2006年3月15日(水)
matsunaga氏関連話題、「行動」だけを見る怖さ
観察記 |
承前
不思議なめぐりあわせと言うほかない。
最近めっきり「戦友*1」めいてきたあまおち総統んトコで、この記事を読んだのが3月8日くらいだったか。つまり一週間ほど前のことである。長文引用になって失礼だがお許しあれ。
やえ: まずですね、多くの人が忘れている概念があると思うんです。それはですね、「オウム真理教はテロル組織である」という純然たる事実です。まずはこの事実を念頭に置かなければこの問題は考えられないでしょう。
あまおち: そう。これは多くの国民やマスコミの有識者が忘れてしまっているが、決してオウムは宗教団体ではないんだよな。今の信者はそのように捉えているかもしれないが、しかし地域住民やこの学校も「宗教団体であるオウム真理教(アーレフ)」に対してどうこう言っているわけではなく、「テロル組織としてのオウム真理教」を恐れてどうこう言っているわけなのである。この差が問題を生んでいると言えるわけだが、しかしいくら信者が言おうとも、オウムは所詮テロ組織なのである。組織としてテロルを実行したからにはな。
やえ: はい。そして、その上でこの問題を考える上で確認しなければならない問題が1つあります。「次男や三女は今でもオウム真理教(アーレフ)に入団しているかどうか」です。もし次男や三女が現在はオウムとは全く縁がない生活を送っているというのであれば
あまおち: それは学校が入学拒否するのは理由が存在しないわな。
やえ: そうですね。「親の罪も子の罪」という考え方が一般的であれば致し方ない措置かもしれませんが、しかし現代においてはそうではありませんね。ですから、もし次男や三女がオウムと全く関わり合いのない生活を送っているのでしたら、速やかに学校は入学を認めるべきでしょう。
あまおち: では、「次男や三女が未だにオウム真理教の中で活動している」場合はどうだろうか。
やえ: ほとんど常識的な話なんだと思うんですけどね、例えば世界同時革命を目論む日本赤軍を学校に入学させるのか、また同じイラク人でさえテロルの標的としてしまうアルカイダのメンバーも問題ないと入学させるのか、そういう視点で見れば、これはちょっとあり得ない話だと言えるのではないでしょうか。
あまおち: ここがな、今の日本人が一番忘れてしまっとる事でな、オウムに対して「将来に対しての危険が証明されないのに行動を制限するのは差別だ」とか擁護する意見がいっぱいあるわけだが、んなもん誰に分かるんだよって話で、そうではなくて、いくらそいつがまだテロルをしていないと言っても、その団体はテロルをするために存在するのだから、構成員もテロルをするために存在するとしか言いようがないわけだ。だから行動に制限を加えるのは当然だろって話なんだよな。
やえ: こう言うとおそらく「今のアーレフは当時のオウムと違う」と言う人が出てくると思うんですが
あまおち: 一緒やんけと。だって当のオウムが当時のままの団体を存続させているんだからな。変えたのは名前だけで、団体自体は一度も解散していない。だから本来ならあの事件があって麻原が捕まったときに、もし純宗教団体として存続したいと願うなら、まずは反省し、被害者に謝罪と補償をしてから、その後自ら一回解散して新しく作り直す必要があったワケだ。
バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳 ―― オウムは差別されるべきか
(先方のサイトはフレーム使用だが、リンク先はフレーム内のページへ直リンしている)
至極もっともな説である。注意しておいてほしいのは、「子供達が教団と縁切りしてるなら入学拒否の理由はない」とちゃんと言っているところ。その上で、自分たちの利益(このあたりが赤軍の革命なんかよりよほどタチ悪いと思えるわけだが)のためにテロルを実行した組織としての旧『オウム真理教』(現・アーレフ)に言及しているわけである。
先行していた話題
このところid:matsunaga氏の周辺がかまびすしかったのは、たしか『きっこの日記』にまつわる話題でのことだったかと記憶する。
「きっこの日記」関連記事が出ていて、俺のコメントが出てるわけですが、これは新潮社の記者さんからの電話取材に答えたものです。微妙なニュアンスは仕方ないとして、ここに載っていることは私自身が電話で話した内容をきちんと踏まえて書かれています。
備忘録ことのはインフォーマル
なんて記述が先月の終盤にあり、また今月に入ってからも、
