英文学と大衆小説の公分母

幻想と怪奇の英文学

幻想と怪奇の英文学

御恵投深謝。
E・M・フォースターが、ストーリーとプロットの作法について論じたかの有名な文章で「ミステリー」についても触れているのは、すでに人口に膾炙した話だろうか。ミステリー、つまりは謎。この際、ヒッチコックの「マクガフィン」でもいいし、ポオの「盗まれた手紙」でもいいだろう。ある物語が読者によって読まれうるものになるための必要条件は、ストーリーの巧妙なプロッティングによって生じる「謎」である。「謎」というとやや大仰だけども、読者の期待値と言い換えればより親近感を覚えてもらえるだろうか。主人公がこれからどうなるのか、この文体はなぜこんなに昏いのか、どうして晴れた空に雲が浮かんでいるのか、この語り手はいったい何者なのか。どんな物語であっても、読者はなんらかの期待を抱いてページを繰る。裏を返せば、期待を抱かせずに読者にページを繰らせるのは物書きにとって至難の業だし、どんな文章であっても期待を抱かない読者が存在することを想像するのも難しい。少なくとも読者にある物語を読みつづけてもらうえるかどうかを決める分岐路が、読者の発見した期待に物語がいかにして応え、あるいはそれを意想外の方向へと裏切り、新たな期待を持続的に読者にもたらしてくれるか否か、という天秤とほぼ同義なのは間違いない。
「幻想」と「怪奇」、ファンタジーやゴシック、ホラーといった要素は、読者に期待を抱かせるための演出装置の代表格だと言えるだろう。しかしながら「幻想」や「怪奇」というのはえてして安易なレッテルに落着してしまいがちだし、高尚な文学芸術とは一線を画す大衆文学の数多あるジャンル名のひとつとして趣味や嗜好へと身をやつすこともしばしばだ。おそらくこの論文集は、「幻想」や「怪奇」を、ひとつの作品を性格づけるジャンル名や厳密な定義を必要とする専門用語として用いるのではなく、貴賤問わず複数の作品間を浸潤する、より普遍的な読者の期待値操作の装置(あるいはさらなる謎を誘う煙幕)として再考しようと試みる一冊に違いない(特にあとがきに代えた対談はそのように読めた)。本書を一読、わたしには幻想や怪奇が「謎」というシニフィアンの変名であり、あらゆる物語の公分母の位置に憑いた亡霊のようなものに思えた。
以下、簡単にご紹介。

金津和美「分身:ジェイムズ・ホッグと芥川龍之介」は両者の宗教と文学をめぐる知られざる関係について。
下楠昌哉「美しき吸血鬼:須永朝彦による西洋由来の吸血鬼の美的要素の結晶化」はベラ・ルゴシ的吸血鬼イメージの傍流をなす、美しい吸血鬼序説in須永朝彦作品。
大沼由布「幻想のアマゾン族:古代から中世への変遷」は『イーリアス』から中世に至るアマゾン族の表象の変遷について。
小宮真樹子「神の祝福か、悪魔の呪いか:魔術師マーリンの予言」は神と悪魔のあいだで揺れる魔術師マーリンのルシフェル的表象について。
岩田美喜「舞台に現れた死者たち:初期イングランド演劇に見る<幻想>の萌芽」は初期近代イギリス演劇において亡霊が宗教から独立する瞬間について。
小川公代「アン・ラドクリフ『イタリアの惨劇』における幻想性と怪異感」は、ラドクリフ作品のなかに潜む合理的に説明されてもなお余剰として残る幻想的なものについて。
金谷益道「血と病と男たちの欲望:トマス・ハーディ「グリーブ家のバーバラ」の彫像」は、血(統)抜きの彫像とパラフィリア、そして枠物語の機能について。
田多良俊樹「植民地の逆襲と、あえてその名を告げぬ民族主義:オスカー・ワイルド「カンタヴィルの幽霊」の喜劇性、ゴシック性、政治性」はメタ亡霊譚、その楽屋落ち的喜劇性の背後に秘匿された政治性について。
有元志保「超自然のもたらす「リアリティ」:ウィリアム・シャープの「ヒラリオンの激情」とフィオナ・マクラウドの「森のカハル」をめぐって」は、シャープの作品とマクドナルド名義の作品にある幻想が共通項として現れる点について。
臼井雅美「クローン人間創世記:カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』」は、クローン養成施設を舞台にした人間の非人間性=怪物性について。
桃尾美佳「幽霊たちのいるところ:エリザベス・ボウエン「猫は跳ぶ」に見る幽霊屋敷の系譜」は見慣れた日常が不気味なもの(フロイト)に浸食されている家について。一見フツーの語りのなかに潜む亡霊の所在を突き止める秀抜な読み。
高橋路子「恐怖と欲望の操り人形:アンジェラ・カーターのカーニヴァル劇場」は生き人形という人間と人形とが分離不能ないつまでも続くシュミラークルとカーニヴァルの世界を構築しながら、同時にその神話の解体を暴露する演劇空間の力学について。

なお本書には、編者のひとり東雅夫による前口上、各論稿で俎上に上った幻想・怪奇文学の紹介、さらに読み進めたい読者のためのブックガイド、東雅夫下楠昌哉の対談、インタヴュー形式の執筆陣紹介も含まれている。装丁も含め、おもしろい構成の一冊だと思う。