戦慄の料理書

 久々の読書記録。
○秋草俊一郎編訳『ナボコフの塊 エッセイ集1921-1975』(作品社)・・・書評、とか『ロリータ』関係とか、主題で分類されている。ごく平俗な意味で面白いのはソヴィエト作家への痛烈、というより猛烈な悪罵のところ。百パーセントナボコフに理があるのだが、少々品が悪い口ぶりで御用作家の愚劣悪趣味不誠実を執拗に暴きつづけるのを見てると、なんだか貶しつけられている作家連中が気の毒になってくるほど。反対に精緻に玩賞すべきは『オネーギン』を取り上げての翻訳談義。「意味を完全に移しえない翻訳には存在する価値がない」という立場から、ナボコフはこの作品を英訳するにあたり、脚韻の使用を断念した。結果、これに噛みついたエドマンド・ウィルソンと論争に至ったのは有名なエピソード。どちらが正しいかは決めようもないけれど、骨の髄までしゃぶり尽くすようなナボコフの吟味の手つきは見ものです。
○橘宗吾『学術書の編集者』(慶應義塾大学出版会)・・・名古屋大学出版会はものすごく打率が高い(当方なぞ人文系統しか読んでませんが)。筆者はその仕掛け人。ジャーナル論文の寄せ集めではない「書物」を造るには、編集者の企画力が必要不可欠なんだな。
岸田秀『日本史を精神分析する  自分を知るための史的唯幻論』(亜紀書房)・・・岸田唯幻論による史論の大成的一冊。某隣国のヒステリック(かつ不作法)な騒ぎの原因を「抑圧されたものの回帰」で割り切っちゃうという乱暴さが、むろん読みどころ。気に入らないところもある。たとえば原発などの問題を問われて「今の日本人にそれが出来るかどうか」と答える、この口つき。一挙にしらけてしまう(言うまでもないが、原発の賛否自体を論うのではない)。刺戟的な暴論のはずが、なんだかネットやテレビのもっともらしい解説に見えてくる。
陳舜臣『天空の詩人 李白』(講談社)・・・遺稿集ということになるのか。杜甫でも李賀でもなく李白ってところがなんとなく陳舜臣さんらしくて、いい。前半は李白詩の評釈で、後半は陳大人の詩集(もちろん漢詩)。こちらの方が面白い。
○鎌田浩毅『地球の歴史 上中下』(中公新書)・・・話術が巧み。なんでも理系向けの文章読本書いてる人なのだそうな。人類誕生を叙する下巻よりも、虚空でどすんばたんと星同士がぶつかって、やがて一つの星を形成していく上巻が読んでいて一等興味深かった。ふとパスカルがおぼえたような戦慄が身ぬちを走り抜ける。
○持田叙子『歌の子詩の子 折口信夫』(幻戯書房)・・・安藤礼二とどうしても比較してしまう。淡味というより薄味だなあ。新全集の校訂・解題に携わっていたのだから、もう少し細やかな知見をじっくり語ってほしかった。
塩村耕編『三河岩瀬文庫あり 図書館の原点を考える』(風媒社)・・・小冊子だけど、中身は極めて濃い。「細やかな知見」一つ一つがじいわり効いてくる。本好きの人間は読んでおいて損はない。
○アメリア・レイノルズ・ロング『誰もがポオを読んでいた』(赤星美樹訳、論創社)・・・題名といい章題といい、いかにもリヴレスクなミステリだが、はて聞いた事の無い作者だ・・・と思って解説を見たところ、これが凄い。ぜひ実物にあたることをお薦めする。フレーズを一つだけ引くと「二回読みたくなるなんてことを決して考えないならおすすめ」(うろおぼえ)。こんな惹句(反惹句?)が溢れている、じつに愉快な文章です。さて実物の出来栄えはというと・・・ま、実物をお読みください。(笑)。
○菅野昭正『明日への回想』(筑摩書房)・・・端正な文章。こういうのが書けるひとでないと、「品格」などというオソロシイ言葉を使ってはいけないのである。