[「きっこの日記」についての松永の分析のまとめ [絵文録ことのは]2006/03/02]
をまとめとする一連の『きっこの日記』作者分析シリーズを連載*2している。
このid:matsunaga氏=松永英明氏は、『きっこの日記』五年分すべてを読み通したとのことである。すさまじいな*3。去年七月の劣化ウラン弾の時でも俺はやらなかったよ。
そういう「きっこ関係」の記事なんかが俺のしょぼいアンテナ*4に引っかかってきていたわけだ。
2chのスレなども含めつつその周辺を見てみると、こんなブログ記事を発見した。三月十日ごろのことである。
1.質問状
昨年10月末に開催された「民主党 ブロガーと前原代表との
懇談会」にライターの松永英明氏が参加していた件などについて
取材すべく、3月2日、民主党本部
を直撃した。応対に出た同本部役員室副部長の言辞から、ブロガ
ー懇談会は、大塚耕平・参議院議員が窓口になって開催されたも
のであることが判明したので、その足で参議院会館にある同議員
事務所を訪れた。引き続き、民主党と「きっこ」さんの情報交換
の実態について解明するため、衆議院第1会館にある馬淵澄夫議
員の事務所を尋ねた。
翌日午前10時ころ、筆者は下記のような質問状を、民主党本
部、前原誠司議員事務所等宛にFAXした。
ESPIO: 民主党本部を直撃
このブログ主・野田敬生氏はフリーのジャーナリストのようである。俺はよく知らなかった。ブログ自体は見覚えがあるのだが。
氏が民主党にぶつけた質問状とは実際どんなものだったかは、引用が難しいので直接リンク先に飛んで確認していただきたいが、主旨としては、『松永英明氏はかつて「河上イチロー」と名乗っていたオウム真理教(現・アーレフ)信者である』という告発的側面がある(野田氏の主意は、そこからさらに「そういう人が民主党の懇談会に参加したわけだがどうよ?」といった意味かと)。
野田氏のブログを見ると、それ以前にも[ESPIO: M.V.Project HONDA Sigekuni]で『きっこ=松永=河上イチロー説』が唱えられている。この記事がどうやら『松永=河上イチロー説』の初出のようだった。この時点でトラックバックが来ているところを見ると、話題としてはここから広まり始めており、俺の目にとまったのがようやく十日ごろだったようだ。
その後、松永氏は特段の反応を見せなかった。ただ彼の周辺(ネット・リアルを含めた友人知人?)からは「河上と松永は別人」といった反応が多く見られた。
この時点で俺は「河上イチロー」という人物のことを知らなかったので、検索かけたり関連記述を読んだり2chで過去ログを漁ったりしていた。
そうして、十三日になった。
開展
過去の経歴の部分については、野田さんの公表されたとおりです。
備忘録ことのはインフォーマル
松永=河上説は当人によって確認された。
はてなブックマーク(http://b.hatena.ne.jp/plummet/)のコメントでは、周辺の記事にだけコメントして松永氏のカムアウト記事には特段のコメントを残していない俺なのだが、この時点で感じていたことは……
まあ、それは後にしよう。
とりあえず、この「アルファブロガーのひとりがオウム信者であったことを認めた」という出来事については、周辺がいろいろかまびすしくなっている。
[J Blog: 松永氏のカミングアウトに対する反応のクリップ]
のようなまとめ的ブログ記事がすでに出ているし、
といったはてブのエントリーを見ると、言及している先が分かる。クリップされているのはそうそうたるメンツが揃ってたり。google:松永英明 河上イチローのように検索エンジンを使う手もある。
また、[『日常生活を愛する人は?』-某弁護士日記 - F君]をはじめとするご存じ滝本弁護士の日記を参照するのもいい。
不連続な恐怖
本記事冒頭に、「やえ十四歳」の記事を引用した。オウム真理教(現・アーレフ)は今なお厳然と、「畏れるべきもの」として存在し続けている。教団は解体されず名前のみを変えて存続し続けている。
備忘録ことのはインフォーマル
- 2003年9月以降に始めたサイトの内容については、誰からも指示されたことはなく、すべて自分の経済的目的ならびに趣味を込めて作ったものです。それ以外の意図はありません。将来的に方向を転換するつもりもありません。
- また、ブログで報告している行動(イベントへの参加など)や、どういうところでどう働くかについても、すべて自分の意志で決定しています。事前・事後に指示はまったく受けていません。
