Hatena::ブログ(Diary)

SPレコード・蓄音機で聞く78回転SP盤の昭和歌謡・流行歌の話題 〜レコード狂の詩〜


〜 ポリドール狂時代へ戻る 〜

SNS・ミクシィ(mixi)はこちら

Twitter(ツイッター)はこちら

イザ!専門家ブログ 『古音盤の影から』はこちら

現在 アクセス

2006-08-15

polyfar2006-08-15

[] 忘れ去られた名歌手・藤山一郎 その

今日終戦記念日、と言う事でそれにちなんだ話題でも。


●「決戦の大空へ」 藤山一郎 100789 ニッチ


幸運にも、ヒット曲ピカ盤トレードの嵐から難を得て、手元に残った1枚であります。

この歌も僕の愛聴盤の1枚ではありますが、これほど巷に溢れているレコードは無いのではないでしょうか?おそらく「酒は涙か溜息か」と同レベル、つまり藤山一郎のレコードの中で「最も売れた」レコードと言っても過言ではありません。

確か、僕は高校生の時分に既に都合5枚の「決戦の大空へ」を持っていて、状態がどれもイマイチ、捨てるに偲び得ないという困った状態にあった事を今でも記憶するほどです。


このレコードのピカ盤は比較的少ないと言えますが、しかし石を投げればあたるほどありふれたレコードであるために見つかる確立は他のレコードに比べたら容易とも考えられます。

しかし、このレコード戦争末期に産業戦士向けに配布された他の戦時歌謡とは違い、比較的鉄針で聴き潰しているレコードが多いのも特徴でして、それだけ名曲だと言う証拠なのだと思います。

ちなみに、先に触れておきますが、片面は「七つボタン」で有名な『若鷲の歌』霧島昇・波平暁男ですが、今回は藤山一郎について考察してみるつもりですので、あえて触れないことにします。


この曲は、昭和18年9月に封切られた東宝映画「決戦の大空へ」の主題歌であると言う事を知っている人はもう少ないのかもしれません。

今年7月、装いも新たにDVDとして発売されたのですが

決戦の大空へ [DVD]

決戦の大空へ [DVD]

この映画の中で、「決戦の大空へ」と言う歌は最大限効果的に使われています。

つまり、そもそもこの映画は、東宝の航空大作「燃ゆる大空」「ハワイマレー沖海戦」「加藤隼戦闘隊」「雷撃隊出動」と並んで5大作品と言える影響力絶大な作品でして、この中で「加藤隼戦闘隊」「雷撃隊出動」を除くと、当時の青少年に飛行兵への憧れを増強させると言う、非常に大きな意義があったわけです。

特に、「決戦の大空へ」は土浦にあった海軍航空隊の飛行予科練習生、所謂「予科練」へと青少年を勧誘すると言う目的で作られ、構成も基地近くに住む原節子の一家が、入隊から一人前になるまでを見つめるという視線を取りながらも、あからさまに予科練習生の募集を促すものとなっています。

この映画の中で、藤山一郎のサウンドトラックたる「決戦の大空へ」は、ドラマティックかつ非常に効果的に扱われている点に注目したいと思います。

それは、以前にも「朝」で触れたように、その清潔感は画面を縦横無尽に飛び回る魅力的な戦闘機と同じに青少年の「心」を刺激したと言う事です。これはレコード映画を観れば一目瞭然でして、その効果的なプロパガンダ手法は「燃ゆる大空」でも藤山一郎は実績があるわけです。


今日小泉首相靖国神社に参拝し、結局の公約は守った形となりましたが、その靖国参拝の議論のヒトツに「A級戦犯合祀問題」というのがありますが、僕の個人的意見として歌謡界のA級戦犯は「藤山一郎」であると考えられるわけです。

理由のひとつとして、その「清楚さ」が青少年の脳髄に多大なる影響を与え、予科練募集に役立ったばかりでなく、当時入隊した予科練習生は既に厳しくなった戦局では神風特別攻撃隊としてあえなく南海の藻屑になる事を強要されたわけです。

この論理、飛躍していると思われるかもしれませんが、よく考えてください。藤山は後年「新しい朝が来た〜♪」と「ラジオ体操の歌」を作曲し自ら歌唱しています。この歌は勿論朝の清楚なイメージにピッタリなものでありますが、よくよく考えてみればラジオの号令ヒトツで国民全員が同じ動きをするラジオ体操、皆が揃って広場で行うこれは、日本独特の風物であって世界では例を見ない風習なのだそうです。

そう考えるとラジオ体操もある意味軍国主義的・軍事教練的要素なものであって、予科練へと駆り立てられた若者の心理に似ていやしないだろうかとも考えるわけです。つまり清楚と言うものは大変危険な存在だと言う事です。


僕は勿論戦争を知らない世代であるから、「決戦の大空へ」であろうが「長崎の鐘」だろうと「聴いて見ていい曲はいい」と無邪気に聴くことは出来ます。

しかし、当時を生き延びた人、特に戦中に「決戦の大空へ」を見た人々は、戦後に「長崎の鐘」を悄然と歌う藤山一郎に愕然としたことだと思います。特に藤山は勇ましいニュース歌謡を歌っていたという事実と相俟って、戦争に加担した第一人者という印象は、いかに後世の研究家が賛美しようとも拭い去れない事実であります。


ただ、藤山一郎だけをA級戦犯にするのは酷な部分もあります。

「決戦の大空へ」で青少年を海の藻屑とさせた藤山を、戦後でも支持し続けた国民性、これは藤山の行った問題よりも実際の上では遥かに重大な問題でして、日本国民は喉元過ぎればなんとやらで、戦前に旗を振って戦争協力をした人間が、平気で「だまされた」「協力させられた」と自己保身を言いながら活動している事、それを許していると言う事が現状な訳です。


A級戦犯を生んだ「東京裁判」は納得のいくものではありません。それは戦犯は当時の国民全てが戦犯になりうる行動をしていたわけで、A級戦犯責任があるとする判決は完全にスケープゴトーにしているだけです。

隣組で国債を徴収して廻った担当者から、婦人会に積極的に加担した婦女子、はたまた翼賛選挙で変節した革新勢力まで全てにおいて戦争協力をしたわけですから、これらを総括してみると一目瞭然であります。


今一度「決戦の大空へ」を今の視点で視聴してみると解ることは多いことと思います。。。