"博物館外の思考"と、「建築」外の思考

 血のめぐりの悪いpoliは、前著をご恵投いただいた時点では、反博物館、博物館外部システムという語句に目を白黒するばかりであったが、反博物館は、反機能主義の相貌をなしたそれであり、その対象のひとつとして、藤山一雄の発想を挙げているということだった。
 藤山一雄とともに、poliは何とはなしに、現在の東京たてもの館の前身を興した今和次郎をよく想起してきた。黒石いずみによって「建築」外の思考と評された今と、いわば"博物館外の思考"たる藤山。今の記述が本書にもある。接点は戦後になってからなのだそうだ。もっとも、今自身のあの多様な発想の多出にしても、戦後になってからという観があるが。

そして一貫。

 藤山にとって満州国国立博物館構想と実践は、この課題の一環であり、終戦にてこれが潰えたら潰えたで、戦後引き上げた後、郷里の養鶏農業協同組合の理事長となり、栽培=炭水化物から家畜生育=蛋白源への転換による当時日本の食生活の拡充に再び挑み、晩年まで続く。一貫したものが本書で浮かび上がる。

思考はもっと深層に

 赤松を通して傍示された権力ゲームと、これを回避するかのように顕示する藤山の方途。そもそも、社会政策学会が一旦の休眠をする直前の、東京帝国大学法科の経済学部を卒業した藤山一雄。彼の当初の課題は、当時日本の食生活の拡充であった。それは在学中、先の性質に示されるように、北海道のデンマーク人農家での実際に労働に打ち込むなか培われた、という。うっかり原則論に陥りやすい、社会改良等々お題目の横溢する「囲み」から離れたところで、改良せんとする思考が培われた、といえる。

盤外に出る藤山一雄。

 一方、「争いごとが嫌い」(星野直樹の述懐による)な藤山一雄は、自身の博物館プランをこれを取り巻く環境ごと具体的なイメージに彫琢してプレゼンする。世界観を開陳して誘おうという、権力ゲーム=駆け引きをいみじくも排し得た態度。イメージ指向なので、本書にいう<低級なる原始人><高級なる現代人>の相克といった枝葉末節の議論や、要不要の官僚じみた機能主義に二者択一に陥ることが図らずもなかったのである。これが同じ総合的な博物館モデルを設計した棚橋源太郎と異なる方向性をたどったのはこうした事情があったことが本書で辿られている。

赤松啓介のいう"したたかな証言者"―。

『非常民の性民俗』など、主要著作にあっても度々触れてきた事柄。

 聴取者を騙くらかした、にしても、聴取者がこれをデフォルメして騙くらかされた可笑しさを一般化して伝えようとして残しえた、とすれば、それは証言者と聴取者=したたかなプレイヤーたちの権力ゲームが展開するという別種の構図が浮かび上がる。

カタる主導権を巡る争奪戦である。