- その結果、団体とはまるで別個に、社会の中での経済活動しかしていない状態となり、自分の中に信仰心がなくなったと感じました。これは、もちろん旧団体代表に対する信仰心も含みます。飛び出したというのは、そういう状態で団体の中に居続ける意味がない、ということに加えて、自分の仕事や、ブログで世の中に有益な情報を流し続けるといったことをやりたい、つまり宗教的な生き方が目標ではなくなったという理由が大きいのです。
- もう一つ、団体内のやっかいな問題もありました。ただ、これは具体的に書かなければわけがわからなくなりますし、情報も錯綜しているようですので、今日のところは詳細は勘弁していただくとして、一つだけ、現代表の拡大志向が社会的にきわめて危険であると考えております。そして、こういうゴタゴタに関わりたくなくなったというのも、飛び出した一因です。
- ですから、精神的にはかなり以前から、もはや団体の一員とはとうてい呼べない(あるいは不良信者)という自己認識でしたが、その後、形式的にも実質的にも完全に離れることとなりました。それには少々準備も必要でしたが。
松永氏はこう自分が脱会した(『形式的にも実質的にも完全に離れることとなりました』)ことを示唆している。
同人とは、確かに昨日面談して色々な話を聞きました。
同人は、オウム(アーレフ)でのネット戦略その他に功績があった立場でした。
心も離れ、脱会したと言う今後、その清算を一歩一歩してくれていくことだろう、と期待してします。
『日常生活を愛する人は?』-某弁護士日記
このように滝本弁護士と面談も果たしている様子で、そのこと事態を積極的に疑うべき理由は、今はないように思える。
しかし、上記『ことのはインフォーマル』にはこうある。
現在、私は純粋に自分の生計を立てるために働いています(少し趣味というか興味・志向もありますが)。これで稼いだお金は団体に流しません。
備忘録ことのはインフォーマル
『生計を立てるため』であり『団体に流しません』というのであれば、つまり彼は、滝本弁護士いわゆるところの『ネット戦略その他に功績があった立場』であったが、その後の教団の「賠償」には貢献していない(少なくとも脱会後は。ただし脱会の正確な時期は不明である)のである。
脇へ置いていた、俺の個人的感慨を記す。
怖ろしい。
松永氏自身は「オウム」事件に関連して検挙された事実はない。氏に罪はない。よって氏に与えられるべき罰は存在しない。
だが、教団組織にはある。
法的な賠償責任しかり、社会的責任しかり。
氏が記述した文章はその簡潔さも相まって、そうした「かつて属していた組織の責任」から、あまりにも容易に、すなわち安易に、氏が自由になったことを感じさせる。しかも、理知的に。
氏は『現代表の拡大志向が社会的にきわめて危険であると考えております。そして、こういうゴタゴタに関わりたくなくなった』ことを脱会の理由のひとつとして挙げている。具体的な内容については分からないが、この書き方にも怖れを感じる。
『関わりたくなくなった』という表現は、そう「願望」したことを表す言い回しである。氏はその願望を「脱会」により、軽やかに果たしたわけだ。
「オウム真理教」というラベルが一般的にもたらす「もの」――その言葉から引き起こされる感情――と比較して、松永氏のこの思考と行動の軽やかさはどうだ。組織の責任から、世間が抱く心情から、氏の思考と行動は自由だ。あまりにも自由だ。
その自由さに俺は恐怖する。
恐怖はそこからばかり来るものではなかった。
「あめぞう」や「ぁゃιぃ」出身者にありがちな「反2ch」的言動が松永氏にも見られた。また、それとは無関係に「ことのは」等で強烈な批判的言辞、あるいは罵倒芸を見せたこともあった。
それらを思い返すに、あまりにも過去から自由であったと恐怖を感じるのだ、俺は。
社会に対して「攻撃的」な行動――テロに走った教団に属していた人である。
それが、ああも他人に対して「攻撃的」に出られるものなのか。「過去」に対しての心情的なアレルギー反応や、理性的な自粛の感情は生まれなかったのか。タントラ・ヴァジラヤーナの教えにあるごとく、「敵対する対象にはいくらでも攻撃的になっていい」というのが彼の、「教団とは無縁になった後の」行動原理なのか。
そんな慨嘆が俺の恐怖の根源だ。
過去と現在が断絶している。
そのように俺は感じた。
不連続なのである。
もし自分が――と想像してみる。かつて犯罪集団に属しており、現在は帰属意識をなくして脱退していたとしたら。
