ひとりは楽しい
とか言う時点で間違ってるのか。そうなのか。今日から来るはずだった次年度の事務の人は、「今週来ても私仕事ないみたいだし、監査終わった26日の午後から来ることにするわー」と言ってお帰りになりました。すばらしい。いないほうがそりゃ気楽でいいんだけどさー、いちおう仕事なんだからいたほうがいいんじゃないのーって思っちゃった。いなくていいけどね。というわけで今週はまた午前中はひとりなのだ。ラッキ。
9月の京都・静岡・東京行きの日程を考えているんだけど、どうしてもうまくいかない。9月22日に面接があるから21日には帰ってこなくちゃいけないというのがいちばんのネック。13日には行ってみたいライブが東京であって、たぶん20日はOB会になるんだろう。本当は名古屋にも行ってみたいんだけど、そんなことできるかなー。なによりお金が続かなさそう。しかも9月車検もあるんだよなあ。わームリムリ。つか、交通費だけでいくらかかるんだよ…。御殿場のアウトレットにも行ってみたいけど、また今度かね。
「それは、肉体の一部となり、精神の羅針盤となった。」
須賀敦子の『遠い朝の本たち』を読了。須賀敦子を読むのはこれが2作目なんだけれど、1作目を読んだのがたぶん2年前くらい。すごくしゃんとしているんだけど、その姿勢が当時の私にはちょっと難しかった記憶がある。なんとなくとっつきにくいというか。その感じは今でも残っているんだけど、そのころよりはもっと読めたかなと思う。
本を読むのが好きな人って、きっと小さいころから好きなんだと思う。もちろん例外はあるだろうけど。だから本についての記憶も鮮やかなんじゃないかなあ。須賀敦子の場合は、それがたとえ児童用の本だったとしてもすごくまじめに読んでいるような印象を受けた。そして本に学んだことや思ったことをきちんと覚えている。たくさんの記憶と本がちゃんと結びついてるんだなあ。こんなふうに記憶にとどめてもらったら、読んでもらった本も満足だろう。この人の作品は、背中を丸めて読んじゃいけないような気がする。そういう意味では、白洲正子に通じるものがあるかも。もうちょっと読んでみようかなあ、この人の作品。
- 『遠い朝の本たち』(須賀敦子著、筑摩書房) ISBN:4480814094
うずまき猫はどこにいる
村上春樹の『うずまき猫のみつけかた』を読了。村上春樹のエッセイは好き。小説は好きなのかどうかよくわかんないんだけど(だって読了してるのすくないもんなー)。エッセイだと、村上春樹っていろんなことに小さい声で(ここ重要)ぶつぶつ文句いってるような感じしない? 私だけ? 「どうせ聞いてくれないんだろうけど一応言ってみよう、ぶつぶつ」って感じ。わーって気色ばんで怒るんじゃなくて、「えー」って言いながらこれを書いてるような。すごく力が抜けていて、でも見ているところはすごくいいところ突いていていいなあと思う。脱力感がいいのかなー。村上春樹のエッセイは、やっぱり好きだ。
- 『うずまき猫のみつけかた』(村上春樹著、新潮社) ISBN:4103534060