なぜ日本人の根性論は西洋人から非難されるのか

pikarrr2013-04-02


391球の済美・安楽に米「日本の新しい大物」
http://www.sanspo.com/baseball/news/20130331/hig13033118290011-n1.html


済美の2年生エースで4番の安楽智大投手に米国メディアが注目している。理由は甲子園で行われている第85回選抜高校野球大会で、先発した2試合で計391球を投じ、"超人的スタミナ"を発揮しているからだ。

・・・米CBSスポーツ電子版も30日付で「日本の高校球児が391球」と伝えた。これまでの選抜大会で松坂大輔ダルビッシュ有大谷翔平らが高校野球ファンを賑わせてきたと報じ、「今年のセンセーションは安楽智大だ」と断言。こちらも安楽の熱投ぶりを米国の読者に紹介している。

成長途中にある16歳の高校2年生に391球を投げさせる行為に「危険でばかげている」と"忠告"しつつ、横浜高時代の松坂が1998年の夏の大会で、3回戦からの3日間でPL学園との延長十七回を含む合計413球を投げた鉄腕エピソードも伝えている。

済美・安楽、米メディアの投げすぎに“反論”「日本の野球はそういうもの」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130402-00000013-dal-base


済々黌との3回戦後、2試合で計391球を投げた球数について米野球専門誌のベースボール・アメリカが「世界で最高の16歳投手の1人だが、正気のさたではない球数」と報道した。この日は138球。3試合で計529球となった安楽は試合後、「投げすぎという印象はない。日本の野球はそういうもの」と、きっぱりと話した。




日本人は子供に個の自立を求めない


日本のスポーツの倫理が根性論なら、アメリカのスポーツ倫理は合理的な未成年保護。かといって日本人の方が未成年に厳しいかというと、逆に甘かったりする。

西洋人は子供時代から個の自立を求めたしつけを行う。日本のように子供が寝るときはさびしいだろうから親と寝ることはない。小さいときから一人で寝ることがしつけられる。スポーツだけではなく、性倫理にしろ、西洋人が未成年を保護するのは過保護ではなく、社会的に生物学的に「未完成な大人」であり保護すべきだからだ。

日本では子供に個の自立を求めない。子供はこのような「未完成の大人」ではなく、集団の中の「子供」と言う特別な存在である。子供のあり方は集団の環境として決まる。環境が許せばいつまでも親のすねをかじる子供のままでよいし、環境が許さなければ、たとえば貧しければ大人のような役割(労働)をさせられる。




西洋人権倫理と日本文化のすれ違い


日本人の根性論はどこからきたのだろうか。その元の一つは江戸時代の儒教的な武士道にたどれるだろう。明治の近代化の富国強兵の中でその精神性は国民に教育された。だからスポーツの中でも相撲、柔道、高校野球という古くからの国民的スポーツで特に根性論は深く根付いている。

現代の日本人の社会的な人権倫理は世界トップクラスだと思う。なんと言っても経済的な格差が小さく、失業率が低く、社会的インフラが発達して貧しくてもある程度豊かな生活レベルを維持できる。このような環境の中で他者を尊重する余裕が生まれる。

それでもやはり人権倫理は西洋文化の中で発達してきたものだ。特に日本文化とすれ違いがちなものが個の自立を前提になることだ。このような中で近年では、パワハラ、セクハラ、禁煙などの繊細な人権倫理が西洋から輸入されてきた。日本人はこれらについて当初、集団の関係の中では許容されるべきだ。そこまで人間関係を繊細にして緊張を生む必要があるのかと、批判した。しかしいまでは西洋的人権倫理のグローバルな流れの中で日本でも受け容れられている。

なんといっても彼らの倫理は個の自立を前提にして社会的に生物学的に「未完成な大人」という科学的合理性で武装されたグローバルスタンダードなのだ。日本人的精神論で太刀打ちなどできない。日本人のロリコン文化抑止も高校野球の投球制限も時間の問題なのだろう。
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