不安なんてなかった。

東京駅の構内を、京葉線のホームを出てから走った。


中学校の同級生二人と、私の3人。横には重たい重たいスーツケース。
成田空港に向かう電車、成田エクスプレスが停まっているホームを目指して、歩く歩道の上も走る。


2000年の7月の終わり、18歳だったあたし。アメリカ留学へ出発のその日。
前日から舞浜にある友達の家に泊まりこみ、余裕で出発するはずだったのに何であんなに急いで走らなくてはいけなかったんだろう。今となっては思い出せない。


高校生の女の子にしてみたら、1年間の留学なんていうのは今までの人生で1番のビックイベント。大きな決断と大きな希望を胸にして、両親はおろか、親戚一同の期待と不安を背負っての交換留学になるのが普通。


良くも悪くもウチはそうじゃなくって、親はあたしの留学に無関心。いや、今思えば「親がしゃしゃりでないといけないような娘だったら留学なんてできるわけがない」という娘への気持ちから、放任ですべて娘自身の決断と行動を尊重してくれていた。


なんとか間に合った成田エクスプレスに乗り込み、手を振る友人たちに別れを告げ、あたしは一人成田空港に向かった。


空港には、同じ留学機関を使って同じ日にアメリカに飛び立つ同期生がたくさん。親と最後の別れを惜しんでいて、泣いている子もいっぱい。留学前の研修で友達になった福島県出身の子もいた。親は見送りの為にわざわざ福島からでてきたのか!と驚きながらも、よく見たら一人で来ているのはあたしくらいなもんだった。


急に、さみしくなる…わけもなく、フン、みんな子供ねー、なんて冷めた目で見ながら、出発の時間を一人ソファに座って待っていた気がする。


留学に対して不安なんてカケラもなかった。今だからそう言えるんじゃない?なんて誰かに言われても、実際そうだったんだからしょうがない。子供だったから、これから待つ脅威や危険なシーンがなにもイメージできなかったというのはあるだろう。ちょうど1年前の一ヶ月間のカナダ語学留学が最高に楽しくて日本に帰るのが体が締め付けられる程苦しかった思いでもあるだろう。


とにかく、嘘偽りなくこれから始まる1年間の留学に何の不安もなかった。ただただ、アメリカでの生活が楽しみで夢いっぱいで、そして卒業後の進路を決めるという大きな決意を持って、あたしは一先ずロス行きの飛行機に、同期と一緒に乗り込んだのだ。

あたしの思い出整理

これから少しずつ、17歳から24歳までの自分を整理しようと思います。


今の自分を形成したひとつひとつの思い出を、いつか忘れてしまう前に書いておきたい。順番はバラバラになるだろうけれど、今みたいに数か月に一度の更新になるかもしれないけれど…。でも書きたい事はいっぱいいっぱいあるから少しずつ書いていこうと思います。


どうぞ、お付き合いください。