江戸時代の職分主義から明治時代の家族主義へ 慈悲エコノミーの系譜



明治維新司馬遼太郎的な英雄の時代か


明治維新日清戦争日露戦争と、激動の時代。司馬遼太郎的には、英雄の時代なんだろうが、日本は西洋近代化に巻き込まれ、多くにおいて受動的なんだろう。日本人からすると黒船来襲となるが、黒船は黒船で来るべき流れがあった。世界進出に乗り遅れたアメリカが何とか日本は先行したい。かたやイギリスはインド、中国で成功したが、また現地民衆とのいざこざに巻き込まれて、日本まで手が回らない。日清戦争も、またアメリカの中国進出のために日本が踊らされた面がある。日露戦争は、ロシアの南下を阻止するためのイギリスの後押しとか、日本にすれば大きな決断ではあるが、グローバルに見れば、対立構造は日本とロシアのみにあるわけではなく、仮に負けても担保はあるとうような大きな流れの一部として見ることができる。

政治でも、薩長藩閥政権がずっと主導して、憲法制定、衆議院選挙開始しても、簡単に民主化は進まないわけだけど、西洋諸国からすれば、藩閥政権の方がコントロールしやすいということで資金含めたバックアップは大きかっただろう。民主化政党が主導すると、管理が難しくなる。まあ、左派の社会主義は徹底的に弾圧されて、衆議院選挙と言っても財産をもつ一部の人しか選挙権がないし、右派の自由民権の保守系は財閥との癒着が深い。




資本主義は世界を貨幣価値で整流する


資本主義は、貨幣が流れるように世界を整流する。土地、労働力、すべてを商品化する。明治にまず、土地は庶民に分配されたが、商業の推進から、農民への地租税は高く、払えなければ土地を売り、そして地主に労働力を売って収入を得ることになる。まず民衆の反乱は、地租税に対して起こった。特に殖産興業の推進のために、政商たちにただのように、国有産業が売られる。そこに藩閥政府との癒着がある。ここに、いままでにない資本主義的な大きな格差が生まれる。

さらに、産業の発展で、工業化が進み、多くの労働者が生まれるが、彼らの仕事は代替が利く単純な作業であるから、安い賃金、劣悪な労働環境で働かされ、ブルジョアプロレタリアートという経済格差が構造化する。ここに、ストライキなどの労働者運動が生まれ、自由民権から社会主義運動へと移っていく。しかし治安警察法などにより、徹底的な弾圧されて、明治末期には天皇暗殺のアナーキズムまで行き着く。




江戸時代の職分主義から明治時代の家族主義へ


しかし庶民は社会主義までついていくことはない。産業のさらなる発展と、企業側の譲歩もあり、現在の終身雇用、年功序列、系列などの経営家族主義へ移行していく。これは現在も続く、日本人における右派、保守派の強さであり、その後の資本主義における日本人の成功となる。また政府と大企業の密接な関係は継続することになる。

国家神道においても、天皇は神であるよりも、父である家族主義が重視されていく。天皇への敬意って、いまとそんなに変わらないんだろう。やっぱヒステリックになるのは、敗戦間近のことなんだろう。

江戸時代は、武士の一職業であるという職分主義があり、領地、領民は藩が管理し、武士もまた同じ貧しさを分け合った。そこには武士の仁政があり、慈悲エコノミーがあった。世界的な貨幣による整流の流れの中で、この明治末の家族主義への転換は、まさに江戸時代に培われた慈悲エコノミーの再利用だろう。江戸時代の身分制、明治の経済格差など縦の関係に対して、水平の関係としてバランスを取ることで、日本人という一体感を維持する。

実をいえば、個人的自覚が国民の間に徐々に高まってきた明治三十年代の半ば以降、徳冨蘆花の「不如帰(ほととぎす)」が多数の愛読者をひきつけたことからも知られるように、夫婦のあいだでも、愛情の問題が正面から取り上げられるようになっている。それまでは夫婦の愛というようなことは、公然と論ぜられることではなかったのである。同じことは、親子のあいだについてもいうことができる。親子の間では孝という一語で結びつけられていたことからもわかるように、親はただ権威の所在であった。子は親に仕えるのが人たるの道であった。だが、それだけで親子の関係を律していうことは、しだいに困難になってきた。そこで強調されるようになったのが、親の愛情であり、恩情だったのである。
こうして家族主義は、個人の自覚の目覚めについて動揺し、崩壊しようとするとき、愛情を軸として一転回することによって、個人の目覚めを家族共同体のなかに吸収し、家族主義を再編成することに成功するのである。P378-379

軍隊という特殊な社会での実験だけでは、家族主義という見取図による社会関係の再建がうまくいくかどうかは、まだ証明されない。それが雇用という利害が対立する場で実用に堪えるかどうかこそが問題である。というのは、摩擦がいちばん大きくて騒音が高かったのは、まさにこの点だっただからである。
・・・横山はこれに続けて、「教育ある者が増殖せるに従って、職工自身に自覚の風ほの見えてきた」と書いているが、こういう新しい教育をうけた労働者を多数雇用しながら、円滑に経営していくにはどうすればよいか。
ここで戦後の経営者は家族主義に労使関係再建の進路を見出すのである。労使の関係がうまくいかないのはなぜか。それは雇主の意向が従業員に徹底しないからである。従業員の数がふえ、しかもその従業員が頻繁に移動し、昨日いたと思った顔が今日は見えないという状態では、雇主の意思を疎通させるということ自体無理な話である。とすれば、まず第一に努力しなければならないのは、従業員の勤続をできるだけ長くする
ことである。長く働いていればおのずから意思も通じあうことになる。それなら勤続を長くするにはどうすればよいか。こうして日露戦争後急速に普及したのが、日清戦争労働組合が試みて失敗した共済制度を、会社の福利施設として採用する方策である。それは会社の家族である従業員に対する会社の親心として説明されている。P379-381

国への関心が個人主義的思想によって動揺するのはやむをえないとしても、明治国家の公認道徳であった孝との対立で消滅していくとなると、ことは重大である。国共同体への忠誠と、家共同体への忠誠とを、どこかで再調整しなければならなければならない。とくに「上下心ヲ一二」する基盤を、家族主義に求めようとする以上、家族主義と国家主義を矛盾ないものとして、説得できなければならない。
その思想は、実は国家という言葉のなかにすでに用意されていた。国は家の拡大されたものである、それゆえに国は国家なのだということである。たしかに国には権力的な側面と社会的な側面とがある。日本では社会の構成原理は家族関係におかれてきたわけであるから、国もその側面では、家族の拡大されたものと解釈されることは、ある意味で当然であった。こうして家と国家とは同心円となり、国は家を包むものとなったのである。そうなれば忠孝一如である。P386

日本の歴史〈22〉大日本帝国の試煉 隅谷三喜男 中公文庫 ISBN:412204703X