『SLUMDOG$MILLIONAIRE』鑑賞録からいろいろ

 本日公開の映画『スラムドック$ミリオネア』をユナイテッドシネマ豊島園で観てきた。
 たまたま朝起きて『王様のブランチ』を観ていたら、映画コーナーで同映画の特集をしていたからでもあるし、アカデミー賞で8冠だとか『トレインスポッティング』の監督作品だからとか、まったく関係がなく、近くでやっているからなぁぐらいでした。
 で、一言で感想を述べるなら、すごくおもしろかった。ジャマールの純粋さよりも、サリームの荒んでいく姿がすごくセクシーでした。あとラティカの笑顔は反則でしょう(笑)。あと、この映画単なるエンターテイメント以上に考えるところがてんこ盛り。

映画『スラムドック$ミリオネア』
監督:Danny Boyle(ダニー・ボイル
脚本:サイモン・ビューフォイ
制作:アンソニー・ドッド・マントル
編集:クリス・ディケンズ
CAST
デーヴ・パテル as ジャーマル・マリク(青年)
フリーダ・ピント as ラティカ(青年)
マドゥル・ミッタル as サリーム・マリク(ジャーマル・マリクの兄)(青年)
アニル・カプール as 『クイズ$ミリオネア』MC
イルファーン・カーン as 警部
映画『スラムドック$ミリオネア』公式サイト

 以下、完全にネタバレしています。さらに雑な分析まで始めています。


 18歳の青年ジャーマル・マリクは警察にある容疑で逮捕されて、尋問を受けていた。容疑は、あるテレビ番組での不正行為を行ったとされる。警官と警部からの激しい追求にも、ジャーマルはいっさい口を割ろうともしない。警部は、ジャーマルが出演したテレビ番組(『クイズ$ミリオネア』)の映像を見せながら、ジャーマルに尋問していく。
 なぜスラム出身で学校に通ったこともない青年が、医者や弁護士でも突破できなかった難問を次々に正解できるのか。八百長なのか、それとも運が強かったのか、それとも天才だったのか、運命だったのか。
 インド全国で一夜にして注目を浴びた青年は、ある種の賞賛とともに不正に関わった容疑者として、拘束される。そしてその尋問をおこなった警部が、ジャーマルから聞き出した正解への辿り着き方は、ジャーマルとその兄・サリーム、そして幼なじみのラティカのこれまでの歩んできた壮絶な人生だったのである。『クイズ$ミリオネア』に出演したジャマールは、ひとつ一つの質問から、自らの幼少期の体験を想起していく。
 ジャマールとサリーム兄弟はムンバイのスラムで生を受けて、母と3人暮らし。信仰する宗教はおそらくイスラム
 普段は飛行場に潜入して、友達と球技(おそらくクリケット)をして、警備員に見つかりスラム内を縦横無尽に駆けめぐる少年たちである。スラム内にある学校には制服を着て授業を受けることはあるけれど、基本的にはスラムでの貧しい生活のなかでも明るく生きている。スラムにやってきた映画スターにサインを求めるために、行った決死のダイブと、もらったサインを兄に売られたりもしたこともある。さらに、その後の人生を左右することになるスラムを仕切るギャングの存在と、学校教材のひとつとして学んだフランスの騎士道物語『三銃士』(ちなみにサリーム、ジャマール、ラティカの三人はそれぞれを三銃士の剣士になぞらえている)がある。
 そして母が亡くなるきっかけとなったイスラム教徒とヒンドゥー教徒とのスラムでの抗争から二人は孤児となり、その後幼なじみのラティカとともに、ギャングが仕切る物乞いの一員となる。
 孤児となった三人はスラムでの生活での生活を続けていく中で、物乞いたちの元締めとなるギャングが集めた溜まり場で、スラムで生き続けるために施される処置をきっかけに、溜まり場を抜け出すことを決意する。だがその際に、ジャマールとサリームは、ラティカと別れてしまうことになる。
 生き延びるためには、観光地で怪しげなガイドをしたり、盗みを行ったりすることも辞さない兄のサリームと、ラティカの生存を信じ、純粋であろうとするジャマールとの間は、少しずつ溝が深まっていくのである。