○柴田日本料理研鑽会、川崎寛也『料理のアイデアと考え方』(柴田書店)・・・シリーズ二冊目。これは京都の料理人が寄って、テーマとなる食材でオリジナル料理を作り、それを全員で食べて論評し合うという形式の本。どうです、聞くだに身の毛もよだつような趣向でしょう。もちろんさすがは京料理の代表的な面々で、うーんと唸るようなレシピもたくさん教わったが(皆さん新しい食材・調味料、そして調理技術・道具の導入にじつに熱心)、「本」としての読みどころはそこにはない。誉められたもんではない一品が出たときの、皆さんの批評の苛烈さ。ほとんどホラー小説に類する。またね、失敗の多い某氏が、「それで、そんなんしたら絶対突っ込まれるやん!!」という料理をこさえてくるのである(妄言多謝)。案の定次のページではクソミソに言われている。なんというか、「志村ーっ、うしろーっ」と金切り声を上げたくなるような情景なのでありました。
○八木沢敬『「正しさ」を分析する』(岩波現代全書)・・・八木沢敬さんの本は、専門的な論文は除いて、結局全部読んでいるのではないか。分析哲学が性に合うわけではないと思うんだが。まあ、ファンといっていいだろう。今回は題名通り、「正しい」の意味・あり方をとことん理詰めに明かしていく。どういうことかというと、《「水星は金星より小さい」という言明が正しいのは、水星が金星より小さいからである》ということを延々と論証していくのである。「アホか」と思った人はスリリングな知的舞踏の愉しみを知らない人である。理で追い詰めたあげくに、直覚的な我々の存在そのものへと回帰していくところも、哲学の本には変な形容ですが、剛直でよろしい。
養老孟司『身体巡礼』『骸骨考』(新潮社)・・・これは養老身体論の集成と言うべきか。ヨーロッパにおける身体(正確には死体)、特に心臓へのやけに生々しい固執の謎を考えたあげくに、「分からんものをそれなりにしておくカトリック」はすげえなあと関心している養老先生の“結論”に、反語でもなんでもなく感歎する。そ、プロテスタントなぞどうでもいいのです。しかし、面白いのは話があっちに飛び、こちらを周り、いつの間にかぐいーんとでかくなっている、文章の奇にして妙なる味わい。自由自在、という感じ。
 その他。
戸板康二『名優のごちそう』(皆美社)
○河合正治『足利義政と東山文化』(「読みなおす日本史」、吉川弘文館
井野瀬久美恵大英帝国という経験』(「興亡の世界史」16、講談社)※このシリーズ、ヒット率が高い。
○ケネス・バーク『象徴と社会』(森常治訳、叢書ウニベルシタシス、法政大学出版局
鈴木健一天皇と和歌 国見と儀礼の一五〇〇年』(講談社選書メチエ
○小佐野重利・京谷啓徳・水野千依『百花繚乱のイタリア、新たな精神と新たな表現』
○大野芳材『17―18世紀 バロックからロココへ、華麗なる展開』※両者とも以前紹介した「西洋美術の歴史」シリーズ。中央公論新社。書き手によって差が出るのはやむを得ないとして、全体に見れば水準が高い(一般読者への本として)のではないか。
○楠家重敏『幕末の言語革命』(晃洋書房
今日泊亜蘭『最終戦争 空族館』(ちくま文庫
○アレックス・カー『犬と鬼 知られざる日本の肖像』(講談社学術文庫

 今回もやけに小説が少ない。グラシアンの『エル・クリティコン』とイラーセク『暗黒』というやたらと長い小説(前者は寓意物語と言うべきか)にかかり切りなのである。グラシアンは贔屓役者なので、そのうちじっくり書こうと思う。
【ランキングに参加しています。下記バナーをぽちっ。とクリックしていただけると嬉しう存じます!!】
にほんブログ村 料理ブログへ
にほんブログ村

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村