脱却であり、公共事業の集中投資と日本銀行の金融緩和でそれは実現できると主張する。

経済学者の多くは懐疑的である。むしろ国債市場の波乱をよびかねないと警戒している。私たちもそう思う。とりわけ、2%の物価上昇に達するまで、無制限に日本銀行国債などを買い入れさせるという主張は危うい。

すでに長期金利が上がってきていることに注意しなければならない。長期金利が上昇すれば、国債は借り換えも新規の発行も難しくなり、ギリシャ化への第一歩を踏み出すことになる。長期金利の上昇だけは避けなければならない。

過去10年の日本の実質経済成長率を平均すると0.9%だ。日本銀行少子高齢化による経済の構造的マイナス要因と、技術進歩などによる経済拡大要因を差し引きすると、いまの日本経済の潜在成長率(実力)は1%にやや届かない程度、と見ている。


◇ミニバブルを志向?

ということは、これまでの日本経済はほぼ実力相応の成長をしてきたということだ。無理がない。だからこそ国債市況は安定し、ひとびとは「幸せな不況」にまどろむことができた。「それではダメ。強い経済を取り戻す」というなら、物価の引き上げでなく、構造改革で潜在成長率の引き上げを目指すのが筋なのだ。

まずは年金・医療・介護の社会保障制度を維持可能なものにし、国民が安んじて消費を拡大できるようにする。財政改革に道筋をつけ着実に実行する。企業活力を引き出すため雇用、税制を中心に大胆な規制緩和を行う。環太平洋パートナーシップ協定(TPP)に参加しアジアの活力を取り込む、等々だ。

ギリシャやスペインなど南欧諸国の体たらくを人ごとだと考えているとすれば、それは大きな間違いだ。財政が行き詰まり金融政策にも手立てがなくなり、彼らはついに身を切る改革に踏み出した。10年前に、いや5年前に改革に踏み出していればここまでつらい思いをしなくても済んだかもしれない。そういう悔悟にさいなまれつつ。

安倍首相の政策が効果ゼロとは思わない。日銀に社債や株式を買わせれば、物価は反応せずとも株価や地価があがり、ミニバブルにすることが可能だ。それが狙いなのかもしれない。だが、それは資源配分をゆがめ、かえって経済の健全な発展を阻害しかねない。

安倍政権に集まる人々は国債市場のXデーは当分先と楽観的に考え、かつ、万一の場合にも対応可能と考えている。だが、政権担当者の最大の仕事はリスク回避であって危ない経済実験をすることではない。

過去の失政の責任をなにもかも日本銀行に押し付け、金融緩和しさえすれば強い経済を取り戻せるというのがアベノミクスであるらしい。それは「幸せな不況」「不幸せな不況」にしてしまうおそれがある。


毎日新聞2013年01月04日02時30分
http://mainichi.jp/opinion/news/20130104k0000m070095000c.html
http://mainichi.jp/opinion/news/20130104k0000m070095000c2.html




日本人は企業を中心に生活基盤を作ってきた


日本の問題は失業率で現れない雇用不安だろう。日本人にとって雇用の持つ意味は、日本人なアイデンティティーに根ざしている。

日本は失業率は高くないと言われるが、感覚的には日本人は誰もそう思っていないだろう。戦後日本人は企業を中心に生活基盤を作ってきた。就職するために勉学に励み、企業に就職する。企業で人間関係をつくり、社内結婚して、社宅に住み、子供を育てる。政府も企業を通して社会を豊かにする。企業のために政策を進め、企業が豊かになることで、社員が豊かになる。年功序列、終身雇用で生活が墓場まで保証される。

このように日本は企業を中心に生活を作ってきた。このような環境はめずらしいだろう。普通は共同体の互恵関係を中心に生活基盤が作られる。地域コミュニティや宗教など。また近代では市民活動。政府からの支援も含めて、特に西洋では積極的に構築してきた。

逆に日本は地縁的なコミュニティを解体し企業コミュニティを構築してきた。そして市民活動を育ててこなかった。だから正規社員になれないということ、失業率の低下は単に職を失うことではなく、社会の正員から取り残されることを意味する。




現代の企業コミュニティの危機は生活基盤の不安定をもたらしている


生活基盤をどこに求めるか。基本は助け合いの共同体にあるだろう。地域コミュニティ、宗教コミュニティ、血族コミュニティ。企業コミュニティもまたその1つだった。現代の企業コミュニティの危機は生活基盤の不安定をもたらしている。将来の不安から貯蓄を増え、消費が冷え込み、経済が停滞し、さらに企業収益は低下する。民主党はこの不安を社会保証費を充実することで解消しようしたが、経済が停滞するなかで社会保証費は借金するしかでない。そもそも生活基盤の不安定は社会保障費だけで解消されるものではない。

西洋は助け合いの共同体が近代化、都市化するなかで、制度的に補完する市民活動を積極的に模索してきた。社会保障制度は単に金のバラまきではなく、このような市民活動との関係にある。市民活動の文化が貧困の日本ではただの金のばらまきになってしまう。

自民党は再び企業を中心とした生活基盤を取り戻そうとしている。かといっていまから企業コミュニティが取り戻せるのか。




いまも企業コミュニティは深く日本人の生活基盤を支えている


現在の日本人の生活基盤はコンビニエンスな生活に支えられている。いままでに企業を中心に構築された豊かな生活インフラにより、他者に頼ることなく安価に比較的豊かな生活を維持できる。またいままでの蓄積でいえば、企業コミュニティの中を生きてきた高齢者の豊かな貯蓄がある。

特に企業コミュニティは個人ではなく、家族を育ててきた。近年正社員の既得権益を守るために、若者雇用が犠牲にされてきた面があるが、家族としてみれば若者は正社員の子供であり、父世代から様々な援助を受ける。あるいは財産を受け継ぐ。いまも企業コミュニティは深く日本人の生活基盤を支えている。これが「幸福な不況」だろう。