たとえ脱退していても、「帰属していた時の罪科」を折に触れて思い出し、たとえば犯罪行為を連想させるような行動――人を傷つけるとか――に走ってしまいそうになったなら、自制することだろう。過去にそのような組織に属していたという心の傷が、それを思い出させる行為を止めるだろう。これはモラルの問題であるよりも、ある種の自己防衛だ。俺自身が思い出したくもないはずだから、それを連想させる行為は避けるだろうからだ。
ところが――
俺は松永氏が「脱会後」の時期に見せてきた攻撃的な言辞を思い出し、恐怖せざるを得ない。俺だったら、出来ない。その行為は過去の傷を思い起こさせるからだ。
この人にとって「過去」は、思い出しもしない存在なのだろうか。そう感じた。
それゆえ、『過去と現在の断絶』を氏の中に見たのだ。
いや、完全に断絶したわけではない。それは氏が今までこの「経歴」を黙っていたことから分かる。その理由はただ一つ、それが自身の不利益に繋がるからだ。つまり「過去」の価値判断は出来ているのだ。
それは、理性の行いである。
そして、俺がすぐ上で恐怖したと書いたこと――「それを連想させる行為は避けるだろうから」という部分は、心の働きである。ここを理性が顧みる必要はない。なぜなら氏自身はまったくの無実無罪の人間であるのだから。
ここに理はある。だが、心がない。
俺の恐怖の正体は、そこだ。
“ブロゴスフィアのヨハン”
どうやらここにも、“ヨハン”がいたようだ。
恐怖周遊
河上氏は著書の巻末で、「このパンフレットの筆者が誰である
か、読者には知る必要が全くない。注目すべきはその主張であっ
て、筆者ではない」というトマス・ペインの文句
http://www.ushistory.org/Paine/commonsense/sense1.htm
を引用していたという。
ESPIO: M.V.Project HONDA Sigekuni
↓
おれが言いたいのは「ライター/ブロガー松永英明」の書くものの価値が、アーレフに所属しているかしていないかで変わるんですか、という事よ。
(略)
なんだけっきょく「誰が言ったかではなく、何を言ったか」で判断するなんて全然実践できてないじゃん>ギャラリーと思ってしまう。
mine-D’s Fanatic World:hatena − 「誰が言ったかではなく、何を言ったか」
松永英明氏は、松永英明氏であって、他の誰でもなければ戸籍上の名前も過去にどんな事をしていたかも全然問題ではない。
煩悩是道場 - 松永英明氏は匿名ブロガーの希望の星だ
だから、松永氏、あなたはあくまで「絵文録ことのは」の松永で居続けて欲しい。しばらくは身の回りが騒がしいかも知れないが、ほとぼりが冷めたらまたいつもの調子でblogを更新して欲しい。
404 Blog Not Found:オウム憎けりゃことのはまで
(以上2カ所は[J Blog: 松永氏のカミングアウトに対する反応のクリップ]より)
相手のことを人間としてよく知りもしない人が、相手の組織とか経歴だけで人を判断したりしているのは良くないと思った。それは差別っていうんだと思う。
まず個人としてその人がどういう人かとか、何書いているのとか、見なきゃだめだよね。順番として。
その後で評価が変わるならそれはそれで良いだろうけど。
jkondoの日記 - レッテル
↓
しかし、その文句の後には次のような一節が続く。
「だが、筆者がどんな党派とも関係がないこと、また理性と正
義以外には公私を問わず、どんな勢力にも支配されていないとい
うことを言っておくのは、あながち不必要ではないであろう。」
ESPIO: M.V.Project HONDA Sigekuni
言葉というのは、尽くさないと理解されない。
だから「誰が言ったかではなく、何を言ったか」という「言葉」は、一見、良いことを言っているように見えて、決して事実を伝えてはいない。なぜなら言い尽くされていないからだ。
誰が言ったか、何を言ったか――そして、なんのために言ったかを見極めなさい。
すべては不可分なのだ。「主体」のない言葉は存在しない。「言語」を用いない言葉は存在しない。「目的」のない言葉は存在しない。
そして今、我々にはなんの「目的」もつまびらかにされてはいないのである。
[参考URL]
http://d.hatena.ne.jp/tonmanaangler/20060314/1142335353
http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20060313
http://d.hatena.ne.jp/lazarus_long/20060313
http://d.hatena.ne.jp/irose/20060314#p2