 スラム出身であり、生き延びるためにはアウトローの社会に自ら染まっていった兄・サリーム、ラティカの生存を信じ、幼き時に抱いた恋心を忘れずに生きる弟・ジャマールはコールセンターのお茶くみ係として生計を立てる反面、生き別れたラティカを探し続ける。そして、生き延びるために踊り子になり、身体にさまざまな装飾を施され、さらにギャングの中に囲われ続けるラティカ。
 青年になったジャマールは、サリームの協力で、ギャングのボスの家にいるラティカを救い出すためにさまざまな策を講ずるが、結局ラティカを救い出すことはおろか、ラティカから拒絶されてしまうことになる。それでも諦めきれないジャマールは、ある理由で『クイズ$ミリオネア』に出演することになる。ある理由のために。

 物語の軸はジャマールとラティカの恋物語になるし、そのことをおそらくレビューはそのことを中心に描かれると思うので、ここではあえて全然違う点から書いてみる。

 1) 映画の中の3つの位相
 映画の中では、ジャマールが語る幼少の時からの回想シーン、警部との尋問のやりとりが行われるシーン、そして『クイズ$ミリオネア』の収録スタジオでの回答シーンの3つの場面が入れ替わるように登場する。その入れ替わりは、次の3つの位相と対応する。
 A) スタジオ:一問一問の背景にあるジャマールの過去を想起させられ、それと一人で向かい合わざるをえなくなるシーン。
 B) 回想されるものそれ自体:幼年期、少年期のジャマール、サリーム、ラティカ。さらにそれぞれの時期に関わる大人たちによって描かれる過去そのもの。
 C) 警察署での尋問:A)ならびにB)そのものを第三者=他者(警部や警官)に語り、自らそれぞれを「過去のもの」として捉え直すシーン。
 それぞれを次のように簡略化することも可能だろう。
 A)=想起の位相、B)=過去の位相、C)=語りの位相
 
 映画の中で、それぞれの位相が最終的に重なり合いながら、A)とC)の延長線上にある現在につながる。そして最終的にはジャマールとラティカが出会うある場所につながっていく。そこは終着点でもあり出発点でもあるターミナルになるのはおそらく象徴的だろう。
 ジャマール自身のなかから浮かび上がる3つの位相は、やがて警察署からの釈放、スタジオでの最終問題、そしてラティカとの再会を経てエンディングに辿り着く先は、新たなスタート地点が設定されているのでもある。
 そしてこの3つの位相は、それぞれ「過去」を異なる形で再現しているのも重要である。つまりB)=過去の位相は、経験なり体験であり、A)=想起は、ジャマール自身の中でのことであり、出される問題の正解を導くためにはB)がなければならないけれど、それは苦痛を伴うものでもある。そしてそれはスタジオの観覧者やMCには全く伝わらないものである。唯一ジャマールが正解していった謎を共有しているのは、C)=語りの位相に居合わせた警部だけである。そして最後の問題についてはジャマールの解答の由来を知る者は、映画の中にはいないことになる。
 そしてこの映画はこの3つの位相がひとつの現在へと収斂していくプロセスでもある。 

 あと、C)=語りの位相のシーンで、類似したシーンが混入されている映画を思い出した。この映画も、ある一人の人物の語りとそれに基づくB)=過去の位相が登場する。ただし、そこで作り上げられる過去は、事実ではない。

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 2)ムンバイという都市:スラムからグローバル・シティへ
 映画の中で幼少期から少年期、さらには青年期の物語はムンバイという都市のスラムから、タージマハールという観光地とそれをつなぐ列車、さらにはグローバル・シティへと変貌していくムンバイとつながっていくなかで、ジャマールとサリームの兄弟、そしてラティカの生きる町は少しずつ変化していく。
 映画のパンフレットによれば、撮影では実際のムンバイのスラムで撮影されたとある。実際に幼少期のシーンでは、バラック空から映し出されている。そしてサリームとジャマール、ラティカはスラムという生活環境でいかに生き抜くかを幼いうちから突きつけられ、そこに順応するのと離脱するのを繰り返す。
 物乞いするためのグループに入ったり、効率よく稼ぐためにすべきことを学ぶと同時、ギャングたちが行うやり方に対して反発もする。そして同じ環境にいながら、だまされた者とそれから逃げ出した者との再会なども含められる。
 少年期には、ムンバイを離れ、「天国だ」と思ってしまう観光地・タージマハールへと流れ着く。そこで観光客相手のイカサマ的なシノギで生活を成り立たせる。その後青年となった二人は、ムンバイに戻るが、生き残るためにかつて自分たちを搾取した、そしてラティカを拘束し続けるギャングとの抗争から、犯罪集団に荷担する兄のサリームと、ラティカとの再会を求めつつも、ラティカから拒絶されるジャマール。
 かつて貧困層が集住するスラムだったムンバイは、高層ビルが建ち並び、IT産業の一大中心地として大きな変化を遂げていく過程のまっただ中にあった。そしてムンバイという都市の変化に伴い、サリーム・ジャマール、ラティカの生活する環境も変化を遂げている。
 ギャングの一員となったサリームは、工事中のビルの上位階にて、ジャマールにムンバイの変化について次のように語る。

