Hatena::ブログ(Diary)

pineleafの雑記帳(仮)

2012-05-23

「市川理論」というワラ人形

市民のための環境学ガイドに、以前取り上げた市川定夫氏の主張(当ブログでは、これについてはここここで吟味した)に対する反論と称する文が掲載されていた。

前にも書いた通り、市川氏の主張は本質的におかしいわけではないが、これはごく当たり前の点だけを説明したもので、これを聞いただけで放射線リスクについて分かるというものではない。しかし、この動画を持ち出して、実効線量などの理解を欠いたまま人工放射性核種と自然放射性核種は比較できないなどと誤解し、人工放射性核種の危険を訴えている人はネット上に少なからずいる*1。単に「人工放射性核種は蓄積するから危険」では、何も分かっていないのと同然である。

(この筆者である安井至氏も言うように)こうした人にとってはカリウム40が人体に一定量あるという事実は邪魔なのだろうか、彼らはカリウムの存在が人工放射性核種に比べて問題ではないという理屈を何とかひねりだそうとして、このような誤解に固執するのだろう*2。だから本職の科学者でもある安井氏なら「人工放射性核種は人体に蓄積される、自然放射性核種は人体に蓄積されない」という誤解をきっちり批判してくれるだろうと期待して読んだ。

しかし、私はこれを読んで落胆せざるを得なかった。これほど杜撰なものだとは!この「反論」なるものは、「市川氏は『人工放射性核種は人体に蓄積される、自然放射性核種は人体に蓄積されない』と主張している」という誤った前提に立ってなされている。安井氏はこの主張を「市川理論」と呼んでいるが、これは市川氏自身が唱えているのではなく、前に指摘したようにむしろ彼の言っていることを中途半端に理解した者が生み出した誤解の産物と呼ぶべきものだ。だから、それに対して"市川氏に"反論しても無意味なのだ。

安井氏は、どうやら市川氏の講演動画そのものではなく、それを書き起したサイトの記述だけを参照して書いているらしく、市川氏の主張を正確に理解できていないフシがある。そのためか、ところどころ(その科学的内容としては正しくても)的外れな反論が散見される。ここでは、そのいくつか指摘しておきたい。

本記事は市川氏を擁護することを目的としたものではないが、安井氏の批判は、批判対象をことさらに無知、無理解であるかのように印象づける手法と感じられるため、これをよりフェアな立場で検証してみることを目指す。

以下の引用は、書き起しサイトの記述を青、安井氏の反論を赤で表記する。私のコメントは黒で記述する。

さて、このセシウムというのには、残念なことながら天然のセシウムというのが無いんですが、

 残念ながら、正しくないんです。ここまでウソをつくのか! 可能性は少ないが、単に知識がないのかと疑ってしまう。それとも単に表現が不正確なのか。

元の動画(こちらにリンクあり)を見れば明らかだが、市川氏は、はっきりと「天然のセシウムには放射能のあるやつはないんですが…」(1:53あたり)と、正しい事を言っている。書き起しサイトが誤った形で市川氏の発言を記述したのを安井氏が鵜呑みにしてしまったようだ。

私達が本当に比較しなければならないのはこっちなんです。「人工放射性核種と自然放射性核種」。

 「核種」という言葉がでてきた。核種は正確な表現であるが馴染めないかもしれない。「人工放射性核種と自然放射性核種」=「同一元素の人工放射性のものと自然放射性のもの」という意味なので念のため。以下、そう置き換える。

普通に考えれば、市川氏は「人工放射性核種と自然放射性核種」という用語を、ここでは単に「(セシウムなどの)人工的に作られた放射性核種と、(カリウムなどの)自然界にもともと存在する放射性核種という意味に使っている。「同一元素の人工放射性のものと自然放射性のもの」と解釈する必然性がどこにあるというのか?

さっき言ったカリウム40といったものが、天然に昔からあったのです。そういう危険なものがあったら全生物は蓄えない、という形で適応しているわけです。

 これは大嘘。ちゃんとすべての生物は蓄えている。

「蓄える(蓄積)」というのを「体内に残さない」という意味にとればそうなるだろうが、市川氏は「体内の残存量が増えない」という程度のニュアンスで使っているととれることは、こちらでも述べた。(市川氏のこういった言葉使いが紛らわしいのは問題ではあるが)

そもそも、こちらの記事では、同じ部分に対して、安井氏は「カリウム40を『特別に濃縮して蓄えるということを生物はしない。そんな生物はいない』なら正しい。」とコメントしているのだから、この文を書く前にもう少し考えればこの「蓄えない」と言う言葉の意味には気づけたと思う。

 安全だったからそういう性質は貴重な優れた性質になり得た。ところが、その安全だった元素に放射性の核種をつくったらダメなんです。
 濃縮するものを考えてみると、いままでその元素には放射性がなかった。そういう元素に放射性のものを作ったときに濃縮する。


