禪人利休の生涯5

本能寺の変(天正十年六月二日)から信長大葬禮(天正十年十月十五日)までこの天下わけめの大変革期に利休居士はただ堺に蟄居していたのか。
(略)
筆者は利休居士が水面下で大いに活躍し、この歴史の大変革期に積極的に参加し、一定方向に指針を指し示すハタラキをしたと思う。

利休の評価たっけぇなぁ。

兎にも角にも六月二日早暁には利休居士は京都に滞在せず堺にいたと思う。この時堺には徳川家康が逗留していた。
(略)
早速、今井宗久、松井有閑等と協議して大事な堺の来客徳川家康を熊野路ルートで落し、亊なきを得たと同時に(略)

でも本当に神算鬼謀だったら家康をここで排除した方がいいし、大事にしてるなら海路で送ってあげればいいのに…。

戦争の趨勢を読むにサトい堺の商人千宗易が、無策で山崎の合戦を見逃したとは思えない。
したがって、山崎の秀吉陣に対する兵站はすべて堺商人が先物買いで分担し、その後約一年に及ぶ山崎城施政に対する賄方はその大部分を堺衆が受け持ったと思われる。

堺商人が予知能力でも持っているのでなければ、秀吉の大返しは読めない。
本能寺の変のその日、堺の隣、岸和田に織田信孝、という織田家の後継者が居た。
普通に考えたらそっちを支援すると思うんだけど、でも特に肩入れした感じもなくその勢力は霧散してしまったんだよなぁ。


なんだろう?
この「歴史で何かしらイベントが起きるとき、主人公がなんらかの関与をしている」…というNHK大河ドラマみたいな史観。