禪人利休の生涯3

利休が禪の道に入門したのは、一般的に伝承されている十九歳説より五年ほど早いのではないかと私は推理する。
利休の最愛の弟子山上宗二は、「茶の湯は禪宗より出たるに依つて、僧の行を専らにする也。珠光・紹鴎皆禪宗なり」として、彼の師匠利休の立脚点が禪宗であることを証明しているが、利休が禪に入門したのは何歳か、師匠は誰かは明らかにしていない。
一般的に利休が禪の道に入ったのは、茶の師匠である武野紹鴎に導かれてたまたま禪修業をしたように流布されているが、私は否と申したい。

ここまでは判る。
利休の禅修業がどう始まったかはたしかに判らないからである。

だが、著者の想像の翼はエラいところへ飛んで行く。

おそらく腕白盛りの天王寺屋の息子(宗及)や今井のドラ息子(宗久)とともに、南宗寺の禪堂をのぞいたにちがいない。
その折大林の一喝に会って腕白どもはこの世に「禪」なるエタイの知れないものの存在を知った。
時に利休十五歳の秋であった。

少年三茶人…いやこの発想は無かった。
無かったが、無いわーという事もない。むしろおもろい。

根拠レスな気もするが、自分で立てた仮説がいつまにか歴史的事実にすりかわったりもするが、この武田節、憎めない。