 濃縮するかどうかは、元素の種類によって決まっている。放射性かどうかは無関係。

市川氏は「放射性核種だから濃縮する」と言っているわけではなく、生体に濃縮される元素に放射性のものがあると、その放射性物質が体に濃縮されてしまう、ということを問題にしているだけである。

また、市川氏の著書では、原発の問題について論じているところで「希ガスである放射性キセノン、放射性クリプトンは生体に蓄積されない」と記述されており、「濃縮するかどうかは、元素の種類によって決まっている。放射性かどうかは無関係」であることを彼が理解していることは明らか

セシウムも、天然のものはカリウムと一緒に入ってきても非放射性ですから、何も怖いことはない勝手に入りなさい。ね、
 
 あれあれ。先程と矛盾している。「さて、このセシウムというのには、残念なことながら天然のセシウムというのが無いんですが」、と語っていて、今回は、天然のセシウムがあることになっている。この矛盾に気づかないのか、それとも天真爛漫なのか。

矛盾でも天真爛漫でもなく、これは市川氏の元発言を確認していない安井氏のミスである。

ところが、放射性のセシウム原子炉が作り出すものだから、これも今言ったようにジワジワ蓄えられてしまう。

 蓄えられるかどうかは、元素特性が決めている。セシウムの体内での代謝速度が、そのサイズの大きいためにカリウムよりも遅いからであって、人工放射線核種だからではない。

もちろん、市川氏はそれくらい分かっているだろう。自分で「セシウム代謝速度がカリウムより遅い」ことを説明しているのだから。

これまでその元素に放射性がなかったものに、放射性のものを作ったときに、濃縮する。それが人工放射能の濃縮。

 これも嘘。人工放射能だから濃縮されるのではない。例えば、ナトリウムナトリウム23が存在率100%で、ナトリウム22は放射性であるが天然に存在しない。ナトリウム22(半減期2.605年)を摂取したら、ヒトはそれを濃縮するだろうか。市川氏ならイエスというだろうが、そうではない。全身にくまなく分布している天然のナトリウム23に均等に混ざるだけ。

当然、市川氏もノーというだろう。

ここでもそうだが、安井氏の反論は、相手が全体としてどんな主張をしているかということを見ずに、個々の発言を切り出して、それに対する揚げ足取りに陥ってしまっている部分がある。文脈をみれば、市川氏が問題にしているのは「生体に濃縮されるような元素に放射性の同位体があると、その放射性核種が体内に濃縮されてしまう」ことであるのが分かるはずだ。

市川氏の主張は、一部分を取り出してその正誤を批判すればよいというものではなく、むしろその全容を理解した上で、例えば

「市川氏の説明は、文字通り受け取ると『人工放射能だから人体に蓄積する』といっているように解釈されてしまうかもしれない。これは『元素の中にはヨウ素ストロンチウムなど人体に蓄積されやすいものがあるから、それに放射能をもった核種を人工的に作ると、人体に蓄積される放射性核種ができる』といったふうに説明するべきだった」

などと批判すべき性質のものだと思う。

昔は、人工放射能と自然放射能は同じようなものだと考えられていた時が一時期あった。私もそう習ってきたしそう思っていた。

 これが今でも事実。市川氏は、いつまでそう思って、いつ考えが変わったのだろう。
 なお、ここから「人工放射能」と表現が変わっているが、厳密には「核種」が正しい表現。

ここでは市川氏も「放射能」ではなく「放射性核種」という言葉を使うべきだった。だが、こちらでも書いたように、市川氏が問題にしているのは"人工放射性核種も自然放射性核種も、そこから出た(線種が同じ)放射線が「人体に与える作用」は同じであるが、「体のどの部位にどれだけの被曝を与えるか」は核種の挙動によって違いが出てくる"という点であり、「人工放射能と自然放射能は、その放射線が人体へ作用する仕組みという意味では同じ」ことは否定していない。

放射線の問題にしていく。人工の放射線でも例えば医療放射線を出してきたり、天然に宇宙から飛んできている放射線も、放射線放射線で皆さん傷つけているんですよ、人工にも自然にも差はありませんよ、と。
 放射線を取り上げたら差はありません。ここには差はないんです。だけど放射線が同じか違うかでは無かったんです。放射線を出す能力を持った放射性核種が、我々の中で蓄積するかしないかの違いなんです。


 蓄積するかどうか、それは元素の種類が決めることであって、放射線の有無や、「同一元素の人工放射性のものと自然放射性のもの」という違いが決めるものではない。
 (中略)市川氏は、その後の生物学生化学、さらには医学をどの程度理解しているのだろうか。いささかの疑問はある。しかし、大学教授の職にあった人である。生命現象の基本が化学反応であることぐらいは、きちんと理解している可能性が高い。とすれば、本講演では、意図的に嘘を付いていることになり、科学者・教育者の風上にも置けない人物だということになる。

