猫のフェイへの追悼文

 16年飼っていた猫のフェイが昨日死んだ。体の真ん中に20センチ四方の四角い穴を切り取って捨てちゃったみたいな最悪な気分。悲しい。
 今37の私が、地下鉄サリン事件が起きた年の春に上京して、成人して学生寮を出て妹と暮らし始めてすぐ、子供の頃飼わせてもらえなかった動物を、猫を飼おう!って、まだ黎明期だったインターネットの中を探して生まれたばかりの子猫をもらってきて飼い始めて、遊んで働いて恋人ができて、妹が結婚して一人暮しになって、働いて名古屋に行って結婚して戻ってきて子供ができたり生まれたり5歳になったりという今までの全部一緒だった。フェイは私の最高な20代の自由気儘な暮らしの、はじめから続きまでずっとずっと一緒だったその象徴だった。

 もう今ごろは身体も快調で、部屋の中の陽のあたる場所でねじれた三枚肉のチャーシューみたいに昼寝して、私のことを、今日はどうして泣いてばかりいるんだろうってちらっと思っているはず。
 そう確信できてはいるんだけれど、フェイの体じゅうの手ざわりと手の握り心地、間近で見るまるいみどりの目の色を知っている私が、もうあれを見たり触ったりできないということが悲しくて、このことを考えると心だけではなく頭の中も、脳をごみ箱に落として無くしてしまったみたいに何もわからなくなってしまう。