 「この町はすでに人口が1600万人だ。かつてはスラムだった町は、今では世界の都市の中心の、さらに中心になろうとしている」

 サリーム、ジャマール、ラティカが生きてきた世界は、スラム→観光地→グローバル・シティへと変化をしていくなかで、その社会空間の変化に合わせて生き方を変えていくプロセスを含んでいる。ジャマールはIT産業やグローバルなコールセンター業務の末端であり、サリーム、ラティカは都市のギャング組織の一員である。

 3)『クイズ$ミリオネア』『三銃士』『クリケット
 そもそもこの映画で前提となるのはグローバルな文化、ならびに文化産業としてのメディアやスポーツ、フォークロアの流通も指摘しなければならないだろう。つまり映画の大前提となっている『クイズ$ミリオネア』は元々がイギリスのテレビ局が制作したものを現在では世界80ヶ国で同様のスタイルで放送されていること。さらには映画の舞台となるインド、さらにはムンバイでもテレビの重要なコンテンツになり、それが一般のニュースまで派生していることだ。そしてこの映画が配給されるそれぞれの国や地域でも『クイズ$ミリオネア』は存在していることが前提となっているだろう。
 そしてこの映画の中でそれに類似する文化は、おそらく『三銃士』と『クリケット』。さらには観光地としてのタージマハールもあげられるだろう。またそれに付随して、盲目になった少年が、100アメリカドルの紙幣に描かれている肖像を憶えているシーンがあるが、紙幣のデザインがグローバルに流通するデザインとなっていて、それが問題のひとつになることも忘れはいけない。もう一つアメリカ由来の文化的なアイテムもある。
 この映画の中でテレビというナショナルかつグローバルなメディア、さらにはコンテンツや、文化としての「クイズ」、さらにはその問題に引用されるさまざまなコンテンツは、特定のローカルな文脈でもある生み出されるが、それ以上にグローバルなコンテンツからピックアップされる。そして『クリケット』のように、それがメジャーな地域と、日本のようにマイナーな地域では温度差が存在していないだろうか?

 実際にクリケットの最多「センチュリー」(一人で100点とることの意)世界記録達成者に関する問題が出たんだけれども、正直ワタシにとってクリケットのルールすら知らないので、どういう記録なのかもわからなかったし、そもそも「センチュリー」の意味すら調べてからじゃないとわからなかった。
 またジャマールは、テレビ出演とその正解率の高さによってメディアの注目を集めることになる。異様なほどの盛り上がりと、その後の落差はいったいなんだろう?とちょっと思ったりもした。
 
 そして映画の内容とは全く関係ないけれど、『クイズ$ミリオネア』のスタジオシーンを観ていたら、思い出したのは、Rage Against The Machine

 ダラダラと書いて、まとまりがつかなくなりましたが、映画そのもののについてはとてもおもしろかったです。一部ちょっとドン引きしてしまうような描写があったり、暴力的だと思われても仕方がないかなぁと思うシーンがありますが。素直におもしろかったです。
 でも余計なことを考えながら観ると、ストーリーそのものに集中できないかも。
 個人的にはジャマールよりも、サリームの方に見入っちゃいました。マドゥル・ミッタルがセクシーすぎます。

 続きは、本文中で言及した文献やら映画やらです。気になる方だけチェックしてみてください。
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 2)について
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wrote 2009.4.18