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蟻の社会科学〜ブラブラ適当に生きる〜 このページをアンテナに追加 RSSフィード

素人が社会について考える社会科学風味ブログです。興味を持った方は [ガイドライン] からどうぞ。コメントがあれば何かしらお答えします。

2012-05-01

[][]「哲学を勉強するとひとりぼっちになりませんか?」 00:54 「哲学を勉強するとひとりぼっちになりませんか?」を含むブックマーク 「哲学を勉強するとひとりぼっちになりませんか?」のブックマークコメント

 yahoo知恵袋「哲学を勉強したいのですが、哲学を学ぶと独りぼっちになりませんか?」(うろ覚え)というスレッドがありました。これは何気に深いと思います。確かに、哲学を学ぶと象牙の塔に閉じ込めれられて無間の孤独空間に陥る可能性が秘められていると思います!哲学の魔力に取り憑かれ、無間の孤独空間に閉じ込められた人もいるのではないだろうかと思います・・・。

 「ハーバード白熱教室」の初回でサンデル先生がこう言っていました。 『(前略)(哲学を)「自己認識におけるエクササイズ」、「自分をより深く理解するための訓練」として読むためにはある種のリスクがあるということだ。(中略)哲学という学問は、私たちを私たちが既に知っていることに直面させて、私たちに教え、且つ動揺させる学問だからだ。(中略)それは慣れ親しんで疑いを感じたこともないほど良く知っていると思っていたことを、見知らぬことに変えてしまうこともある。哲学は、私たちを慣れ親しんだものから引き離す。新しい情報をもたらすことによってではなく、新しいものの見方を喚起することによって引き離すのだ。しかし、ここにもリスクがある。慣れ親しんだものが見慣れないものに変わってしまえば、それは、二度と同じものには成り得ない。「自己認識」とは、純真さを失うようなものだ。(中略)「哲学は、私たちを常識や約束事、何となくそうだと信じていることに疑いを抱かせる学問だ。」(中略)(哲学とは)「理性の不安を目覚めさせ、それがどこに導いていくのか見ること」だ。』

 哲学とは一つの視点から考えると「物の見方を変える学問」だと思います。例えば綺麗な風景があったとして、いつもその風景を「あぁ、綺麗だね〜・・・」と思って眺めていたのに「あの綺麗な場所へ行ってみたい。きっと素晴らしい場所に違いない!」と思いその綺麗な場所へ行ってみたら「ゴミだらけだった!」そうなると「あぁ、綺麗だね〜・・・」と思っていた風景はもはや二度と自分の中では「綺麗な風景」には戻りません。ずっと「白い物体」思っていたものが、実は「裏から見ると黒い物体」「横から見ると赤い物体」「上から見ると青い物体」だったと知ってしまったら、その物体を見てももう二度と「白い物体」とは思えなくなります。日常生活でも「信じていた人に裏切られた!」ならその人を二度と信じられなくなるように「哲学とは信じていたものを裏切るための学問」なのかもしれません。

 人が哲学の無間の孤独地獄に陥る可能性があるのは正にそこなのだと思います。みんなが「あぁ、綺麗な風景だね〜・・・」「あの物体は白いね!」と言っているのに「いや、あそこに行ってみたけどゴミだらけだったよ!」「あの物体は裏から見ると黒いんだよ!」と言っても「(゚Д゚)ハァ?」言われる可能性があります。誰にもわかってもらえない、そこに哲学孤独空間が存在しているのかもしれません。さらに哲学を学ぶ人が哲学孤独空間に陥る要因は「ふん、俺はあの場所に実際に行ったもんね!」「ふん、俺はあの物体を裏から見たもんね!」「誰も知らないだろうけどね!」という優越感なのかもしれません。

 なぜ人間は哲学をするのだろうか?人は弱い。人は弱いから縋りたい。真理に縋りたい。真理を知りたい。真理を知りたいから人間はずっと哲学し続けてきた。パスカルは「人間は考える葦である。」と言いました。「弱いからこそ考える、考え続ける。弱い人間を強くする。」これこそが哲学であり、人間の真の強さなのだろうと思います。

 しかし、哲学も万能ではありません。そもそも「真理」なんて存在していないのかもしれません。「哲学を学ぶ。」ということは「AKB48の全員の名前と年齢と趣味を徹底的に学ぶ。」ということと同じぐらいのものなのだろうと思います。哲学の持つ魔力は恐ろしいものですが、哲学の魔力に取り憑かれないようにその魔力をいかに自分の人生に還元するか、弱い自分に対していかに活用するか?ここに哲学と人間の関係があるのではないかと思います。

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