あっというま

ほんとに1日1日があっというまで。
ぬるま湯のような生活をしているんだけど、
自分はこの状態はとっても幸せなんだけど、
ずっとこんなままいられるのかほんとにと疑心暗鬼。

家でも映画館でも好きなだけ映画見て、
美術館やギャラリーも行きたいだけ行けて、
本もいつだって読める。

これが望んでた人生ではなくて
多分昔の自分に教えたら「ええー!」って言われそうだけど、
すごくラッキーな場所にいる。

努力することをやめても幸せでいられるんだろうか。

けっきょく

わたしばっかりが損してる気になるのはなんでだろう。

ものすごく冷静に考えればわたしのほうが
ぜんぜん好き勝手にしていて
でもなんか全く満たされない。

もう先が見えている気がするからなのかな。
ここから一発逆転なんてもうありえないって気がするのかな。


単に「現実が見えてない」でなんでもかんでも
片付けられるこの日常はすごく退屈。


にげだしたくなるよ。

たいふう

わたしのだんなさまは台風で電車が止まって
テンションあがっちゃって家までの2.8キロを
傘をぶっこわしながら嬉々として帰ってくるような
タイプの人間です。


連休中に思わず買っちゃった
『働けECD』が思いのほか心にぐっときてしまって
時々涙ぐんでしまったり。

働けECD わたしの育児混沌記

働けECD わたしの育児混沌記

「家族」というものはどんなときにもついてくるけど、
あらかじめできあがっている家族の中に
突然登場する「子供」という立場と、
家族という形態を作り出そうとして、
だれかと一緒に暮らし始める「妻」という立場では
こんなにも違うものだったのかと、
いまさらながら驚く毎日で、
自分はなんてあまちゃんだったんだろうと反省しきり。


相手に多くを求めてしまう。
この人の欠点はここだとあらかじめ見当はついていて
その範疇以内のできごとであるのに、
繰り返しそのことについて注意してしまう。
でもむこうからしたらきっとただうるさいだけだと思う。


でもでもでもでもがまんできるほど大人じゃない。

けっこん

結婚をしました。

「この家の子」でなくなった現実をいまだに受け入れられません。
本当に苦しかったし、いまももがいてる。


20年以上過ごした自分の部屋に片付けをしていて、
新居に持っていけないから捨てなくちゃいけない、
本とかCDとかおもちゃとかたくさんあって
でも本当はこれが今のわたしを成り立たせているものなのにって
ずっとずっと考えてて。


手続きで帰ったときにも母親に「またね」って言われて、
そのひとことといまだにうまくつきあえない。


365日ずっと顔を突き合わせていて、なんでも話していたのに、
どうして急に死ぬまでにあと何回会えるんだろうなんてことを
考えなくちゃいけなくなるんだろう。


結婚てどうしてこんなに
いままでの自分を捨てなくちゃいけないんだろう。
新しい生活は楽しいこともあるけど、
でもやっぱり生活習慣の異なる人と暮らすから
たくさんストレスもたまるし、思うようにはならない。


否応無く大人にさせられる。
大人の自覚なんてないのに。


どうしたらいいかわからない。


よしゅう

フジロックがなんか売名行為に使われてるっぽいね。
どういう了見なんでしょう。
それにつられて「フジロックおわった」とか書いてる人の
あんまフェスとか行ったことないかんじったら。


なんでもそうだけど、知らないなら文句言うな。



わたしはたのしみだよ。
フジロック
毎年「今年はもういいかも」って思うけど、
やっぱり行きたくなってしまう。


前夜祭ははじめて不参加だけど、今年でフジロック10年生。
10年間も飽きもせず行ってることにも、
その間なにも成長してない自分にも驚く。
でも高校生から、大学生って肩書きみたいなのだけは変わってる。


今年は「これだけは超みたい!」っていうのがTHE MUSICぐらい。
でもYMOとかやっぱ心がざわめくし、
バトルスもうれしいし、
でも星野源からうまく移動できるか不安だし、
あら恋はビール飲みながら踊りたいし、
ケミカル兄弟を苗場で観るのも久しぶりだし、
高校生の時のアイドルのATRで暴れたいし、
みたいのはたくさんあるよ。


あと1週間!
準備しなくちゃだ!


今年は宿も苗プリじゃないしいろいろ勝手が違いそうだけど、
最大限に楽しみます!