この引用箇所をどう解釈したら、「蓄積するかどうかは『同一元素の人工放射性のものと自然放射性のもの』という違いが決める」と読めるのだろうか。安井氏は「人工放射性核種と自然放射性核種」という表現を(この文脈においては)「同一元素の人工放射性のものと自然放射性のもの」と解釈することはできない、ということに気付いていない。

結局、安井氏はここで

  1. 他人が使っている用語(「人工放射性核種」など)の意味を勝手に定義し、
  2. 相手の発言そのものではなく、それを誤って記述した資料(書き起しサイト)を参照する

という誤りにより、自分が作り上げた「市川理論」というワラ人形を批判していたにすぎないのである。素人の私でさえ、動画を何度か見返したり市川氏の著書(古本屋でたまたま見かけたたけだが)にも目を通すだけの手間をかけて調べたというのに、プロであるはずの安井氏がこれでは"手抜き"と言われても仕方なかろう。「市民のための環境学ガイド」が長年、有益情報発信を行ってきたことを考えると、このような記事が掲載されてしまっていることは残念でならない。

市川氏の著書(原子力に関する部分)を見た限りでは、彼は(現代の教科書に書いてあるレベルの)基本的な生物学生化学の理解ができていない様子はない。「嘘をついている」ように見えるのは、用語の解釈などに食い違いがあるために単に安井氏が市川氏の主張を正しく理解できていないだけの話である*3。それに気付きもせず、他人を「科学者・教育者の風上にも置けない」などと評するにいたっては、もはや単なる中傷というべきだろう。

上でも書いたように、放射能・放射性核種という用語が明確に区別されずに使われるなど、市川氏の説明はあまり明晰なものとは言えない。このため、放射線のことをよく理解していない人でも理解している人でも、これを聞けば誤解が引き起こされてしまうのはやむを得ないとは思う。理解している人はこのように的外れな批判になっていることが多いし、理解していない人はこの動画を都合良く曲解して利用している。*4

しかし安井氏のように、少なくとも科学的には正しい批判を加える能力のある科学者なら、むしろ「人工放射性核種は人体に蓄積される、自然放射性核種は人体に蓄積されない」というように誤解している人に対し「それは違う、市川氏は正しくはこのように主張している。しかしこういう説明では誤解されやすいから、ここをこのように説明すればもっと適切であった」などというように、正しい理解を促すべきではなかっただろうか。

【追記】
市川氏の動画については、京都女子大学の小波秀雄教授が批判を書いている。
人工放射線は自然放射線よりも危ないか

ここで小波氏が参照している動画は、以前の記事で参照した動画にあったものと異なり、説明のうち一部はカットされている。そのため、小波氏の誤解もいくつか見られるものの*5、市川氏の主張における問題点をおおむねうまく指摘できていると思う。

*1:放射性核種リスクについて考える上で不可欠な実効線量などの概念に言及せず、市川氏の主張だけを持ち出してくるような人はまず信用できない(信用に足るだけの知識をもっていない)とみなして間違いない

*2:特定の人工放射性核種が危険だと主張するなら、例えば「セシウム137を…ベクレル摂取すると実効線量は〜mSvとなり、カリウム40が○ベクレルある場合より実効線量は**mSv大きくなるから、よりリスクも大きい」などと言えばよいのに

*3:人体影響にたいして人工・自然という違いは本質的なものではない、ということを市川氏が強調していないのは問題だとは思う

*4放射線リスクについて本当に知りたいなら、やるべきは本を読むなりして地道にでも理解していくことであって、市川氏の動画を見ることではない。

*5:市川氏はヨウ素アナロジーセシウムの蓄積を問題にしているわけではないし、この動画では別の部分でチェルノブイリ事故に言及していることから、これが録られたのはせいぜい20数年前のはず

サキサキ 2012/07/14 15:31 市川氏を擁護するあなたの言語理解力に大きな問題があるということがよくわかりました。

pineleafpineleaf 2012/07/16 19:14 >サキ さん

よく読んでいただければ分かるように、本エントリの主旨は「市川氏への不適切な反論」に対する批判であって、市川氏の擁護ではありません。本文にもあるように、私自身も市川氏には批判されるべき点があると思っていますので。

また、私の言語理解に問題があるというのは、どこを読んで判断されましたか。私の理解のどこかに誤りがあったのでしょうか?

ゆ 2017/11/19 02:33 市川定夫氏を検索すると、なぜかトンデモ扱いをされていて驚きました
こちらの記事で事情がよく分かった様に思います
大変助かりました(^-^)
ありがとうございます

スパム対策のためのダミーです。もし見えても何も入力しないでください
ゲスト


画像認証

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/pineleaf/20120523/p1