この時代だからこそ、あなたの 『座』 を見つめてみましょう!


禅宗の修行でよく行われる『座禅』

これには、いったいどういった意味があるのでしょう?

『座』が表現している意味は、一つの屋根の下、土間に二人の人間が座ってる情景。

つまり、人間という箱の中に、二人の人格が向かい合って存在している。

その二人とは、「自我」と「自己」だといっているのです。この意味を理解するには、お坊さんのような修行をしなければわからないかもしれませんが、私は、簡単に、

「自我」とは、何かに執着している「欲望のままの自分」
「自己」とは、正直な子供のままの「無邪気な無欲な心」

と理解をしています。

この捉え方が、正しいとか間違っているといった論争は別として、私として『現象心理学』で物事の起きた事実を把握するときに、この『禅』の『座』という捉え方が非常に参考になっているのは事実なのです。

たとえば、<問題3>で起きている現象を、この『現象心理学』で捉えようとした場合

「自我」でこの事実を捉えると・・・

この商談を成功させるために、早めに会社を出てのにも関わらず、地下鉄の事故のせいで、また渋滞のせいでこの大切な商談を逃してしまった。私は最大の努力をしたにも関わらず・・・。
「だから、悪いのは私ではなく、地下鉄や交通渋滞である。」と言いたいとしか取れませんよね。
しかし、考えてください。本当にこの方は、ベストを尽くしたとあなたは思われますか?
本当にこの契約をうまくいかせようと考えていたと思われますか?

答えは、「NO!」ですよね。

TVでiPhone4Sの販売の報道がされていて、一番に購入された方(スチィーブ・ジョブズの死亡ニュースも相まって)は、3日目から並んだいたそうですが、これこそベストを尽くしていると言えるのではないでしょうか。

つまり、「自己」の事実から捉えると・・・

本人は、最初から「この商談はうまくいかない」と思って仕事をしていた。ただ、給与をもらっているサラリーマンとしての立場では、正直にそれを表現するわけにはいかず、自分でこういった結末を引き起こしたと考えるのです。
もしかして、本心では、これがきっかけで、この職場を首になればよいと思っていたことも考えられるのです。その方が、家族に対し良い言い訳ができるからと・・・。

しかし、事実は、そんなことはなく、もっと辛い立場でこの職場と家族との生活を送って行かなければならない結末になっていくのではないでしょうか・・・?


上記のような体験は、多かれ少なかれ、皆さんにもあるのではないでしょうか?


『現象心理学』は、それが「良い」とか「悪い」とか言っているのではないのです。


自分の正直な「自己」の部分を現象を通して客観的に捉え、自分自身に対して、「本当はどうしたいのか?」聞き続ける事が大切だと言っているのです。


たとえば、(自己問答)

「本当にこの商談を自分はしたかったのか?」→
「やりたくない。担当を外してほしいと思っていた。」→
「それは、なぜなのか?」→
「お客様がとても細かくて、うるさく、会うと緊張する。」→
「それは、本当にお客様が悪いのか?」→
「相手の顔色をうかがって曖昧な返事をしてきた自分にも問題がある。」→
「本当はどうしたいのか?」→
「お客様と真剣に本音で付き合いたい。」→
「では、なぜそのことをお客様に伝えられないのか?」→
「怖いので伝える勇気がない。」→
「しかし、お前のやろうとしていることはお客様が喜ぶことではないのか?」→
「嫌、いまのままだとだますような結果になってしまうかもしれない。」→
「では、本当に喜ぶような提案をすればよいではないか?」→
「しかし、それでは会社の上司が納得してくれない。」→
「では、再度、上司ととことん話せばよいではないか?」→
「それも、怖くてできない。」→
「そうやって、臆病に生きていくことがお前にとって望むことなのか?」→
「嫌、本当はそういう自分が大嫌い・・・!」→
「嫌いなのはわかるけど、その方が本当は楽だからそうしているのだろう?」→
「・・・」→
「本当は、どうしたいのか?」→
「小さい時、親父からお前はダメな子だダメな子だと言われ続け・・・」→
「いつも優秀なお兄ちゃんばかり、褒められて・・・」→
「本当にこのままでいいのか?」→
「・・・」→
「正直な自分で生きたい!」→
「本当はどうしたいのか?」→
「正直に毎日を生きたいけど、自分にはできるか・・・?」→
「本当はどうしたいのか?」→
「正直に毎日を生きたい!」→
「では、これからどうする!」→
「・・・」→
「もう一度、聞く!これからどうする?」→
「正直に毎日を生きていく!」→
「正直な自分とは、どういった自分なのか?」→
「もう、人の目(上司や怖い存在)を気にしないで人が喜ぶような仕事をする!」




『現象心理学』では、一つの現象からその人の本質を知ることができます。

ぜひ、あなたの起きたことが『偶然』とは考えず、あなたが起こした『必然的な事実』と捉えるトレーニングをしていただければ、あなたの人生はハッピーの連続になりますよ!

ただし、ハッピーとは、「喜怒哀楽」が存在してハッピーを感じることもお忘れなく!

以上<問題3>の私の考え方です。