「ベトナム戦争と日本 」

「時間がある際には一読」せよとのお達しがこちらでありましたので、

ベトナム戦争と日本 (岩波ブックレット―シリーズ昭和史)

ベトナム戦争と日本 (岩波ブックレット―シリーズ昭和史)

を読了。
戦争を知らない子供達」の子供よりも下の世代の我々には、湾岸戦争の記憶さえ無く、ベトナム戦争は歴史上の出来事に思える。
日本が米軍の補給地であったこと、少し前に鬼籍に入られた小田実を中心に「べ平連」が結成されるなど国内でも反対運動が強かったことなどの断片的な知識はあるものの、ベトナム戦争と日本の関係を深く知っているわけではない。

この本は、いかにも岩波の本だなあという印象を抱いたが、同盟国米国に協力する日本の姿やベトナム特需で潤った日本経済*1を述べている。

対米自立が根本にあると言われる鳩山総理は同時代的にベトナムを体験しているはずだが、多分この米国の独善ぶりの影響とかもあるのではないかと思った。

9条の改憲にはどちらかというと賛成な私ですが、憲法がなければ韓国みたいに同胞の血がベトナムでたくさん流れたという可能性があったことを考えると、今の憲法にもそれなりの良さを感じました。

平和って何だろうな。

*1:かなり怪しい論法だったが

ルポ「地方政治家」

地方政治家 (1983年) (ルポルタージュ叢書〈31〉)

地方政治家 (1983年) (ルポルタージュ叢書〈31〉)

収賄事件の執行猶予中に町長に返り咲いた者、市民の冠婚葬祭に全て出席する市長、10期も町長を務めた女性首長、8期連続無投票当選した町長(森喜朗の父親)、5000人もの後援会会員を旅行に連れて行く県議、大学在学中に選挙に出てTシャツにGパンで議会に出席する市議などなど。個性的な地方政治家(首長、地方議会議員)の姿を描いたルポタージュである。出版が1983年とかなり古いので、地方政治家の「今」を知るには、相応しくないかもしれないが、読み物としては大変おもしろかった。

森パパの「(自民)党員であることの誇りはない。(中略)しかし、しがない町長としては、自民党に土下座して頼まねばならないことがいっぱいある。やむ得ざる自民党員なんです*1」という発言には、威勢を誇ったかの党の地方への底堅さを思い起こさせる。
10期務めた松野友町長の8選目、県で唯一の反知事派だったために、県政界をバックに助役が突如立候補した。松野氏は、この助役に後事を託そうとも思っていたが、裏切りを感じ「意地で立候補」し当選したという。県というか知事の介入ってのは、恐ろしいと感じた。

地方政治や地方政治家の動向は何か事件を起こさない限り全国紙には取り上げられないし、地域版や地方紙でも議会活動などの日々の活動を取り上げた記事は少ない。しかし、我々の選んだ政治家は何も国会議員に限られず、名前も知らない地元自治体の議員たちや首長も、住民を代表する政治家なのである。
当選最低得票が少ないという意味で住民にとって一番身近な政治家は市町村議会議員であるが、政令指定都市の市議と人口数千人の村の議員さんでは、その近さも党派性も有権者が求める機能も、かなり違うと思うが、その差が政策のアウトプットにどう影響するのかが気になった(首長も同じだが)。

ちなみに、Tシャツで議会に出ていた市議は、立派なスーツを着て市長としてHPに載っていました。

*1:p199

「世論の曲解」という新書

世論の曲解 なぜ自民党は大敗したのか (光文社新書)

世論の曲解 なぜ自民党は大敗したのか (光文社新書)

