2009-08-04

ずいぶんかいていないなあ。
2009-03-04
将棋連盟会長がネット中継記者を権力で外したことについて
結局、ネット中継が整備されてきていて、お金になりそうだから、こんなことが起こったのではないか。
会長の言では、解説スタッフに連盟の棋士をいれろとある。
当然中継の主催者はお金を解説料として払わざるを得なくなる。それがねらいだと思う。
会長がパリで解説したとき、ネット向けに述べたことについて、解説料をもらいたいと感じたんだと思います。梅田望夫氏によりかかっただけで、会長の手柄なんてないのにね。
とにかく、将棋に関わるお金は、全て自分のところに集めたいというのが、本音なのだろう。
ネット中継に載る記事のコメントや解説にどれだけ対価が払われているか? それも知りたいと思う。
もし、その対価を求めるなら、他に方法があることに棋士は気づいて欲しいものです。
2009-03-03
観戦記に「あえて書かない」ということ
私は現在、読売新聞を購読している。
将棋、竜王戦の観戦記を読むためだ。昨期の羽生渡辺戦のため新聞をかえたのだ。
で、今朝の紙面を見て、がっかりした。観戦記がひどすぎるのだ。
22期竜王戦1組1回戦 丸山−山崎 戦
何がひどいかというと、まだ第2譜で、あと1週間は同じ将棋を読むのに、はっきりと結果と敗着が棋士の述懐とともに記されているのだ。インターネットなどで、結果はいくらでもわかる。今の世の観戦記なんかに期待している人も少ないかもしれない。でも、結果と敗因がわかっている将棋を見せられる立場になってほしい。何のために将棋欄があるのかと、その存在理由を質したくなってしまう。
将棋の、プロの戦いの妙味は、勝敗や指し手の攻防を見る楽しみは、「均衡」と「逆転」と「発想」にあると思うので、この3つの概念を第2譜で否定するような観戦記は、クソだと思うのだ。
あんな観戦記しか書けないなら、やめたらいいと思う。
いったい何が問題なのか、それは「あえて書かない」ことだと思う。
「取材したからわかったこと」を並べれば、それなりの記事ができるだろう。ただ、構想や指し手の善悪の判断は、その場でしなくても、振り返って最後にすればいいと思うのだ。あえて知っていること、わかっていることを書かず、最後まで楽しく読ませてなんぼ、というのがエンターテイメントではないのだろうか。指し手の解説なら、プロのほうが正しいし適任である。棋譜を、興味深く読ませるために観戦記者は存在するのではないのか。
「あえて書かず」に、読者に戦いの妙味を伝えられない力量しか持たないなら、その仕事をやめたらいいと思う。
また、そんな書き方しかできない棋譜なら、載せなきゃいいと思う。