君台觀左右帳記研究11

李尭夫に就いては宋人あるいは元人にして我邦に歸化し筑前崇福寺に寓居したりと言はれ、現に其繪ける布袋和尚圖に寄堂李尭夫の款名を見るのである。

ということで、日本の画家について。

諭法師なる佛畫家も亦考察を要する一人である。
諭法師は其名から考ふるも支那人にあらず朝鮮人にあらずして實に日本人である。
法師なる名詞は支那及び朝鮮に無くして獨り我邦に存するからである。

あのー三蔵法師の存在は?原文でも三蔵法師なんだぜ?

日本高僧傳に左の如く記して居る。
『釋周諭號默庵武州人及壮年發南遊之志将與古剣快等入元夢窓留之曰子縦到大方不可得過我之師諭因不果志』

諭法師は夢窓国師に中国留学(というか時代的に潜入)を止められた画僧らしい。

君台観左右帳に収録された画家は「すべて舶来」というイメージがあったので、日本人あるいは日本在住の画家が含まれているとは意外である。

…なら雪舟が収録されていないのは謎なんだぜ?でも時代的に同時代過ぎるか?