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/aum/news_stories_1.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A6%E3%83%A0%E7%9C%9F%E7%90%86%E6%95%99
(はてな日記を「おとなり日記」表示からいくつかピックアップして追記した)
- 511 http://www.pluto.dti.ne.jp/~rinou/
- 300 http://b.hatena.ne.jp/
- 284 http://b.hatena.ne.jp/hotentry
- 152 http://www.virtual-pop.com/tearoom/
- 142 http://d.hatena.ne.jp/matsunaga/
- 115 http://obiekt.seesaa.net/
- 68 http://b.hatena.ne.jp/entrylist?sort=hot
- 54 http://d.hatena.ne.jp/dozre/20060321
- 52 http://d.hatena.ne.jp/matsunaga/20060315
- 51 http://www.virtual-pop.com/tearoom/archives/000143.html





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![[松本龍震災復興担当相] [松本龍震災復興担当相]](http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/p/plummet/20110704/20110704014217_m.jpg)
何がなさりたかったのでしょう?
色々現実が山積みで倒壊しそうなあれやこれや
>matsunaga氏関連話題
おぐりんとか切り込み隊長とかにも飛び火しているのが
何か広大なネット界隈(←それ違うから)って妙な隣近所さん的な
井戸端感覚に軽い目眩が・・・・
>uumin3さん
まず初来訪の人は茶を飲むのが俺の教義。
お茶( ・∀・)つ旦~ ドゾー とかいって初ではなかったらどうしよう。
まぁそんなネタはどうでもいいことだ。
なんかムカついたので全文転載バカからのトラックバックは削除してしまいました。コメントを意味不明にしてしまってすいません。削除ボタン押してから気が付いたナリ。
このエントリーがなんかしら誰かの思考の助けになったというならそれで俺は本望です。ありやとやンした。
>9課長
ブロゴスフィアって実はちっさいんだよw
( ・∀・)つo←コレ
過去の責任を果たすこと、罪を清算することは (それらがあるとすれば) 必要なことだが、それ以上の何かが必要だろうか?
人と言葉は不可分だという考えも分からないではないが、だからと言って彼の発言から得られた知見が貶められることはないと考える。
あ、お初にお目にかかるので、お茶をいただきますw
また「過去を理由に言論封殺」というのは、一見すると許されざる非民主的行為に見えるが、「言論の目的が犯罪行為」であるような場合には一定の制限はされてしかるべきだろう。それは個人ではなく公益の立場から見て、の話だが。
まぁ要するに、「過去の責任を果たすこと、罪を清算することは (それらがあるとすれば) 必要なこと」であるからして、松永氏はそれを果たしているのかどうか、あるいはその必要があるのかどうかを自ら開陳すべきではないかというくらいに思ってもらえてればいいかと。「それ以上の何か」については、それについて言及してる人に聞いてくれw
ああ、あとアレね。「彼から得た知見」はあなたのものだが、「彼があなたになにを与えようとしたか」は、あなたのものではなく、同時にあなたが得た知見とは無関係である。
そういうことなのだ俺の言いたいことは。
茶は出しますぞ( ・∀・)つ旦~ ドゾー
ヨハン、確かにヨハンかも。ヨハンではないと証明できるのは本人しかいないんだな。
そういう意味で、今後の松永氏の言動にはおおいに注目してます。
http://turkmenistan.kotono8.com/
これじゃ、再開は無理か・・・(夏頃から更新滞っていたけど)
こちらの記事で気付いたと申しますか私が考えていなかったのは、多分松永氏本人のことですね。氏が中心にいる問題なのに、私は自分たちがどう対応するかというところしか見ていませんでした。もとからそんなに好印象でなかった所為かもしれないのですが(汗
