いいとものない世界


これほど「終」という文字が似合わない番組はありません。はるか遠い未来に来てしまったような錯覚に陥ります。
笑っていいとも!が終わる」という話は、いいともあるあるだと思っていました。わたしの中に住むRGは、この話が浮上するたびにいいともあるあるをウキウキWATCHINGに乗せて歌ってくれました。「♪いいともあるある早く言いたい 終了説すぐ出がち〜」現実にならないから笑える、それも含めて笑っていいとも!だと思っていたのです。
笑っていいとも!という番組を、毎回欠かさず観ていたという人に会ったことはありません。いいともマニア、タモリマニアという人は別にしても、いくらテレビっ子でもいいともをリアルタイムで毎日観ていた人なんかいないし、いたとしてもあんまり友達になりたくありません。
タモさんタモさんとか言っているわたしも、もちろん学校や会社がある日は観られるはずがないし、家にいたとしても正午にフジテレビをつけないこともしばしばでした。お昼を知らせる時報代わりにして、今日はちょっと静かに過ごしたいからとテレビを消すこともありました。
いいともが終わると聞いて、こんなに絶望するとは正直言って思わなかったのです。ひるがえって、真面目にいいともを観ていなかったくせに、こんなにも絶望する自分が恥ずかしくもなりました。でもそれはきっと、日常にいいともが根付いていたからに他なりません。わたしが学校や会社に行っている間も、海外旅行で日本を離れている間も、晴れの日も雨の日も風の日もタモリさんはアルタにいて、日本中にお昼をお知らせしている。観ていなくても、その事実に安心している自分がいたのです。
お昼の最終回で、タモリさんはひさびさにウキウキWATCHINGを歌いながら出てきました。「今日がダメでもいいトモロー きっと明日はいいトモロー」なんて素敵な歌詞なんだと、涙に溺れながらわたしは思いました。タモリさんの作詞ではないけれど、これこそがタモリイズム、ひいてはいいともイズムなのではないかと思ったのです。昔は毎回歌っていて聴いていたはずなのに、大人になってやっと沁みてくるこの歌のすばらしさ。それを味わえるのも長寿番組だからこそです。失う瞬間にその存在の大きさを思い知らされるとは、なんと残酷なことでしょう。
最終回を迎えるにあたり、わたしはてれびのスキマさんの書かれたタモリ学を読んでいました。タモリ考でもタモリ論でもなく、一切の私情を排して純然たる学問としてタモリという人物を深く知ることのできる本書は、近年乱発されているタモリ本の中でも突出したすばらしさで、グランドフィナーレを観ながら、ああ、読んでおいてよかったと何度も思ったのです。

タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?

タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?

タモリさんは、意味を嫌います。ニューミュージックや純文学は意味があふれすぎていて、暗くて重いから嫌い。ハナモゲラ語タモリさんの「意味から解放されたい」という意志から発生した言語でした。
それはいいともにも言えることで、観終わったあと、あんなにもあとに何も残らない番組は他に類を見ないような気がします。
しかしタモさんにそんな意志などなくても、いいともはたくさんの有名人を輩出し、ジャニーズがバラエティーに進出するきっかけを作り、特にSMAPの3人は、最後のスピーチで涙ながらにいいともへの、そしてタモリさんへの恩を語りました。特に感情をあらわにすることの少ない慎吾がこらえきれずに心情を吐露したスピーチは、なんともいえず胸が締めつけられました。頭をぐしゃぐしゃにして言葉に詰まらせる慎吾を見つめるタモリさんの表情は、まるで父のようでした。
あそこまで感動的な話はできないけれど、こうしてわたしたちもさんざん「わたしといいとも」を語りたがり、自分にとってのいいともの意味を示そうとするのです。そんな番組が他にあるでしょうか。
自由をこよなく愛し、興味は持てども何にも執着しないタモリさんが、32年間ほとんど休まずに成し遂げた笑っていいとも!という偉業。タモリさんはその最後のスピーチで淡々と語りました。

生意気なことでやっていたんですけども、その長い間に視聴者の皆さま方がいろんなシチュエーション、いろんな状況、いろんな思いで、ずっと見てきていただいたのが、こっちに伝わりまして、私も変わりまして。何となくタレントとして形をなしたということなんです。

このくだりに、わたしは涙が止まりませんでした。意味のない軽さを愛するタモリさんにもわたしたちそれぞれの思いが伝わったんだと思うと、もう心が震えて仕方がなかったのです。
タモリさんはお昼の通常放送最終回でも夜のグランドフィナーレでも、最後は「また明日も観てくれるかな?」「いいとも!」と番組を締めくくりました。いつもと同じ終わり方にほっとしたと同時に、決してその「明日」は来ないという現実を思い知らされて、さらに切なさが募りました。
一夜明けていいともがない世界に放り出され、わたしは心に空いた穴をどうやってふさげばいいのかわからず、ぼうぜんとしています。タモさん、明日わたしは何を観ればいいの? そこにいいともはいないのに。
しかし、いいともがない日常にすぐ慣れてしまうことも知っています。涙腺がおかしくなるほど泣いても、きっとすぐにけろっとした日常が戻ってくる。少しかなしいけれど、それでいいんだと思っています。ただ、いいともと同じ時代に生きられたことを、ただただ幸せに思うばかりです。
ちなみに3/31のお昼最終回、いいともCUPの最終戦として各曜日のリーダーが出てきて誰がいちばん早く空気入れて風船を割れるかというゲームで、割れたチームから感謝の言葉が垂れ下がって視聴者としては涙ちょろりだったんですけど、「どっちが速かった?」って勝負の行方ばっかり気にしてるタモさんが最後までタモさんらしくてほんとうに微笑ましかったのでした。照れ隠しなのかもしれないけどネ。