蒲島郁夫熊本県知事のお弟子さんであられる菅原琢氏の新書を読了。新書はたいがい中古本を探して購入するのだが、生協で手にとって思わず衝動買いした本である。

内容は、郵政選挙(05年)から今夏の総選挙(09年)までの現代日本政治を、世論調査や選挙結果などのデータを使いながら計量的に分析しつつ*1、世間に跋扈した俗論や俗説を打ち破ろうとするもの。例えば、麻生太郎に国民的な人気があるというのは、フジサンケイグループのヨイショ記事やよくマスコミが行う「次の首相」調査のからくり等によるものであったことや、07年参院選での自民党の敗北が、小泉改革負の遺産としての地方疲弊が原因ではなく、一人区で社民党国民新党との協力が進み、民主党候補者の有力性が流布した結果、それまでの選挙で当選可能性がほぼ確実と思われていた自民党候補へのバンドワゴン効果による得票がなくなり、民主党候補への票が伸びたと言うものである。

興味深いお話ばかりで、訳知り顔の政治評論家にウンザリしている、政治に興味があって意欲的なお方には是非一読を薦めたい本である。

でも、まあ、当然疑問に思ったこともあったわけなので、以下、メモ書き(かなり瑣末なことだが)。
・コラム1で現職首長の苦戦の原因の一つとして、中選挙区制から小選挙区制への移行により、地域の保守政界が一枚岩でなくなり調整が可能な地域ボスが減って、有力対抗馬になり得る現職に楯突く若手を抑えられなくなったということを挙げている。あくまで印象に基づくが、著者が挙げる松阪市千葉市横須賀市のような比較的大きな市では、中選挙区制において地域割りが行われず、むしろ自民党は分裂して、候補者同士で競争していたのでないかと思う。例えば、松阪市なら、この間の記事で触れた田村元が強かっただろうが、今の三重県知事の野呂昭彦やその父恭一の野呂派もいたはずである。つまり、中選挙区制の下では、もともと保守政界は分裂含みであったと思うので(分裂の顕著な例として田中派後藤田正晴系VS三木武夫系が争った徳島戦争がある)、小選挙区制になって地域の自民党議員が一人になれば、むしろ地域唯一のボスとして働けるのではないかと。
・07参院選時の一人区の勝利? 先述したように、一人区での勝利として、野党協力や候補者の有力性を挙げている。しかし、野党協力で最大の効果があるであろう社民党が候補者を立てないという協力が発生したのは、04年自民→07年民主当選の一人区においてはp93の表を見ると、山形と富山だけである。他の区でも社民党の協力や元衆院議員などの候補者特性を挙げているが、前者は一人区においてそれほど社民党組織力があるとも思えないし、ましてや最後まで社民党に残っている労組が「無党派自民党支持者などへの働きかけを強める有効な手段」を持つとは思えない。そりゃ、普通の市民でもできる選挙ポスター張りなどの選挙活動の雑務をして貰うのは民主党候補にとって助かるだろうが、社民党の支持者の手助けがかなり役立つ程、民主党組織力が低いとは思えないのだが・・。後者の候補者の有力性(何を持って有力とするのか良くわからないが)の方に説明力があると思った。

*1:計量的な学術論文のようには難しくない

「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」という映画

チャーリー・ウィルソンズ・ウォー [DVD]

チャーリー・ウィルソンズ・ウォー [DVD]

ソ連のアフガン侵攻に対する米国の秘密の介入のお話。チャーリー・ウィルソンズという民主党の下院議員がキーマンだったので彼の名がタイトルにある。

そこそこのユーモアを交えながら、テンポ良く進んで行ってエンターテイメントとしては面白かったと思う。

米国議会の力の強さ、特に委員会ボスの権力には、議院内閣制の国に住む者としては、若干羨ましくもあり恐ろしくもあった。(ログローリングとかクロスヴォーティングの話がちゃんとあれば、政治学徒的にはもっと良いのだが・・)
分けの分からんと言っては失礼だが、金持ちの支持者(=ジュリア・ロバーツ)に振り回される議員として考えると、彼の国の外交にまで顔を出す多元主義の広さと深さにも、注目すべきかもしれないが、これもある意味外交の民主的統制なのかと思うとなんだか怖かった。