私の関心の持ち方が、氏およびオウムを記号化したうけとめ方だったなあと、それが思われたのでした。
>J2さん
『ブロゴスフィアのヨハン』が非常にしっくり来る表現だったのでパクらせてもらっちゃいました(・∀・)許されよ。
リンクしようかどうしようかなーと迷ったんですが、最近の茶室エントリーの流れを拝見してる限りでは、なんか古傷に触れるのかとも思って避けてしまいました。
.vWv 、゜。,
´||゜ c[_]
( ゜∀゜)ノ 忙しそうなので椰子ビール飲んでがんがれ。
>JSFさん
良いことを思い出さしてくれました( ・∀・)σ ビシィ
氏はなぜトルクメニスタンに興味を持ったんでしょうかね。知るきっかけはなんだったのかとか、ちょっとわかんなくて。
http://kotonoha.main.jp/2005/06/08turkmenistan-news.html
ここを見るだけだと「興味深い」とは言ってるけど「なぜ」興味深いのかは触れられておらず。消えてしまった古いサイトでは触れられてたのかなぁ。
やってることは翻訳転載だけらしいので、英語力があれば原典である http://turkmenistan.ru/index.php?lang_id=en を訳出することで代替は可能そうです。
T72神教の有志でやってみるとかどない?(*´∀`)
>uumin3さん
>お茶もいただかず……
そうして「あちゃー、しまった。いちおうもう一度コメント残すか」と思わせてリピーターに仕立て上げるのが俺の罠。だからもう一杯ドゾー( ・∀・)つ旦~
元から好印象でないのは俺も同様ですw まぁ「2ちゃんねら」ですし。
しかし氏の書いてきたものがおもしろかったりためになったりすることは事実だし、俺もたまに読んでましたし。ヲチしてるという意味の方が強かったですけどもね。
そうしたことは否定しませんが、受け手にあらわれた「結果」と、送り手が抱いていた「動機」は必ずしもリンクしないわけで。ええ。
( ´ω`)ま、救いのない発想でござんす。何言ってんのか分かんなくなってきたんでヤメ。
ニヤゾフ大統領は新興宗教の教祖の在り方そのもの、その中でも最も愚劣で馬鹿馬鹿しい喜劇です。
一般人がこれを面白がるのは別によいのですが、元オウム信者がニヤゾフを笑うなど、洒落では済みません。洒落で済ますわけにはいかなくなります。
いやそれはマジで洒落になりまへんな(;´Д`)
うーむ。実際のところどうなんでしょうなぁ……
個人的には、興味を持つきっかけ、つまり最初にトルクメニスタンを知ったきっかけは、オウムロシア支部あたりにあったんじゃないかという邪推をしてますた。ロシアとの関係性とかはどうなんでしょうね>トルクメ
この件では周辺が非常に盛大に動いているのでここみたいなポっと出の日記は継続注目受けてなさそうなんでぶっちゃけてしまいますが、氏はオウム(アーレフ)へ忌避的な感情はまったく抱いてないと思います。なにしろあの合理的な判断による別離ですし、現在の言葉の使い方が、(言葉を大事にする、という氏の特性を考えれば)そのようなマイナスの感情の不在を証明していると思います。
なので、トルクメのその大統領の話、非常にひっかかりますね……。
この件は随所でチラ見しただけなんですが、見て少しして「クレタ人のパラドクス」を思い出しました。あれだってエピメニデスがクレタ人で無ければ成立しないわけで。合理だけでは成り立たないんですよね。
世論、全体、大きな流れ、そういうものを語りつつも自分自身は自然に除外してしまってるみたいな感覚。
>ガクさん
このエントリー書いた時点で、「誰が言ったかではなく何を言ったか」という言説が一人歩きしそうだったので、ちょっと危機感を抱いていたところはあります。仰る通り、話者が何者かを検証しなければ「クレタ人はすべて嘘つき」という言説は真ととらえられることだってあり得るわけで。そして目的まで考えないと、エピメニデスのこの言説への評価を下すことは出来ないでしょう。そういうことだと思うのです。
>cioさん
どっかの「ト」みたいな話やね。
ヲチャというのも実は常にその陥穽と隣り合わせだったりする。観察者は局外者であらねばならぬが故のジレンマの一つです。ノケモノである自覚を常に持ちつつ、しかし自分もまた「世界」の一部であることは知っていなければ、深淵に呑み込まれていくだけなのです。
これは別に本当に局外者として自分を看做しているわけではありません。自然とそうなっているというだけの話で。
