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2014-03-11

あの日のこと

| 01:51 | あの日のことを含むブックマーク

あの日から、3年が経ちました。

もう3年。まだ3年。ふたつの気持ちが、交互に押し寄せてきます。

わたしはあの日、何をしていたのかな。ツイログという便利なツールで、あの日のわたしを振り返ってみました。

【いいとも】しんちゃらが論外出して運び出されてしもたよ「もうアルタにいないとかヤなの!!」

posted at 12:50:34

ああ、覚えてる。オードリーとオリラジがレギュラーの楽しい金曜日で、当時無職だったわたしは家でのんきにいいともを見ていたのだった。ほんとうにのんきだった、2時間前。

実家に帰っててよかった…うちの実家割れもんばっかだから焦ったよ…そしてまるで動じないうちの犬

posted at 15:01:37

まだただの大きな地震だと思ってた時間。母親が集めた食器であふれかえる家の、いったいどれを押さえればいいかわからずに戸惑っていた記憶があります。そしてあんなにガタガタ揺れてたのに2匹ともまったく顔も上げずに寝てた犬のびっくりエピソードを思い出します。

まだ揺れてるけど締切は締切…仕事しなくちゃ…

posted at 17:42:26

この時間はもちろん、あの惨状をわたしは目にしているはずです。しかし、何もつぶやけなかった。ただ目の前の仕事をこなすことで、なんとか平静を保とうとしていたような気がします。

あのトラックの荷台にいた人は助かったんだろうか。ヘッドライトつけて動こうとしてた車はどうなったんだろうか。胸が張り裂けそうになる…

posted at 23:47:12

繰り返される凄惨な光景に、わたしは言葉を選んで選んで選んで、この日はこれだけつぶやくのが精一杯でした。

そして翌日。

スーパーが軽くパニック。お惣菜はすっからかん、レジ待ちの列が果てしなく長い…

posted at 11:39:05

ジャニヲタどもよ、今こそあまたあるペンラをともして節電に協力しようではないか!これから家帰ってありったけのペンラ取ってくる!

posted at 14:05:42

家はわたしが節電を促したため薄暗く、テレビでは同じ光景が繰り返される中、なんとか前向きな気持ちになろうと絞り出したツイートでした。今思うと、少し痛々しい気がします。

わたしの元彼も東電職員だった。なんか泣けてくる。がんばれ。

posted at 17:27:59

11年付き合って2009年の暮れに別れ、それから1度も連絡を取っていない彼のことを、今でも折にふれて思い出します。彼は、エリート街道を約束された東電の社員でした。まさかこんなことが起こるとは、あの頃微塵も思っていなかった。とにかく真面目で優しくて、抱え込みがちだった彼は、あの日を境に心の病になってしまってはいないだろうか、今はどこでどんな毎日を送っているのだろうと、胸がひどくざわつくのです。

彼とは婚約をしていて、2010年の4月に挙式する予定でした。突然わたしがおかしくなり、一方的に別れを切り出して突き放してしまったのだけど、結婚していたらどうなっていただろうとたまに考えます。あれから東電職員であるというだけで社員とその家族が受けた世間の風当たりの強さを思うと、当事者の方にはとても申し訳ないことなのだけれど、心に鳥肌が立つ思いがするのです。

わたしにはそんな権利はないかもしれないけれど、ただただ、元気でいてほしいと願うばかりです。

そしてあの日から数日、どの避難所で何が必要なのかというまとめサイトとにらめっこしながら、母は二槽式洗濯機を、わたしはお茶のペットボトルをカートンで避難所に送りました。とにかくいてもたってもいられず、被災地のために少しでも自分が何かしたという実感を手に入れたかったのです。偽善的なエゴでも、やらないよりはましだと思ったのです。

それからしばらく経って、わたしの携帯に知らない番号から電話がかかってきました。見慣れない市外局番だったので首をひねっていたらうっかり出そびれてしまい、コールが鳴り止んだ頃、ふと心当たりを思い出し、あわててかけ直しました。

やはり、わたしがお茶を送った避難所からでした。

「このたびはお茶をお送りいただき、ありがとうございました」訛り混じりの、朴訥とした口調の男性でした。別に何箱も送ったわけじゃない、ほんの気持ちばかりの数だったのに、こんな大変なときにわざわざこうしてお礼の電話をかけているのかと思うと、涙がこみ上げてきて何を言えばいいのかわからなくなりました。「いえ、あの、」がんばってくださいと思わず続けようとして口ごもり、「少ないですが、みなさんで飲んでください」としか言うことができませんでした。

電話を切ったあと、何を思えばいいのかわからなくなり、しばらく呆然としていました。

3年経った今でも、痛みは少しも消えません。「この日」になってようやくその現実と向き合おうとする自分への嫌悪感と、彼の地と切り離された日常に住む罪悪感は、変わらずに心の底にずっと澱のように溜まっています。しかし当事者でないわたしは、せめてその澱を抱えることであの日を忘れずにいなければいけないのだと思うのです。

1年後よりも2年後よりも、3年という月日はなぜだか余計にずしりとのしかかってくる気がしませんか。不思議だな。