授業中の私語

授業中の雑談で出てきた話を聞いて昔を思い出した。
その先生は「教員生活十数年間でも珍しいほど、この授業は静かである」とのたまう。100人ほどのクラスだが、私語などほとんどなく確かに静かである。この先生は、授業中に雑談を適宜入れてくれて、なおかつ、その雑談が退屈でないという、90分も到底集中できない私には良い先生なのである。例えばこんな風な雑談をする。大学(=赤門とかがあるあの有名大)の法学部に入ったが、教授の言うことを一字一句ノートに取る人や、全授業レコーダーにとって何度も何度も聞き返す人のようなガリベンばかりで、イヤになって、法学部には進まなかったことを、彼らエリート法学部生を若干馬鹿にしながら語るのである。

さて、本題であるが、この先生が、はじめて教員になった大学は某マンモス私大だったそうな。当然、何百人も入る教室で講義することになる。そこでは、授業を聞きたくてやってくる学生以外の学生が多いため、私語が大変多かったそうである。実は私自身も、この大学にいたことがあり、そのうるささは経験している。余談だが、私がいたころは、携帯や携帯可能なゲームをし、授業そっちのけで、自分たちの世界に没頭するひとも多かった。
その先生は、自分の授業を聞いてもらえないことにストレスを感じて、精神科などいろいろな病院にいって薬をもらうまでになってしまったらしい。聞いているこっちも周りがうるさいのは相当ムカつくストレスだが、話している先生の方が苦しいとは思っていなかった。それどころか、先生は何故注意せんのやと思っていたくらいである。おそらく注意してもどうせ静まらないことを知っているから、無駄なストレスを溜めないため、注意しないのであろう思われる。

私はそういう学生のうるささとあまりの不真面目さに耐えかねて今の大学*1に再入学したが、今の大学でもそういう人間はいるが、数と比率が違いすぎる気がする。
その先生はこのままでは自分がおかしくなると思ってその大学を早く出たという。しかし、大抵そういうマンモス大は給料が良いので、そこを気に入っている先生もいるらしい。随分図太い神経の持ち主もいるのだなと思う。

言いたいことは、大学改革に成功したとかいうマンモス私大に、勉強したくて入学するなら、それなりの覚悟が必要だと言うことである。それと、大学教員を目指される方には、神経が図太いかよほどお金が好きでないなら、大学を選べる身分になって規模の小さいところに行かれるべきかと思う。

*1:幸いにして人数のそれほどは多くないところ

「一票一揆 自民党神奈川の乱〜小泉総理誕生の軌跡〜」

一票一揆 自民党神奈川の乱~小泉総理誕生の軌跡~

一票一揆 自民党神奈川の乱~小泉総理誕生の軌跡~

戦後3番目の長期政権になった小泉政権。その誕生の背景には小泉純一郎の地元神奈川自民党県連の戦いがあった。しかし、両者は意図的に結びついていたのではなく、むしろ当時の県連トップと小泉純一郎は折り合いが悪かったのである。

神奈川県連では00年12月、公選により(といっても他に候補がなく無投票)、会長に梅沢健治県議会議員が就任した。森政権が行き詰る中、派閥政治に怒りを持つ梅沢ら神奈川県連は本格的な総裁選を実施し、派閥議員ではなく党員票の力を高めることを求めていた。しかし、自民党党本部は、最大派閥橋本派の意向を受け、国会議員票を中心とする案を出した。結局、本格的な総裁選ではなく、各県連に国会議員票よりも少ない地方票が与えられるだけになった。党員に投票の機会を設けられず申し訳なさを感じた梅沢だが、県連独自の「予備選」実施をひらめき、「(予備選の費用を)県連で出す。足りなきゃぼくが出してもいい」と突き進む。

一方の小泉純一郎加藤紘一山崎拓YKK田中真紀子らの応援団を得て過去2回の総選挙出馬時よりも国会議員の支援は増えてはいたものの、橋本派の壁は厚く、「最大の味方」は地方票=予備選挙=党員票=世論であった。

予備選実施を決めた神奈川県連。事務局には、全国各地の自民党県連から予備選のやり方について問い合わせが入った。この地方の動きを警戒した党本部は神奈川の翻意を図るが、梅沢らは党本部に不信を抱いていて受け付けない。予備選は全国に広がる。