自分自身に直接影響があるような出来事に対してもその態度は崩れません。「死ななければならない状況」が合理的に提示されたら従容としてそれを受け入れます。
そうした態度を局外者的態度と見られるのは、仕方ないことと思います。多分、本人もそれを自覚しているでしょうし「だから何?」と思っているのではないかと思います。
問題は、そうした態度を「徳のある大悟者」と見るか「社会から逸脱した理解不能なカルト者」と見るか、見る側にゆだねられているという点でしょう。
その時の態度は確かに「局外者」――ノケモノのそれでありましょう。
んが、
とりあえず俺が松永氏に感じる「恐怖」とは、彼が今現在見せている「自分自身に直接影響があるような出来事に対して」の「局外者的態度」ではなく、自分自身の過去といういかなアーガマに当たっても自己と切り離すことは出来ないであろう概念に対しての「局外者的態度」なのです。彼のこれは、八正道の実践によって導かれるものというよりは、単に「考慮の埒外に置く」ような態度に見えます。
彼自身の言葉を引けば、きわめて「社会性」が高い思考の産物であるはずの「経済モード」の理由でもって教団から離れたはずの彼が、今現在をもってしても未だし、そのような「宗教者的態度」から脱却していないことへの畏怖でもあります。またこの意味から、彼が「死ななければならない状況」を拒絶することが予想されもします。だからこそ経済モードを優先させて「今も生きている」のでしょうから。
社会の側からの厳しい視線と意見についても致し方のないところはあるでしょう。
オウム真理教とであることと、原始仏教への帰依心を持つこととはイコールではありません。前者ではなく、後者ではあるという状況は成り立ちます。彼がオウムから離れて尚「徳のある大悟者」であることは可能性・蓋然性として否定されるものではありません。
しかしそれを「社会性」の側から眺めた時、懐疑的な視線を避けることは不可能でしょう。社会の側は、過去を切り離さないのですから。その時、過去をも「局外者」として切り離すことは不可能です。
少なくとも、彼と自分自身を同じ「純粋な個人」に属するものとして見る人間でなければ、(宗教心の存在は不問として)彼を責めずにすませることは出来ないでしょう。これは「個人」と「社会」の間にたたずむ「視線の段差」のようなことから違いが生まれます。社会性の立場に立って見るか、社会に帰属しない個人の段階から見るかの違いです。
ともあれ、「徳のある大悟者」は、あのように人を攻撃的態度で見下すことはしないと思います(´-ω-`)彼が宗教者であるという言説があるとしたら、俺はその一点のみで否定しましょう。彼は原始仏教の体現者でもその理想の信奉者でもない。単に自己肯定の手段をそこに求めた、孤独な宗教的ミーハーのひとりに過ぎません。
ですから僕の発言は「オウムにほんの少し関わって、今も興味を持っている」という立場以上のものではありません。
僧は托鉢をして日々の糧を得ます。托鉢で得たものに対して僧は礼を言いません。衆生のために修行をしている身ですので主従の関係はないのです。しかしながら、僧は社会から離れて生活しながらも社会との関わらずに生活することはできません。社会あっての宗教ですし、社会あっての宗教経済です。
Plummet教祖の仰ることは、つまり「宗教者であれば攻撃をしない。経済モードたる社会への参加者であればオウムの影を切り離せない」ということですね。いずれの場合もオウムとは無関係にはなれないということでしょう。
彼が攻撃的であった理由もそれなりに想像がつきます。そうした方が経済活動はしやすかったからでしょうね。
自分も、外部も。
そうすると、今の彼がもっともふさわしい振舞いは、出自がオウムであることを表明し、今後もそのまま経済活動、すなわち社会参画していくことではないかと思います。
厳しい視線はもちろんついてまわるでしょうが、それもまた彼が「当事者として」社会参画している証左であろうと思います。
今までは社会からの部外者でしたが、それは宗教者だったからではなく、逃避者であったのですから。
確かに、あの言質は俗人のものです。
ますますわからん、です。>松永氏… 修行しつつ、あのような言動をしていたというのでしょうか。
俗世から離れるどころか、自我にどっぷりですよね。
「悪しき俗世」への関わりが、救うでなく、離れるでなく、攻撃なのは何故なのか?
話してわからぬ無縁の衆生にさらに拘泥し、相手の間違いを指摘し続けるのは何故なのか?
ほんのちょっとだけ、アレ的な世界を知るものとしては不思議なことです。
僕は選んで俗世にとどまっていますが。