神奈川県では小泉は得票率77%を獲得、全国でも地方票141の内123票を得た。予備選での小泉の圧倒的な勝利の中、国会議員の投票が行われる本選実施前に橋本派は敗北を宣言し、実質的に小泉総裁の誕生が決まった。

小泉の重複立候補を巡り言い争った二人であったが、小泉が「予備選が追い風を起こしてくれました。ありがとうございます」を梅沢に謝意を表し握手を交わした。



以上が僕なりのまとめです。
小泉総理誕生の背景に、自民党という枠内ではあっても地方からの反乱があったとは知らなかった。
自民党の地方組織というと各国会議員の後援会や系列議員が中心で自律性は低いとも考えられるかもしれないが、地方に根を張った議員さんや党員がいて時には中央にもたてつく。郵政選挙で中央が放った刺客候補を唯々諾々と応援しなかったように、地方には地方の意思があるのだ。

田村元(たむらはじめ。通称タムゲン)のオーラルヒストリーと著作

田村元は中選挙区時代の三重2区選出の国会議員であった。さらに、田村元は中選挙区制下連続トップ当選連続13回の最高記録を持ち*1通産大臣などの閣僚を経て衆議院議長を務めた人物である。

郷土出身であり、自民党のそこそこの大物であった田村元が如何なる政治家であったのか?を知りたくて、「オーラルヒストリー」と氏の著作「政治家の正体」を読んだ。

まず、オーラルヒストリーであるが、これは伊藤隆ら近代日本史料研究会が実施したものだ。伊藤隆が主としてインタビュアーをしているが、少し下調べが足りない気がした(ex「政治家の正体」すら読んでいないまま開始されていたり、娘婿が郵政選挙で代議士になっていたことを知らなかったり・・。最もこういう態度が中身を引き出す作戦なのかもしれないが)。
肝心の内容は、建設政務次官の時に伊勢湾台風やチリ津波の後始末をやって選挙に強くなった(特に海岸線)とか、数少ない灯台族・下水道族議員であったこととか、いろいろなことが書いてある。
中でも、田中角栄内閣の時に労働大臣をしていたそうだが、閣議で元旦からのバス・電車の値上げの話が総理から出た時に、「お年玉に値上げということがありますか」「反庶民的」だと言って反対した。そうしたら、当時官房長官二階堂進が、全会一致原則の閣議で総理の発議に反対は許されないから罷免か辞職だ言う。これに対し、田村は「罷免してもらおうじゃないか」と応じた。結局、総理が間に入って、元旦実施は引き延ばされることになったらしい。
閣議というと、民主党政権になって廃止された事務次官会議で決まったことを閣僚が花押かなにか押して認めるだけの儀式だと思っていたが、こうやって修正されることもあるんだなと思った。(別のところで田村本人も「閣議なんてまったくの形式」と述べている。)

次に、「政治家の正体」である。以下、気になった点を自分なりにまとめて記す。
・田村元が建設委員会の理事だったとき、委員会が開かれないことがあった。建設委員長が委員会を開かなかったのである。それは、この委員長と選挙区が同じある代議士に当時の建設政務次官がその選挙区の予算の箇所付けを、委員長が知る前に教えたことにカンカンに怒ったからである。建設委員長というポストで、早く建設関係予算を知って、俺がつけてやったと地元で宣伝することで、票が集まる。この絶好の機会を建設政務次官の安易な行いによって奪われた。だから、委員長はカンカンになって、委員会を開かずに、建設省を苛めたのである。(委員会が開かれないと、法案が通らないのである)
・大臣になるとカネが集まるという風なイメージが巷にあるような気がする。しかし、田村元が通産大臣を務めたときは大損したらしい。なぜカネが要ったかというと、例えば大臣が海外出張するときに若手官僚もお供として同行し、一流ホテルに泊まるが、官僚にはそれほど高い宿泊費は認められておらず、差額は官僚の持ち出しになる。そこで、田村大臣がその額をポケットマネーで補填してやったのだ。こういうようなことでカネが嵩み、選挙用の政治資金や株を売って捻出したのである。

政治家の正体

政治家の正体

*1:三木武夫も同じ記録