日常整理日誌 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2018-08-15

[][][][][]小判鮫

映画com

wikipedia衣笠監督のところにはこの作品についてこのように載っているが、*1

1946年昭和21年)、明治開化期の鉄道建設を巡る利権争いを、東宝オールスターで描いた喜劇映画『或る夜の殿様』が戦後第1作となり、翌1947年昭和22年)に島村抱月松井須磨子の恋愛事件を描いた『女優』、オムニバス映画の『四つの恋の物語』第4話を監督後、東宝を退社してフリーとなる。同年、長谷川と山田五十鈴設立した新演伎座の顧問となり、同座製作で『小判鮫』を製作するも、東宝争議もからんで不評となり

自分にはなかなかよく出来た作品に思われた。

長谷川一夫が、歌舞伎役者 中村紅雀と離れ島の役人の息子百太郎の二役をこなす。そして、紅雀の方が、演じる舞台がいくつもあり楽しめる。(多分、揚巻児雷也(衣装がそれ風)、娘道成寺、あと三人で刀のうちあわせをしているようなのは何だろうか。。)中村紅雀は上方芝居とあるけれど、中村座と称していて、紋の図柄銀杏。自分には今の中村座と関連があるようにみえた。

山田五十鈴が軽業師。身のこなし、ちょっとすれた感じなどなかなか良かった。

*1:原典 衣笠貞之助 『わが映画の青春 日本映画史の一側面』 、中央公論社中公新書〉、1977年。とのこと

2018-08-14

[][][][]博多どんたく

博多八丁兵衛という九州博多奇人阪東妻三郎が演じている。昭和23年丸根賛太郎監督作品。

総じて笑いのテンポなどは今と少し違っていたけれど、それがのんびりした空気を出してはいる。

八丁兵衛については八丁兵衛の営んでいた西濱屋のサイトに詳しく載っている。(こちら

この映画の中では、ヨーロッパ専制君主ものので権力者をその目の前で風刺して権力者の広さを試す命がけの道化のような振る舞いをしていた。

福岡が武士の街、博多は町人の街で那珂川によって二分されているということは「ブラタモリ」できいたことがあり、タモリはお堅い福岡側の人間であることをどこか恥じながら語っているニュアンスがあったけれど、この映画での分断ぶりをみて、なるほど、タモリ福岡から出てきたということが芸風の持ち味でもあるなあと思った。

那珂川にかかる橋は一本、町人が福岡にこの橋を渡って入れるのは唯一どんたくの日のみだということで、この映画のクライマックスが博多どんたくに据えられる。ここは大勢の人を使ったダイナミックで迫力のある表現。

浦辺粂子さんが、武家に預けられている薄幸の娘の味方をする役回りで、役柄の演じ方はとてもいいのだけど、博多の言葉が少し違っているように感じた。

2018-08-13

[][][]柳川掘割物語

北原白秋や旅の特集にあるような柳川の美しさを謳った作品かと思いきや、柳川の美しさも伝えつつ、もっともっと見るものの生き方に迫る骨太な物語であった。柳川の掘割が一時汚れてしまっている話はきいたことがある。そして、それをコンクリートで埋め下水道整備という形にしようとほぼ話が決まっていたところ、市の担当者の努力で市民を動かし、自分たちで美しい水を取り戻すという事を一緒に汗を流し一つの水路で実現することによって広めていくことができた物語である。なかなかにできることではない。自分の住んでいるエリアも簡素化簡素化、個個が進み、面倒くさいことから遠ざかる傾向にある。旧来の方法は合理的でないとわかっていながら変える方が大変だからという処理のことも多く、ますます従来の町内会組織などから気持ちが離れる人が増えたり・・結局それを改革する時間が惜しいというところで終わってしまう日々だが、それでいいのかと問われているような、次はみている君たちだよといわれているような気持ちになった。また黒澤映画「生きる」のことなども思い出す。

この映画の精神は高畑監督の「平成狸合戦ぽんぽこ」などにも流れているらしい。かねがね「ぽんぽこ〜」は評判をきいているだけで未見だが、近いうちにみてみたい。



[][]言の葉の庭

君の名は。」の新海誠監督の1時間弱の作品。

新海監督の映画をはじめてみたので、水面の透明さなどその表現力に驚く。自然の不便な面も含めて自然に触れてその中で生きていく味わいへの希求、でも都会の中で、できる範囲でやっていこうという姿勢、好感が持てた。舞台も新宿御苑という都会の中で自然が息づいている場所。

劇場アニメーション『言の葉の庭』 DVD

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2018-08-08

[]92歳のパリジェンヌ

オフィシャルサイト

実話を基にした尊厳死がテーマの物語。92歳の主人公の雰囲気、描き方、とてもリアリティーがある。

みている間は、主人公の思いを遂げさせてあげてほしい、それしかないのだが、いざ自分がこんなことをいわれたとき、どう行動するだろうか・・主人公の娘と息子が対比的に描かれていて、息子は頭ごなしに管理していくタイプなのだけど、柔軟な対応というのが苦手な自分にはこの息子が気になって仕方なかった。自分はあそこまで積極的なネガティブ対応はしないにしても、形が違ってもどうしても流れに乗ってほしいと考えがちの限界があり・・一番苦しんでいるのは彼だという言葉があったが、彼としての落ち着きどころはどこだろうか・・

色彩や衣装など美術の設計がよくて、とても気持ちよく映画をみることができる。こういう要素、何をするときもとても大事だ。理念の入り口をきれいに整えること。

ジルベール・ベコーの“そして今は”という、主人公が入院を余儀なくされた場所で使われるそのシーンは素晴らしい。お年寄り側に寄り添った視点が与えられた。看護士もまじえた小さな連帯、自分の頭でものごとを考える姿勢というのはすんなり入ってくるし、大賛成なのだけど、そこからの結論としての尊厳死、これは考え込んでしまう。最終のぎりぎりに延命をのぞんだりはしないけれど・・でも、とにかく、自分があの家庭に育っていたら受け入れただろうな・・

92歳のパリジェンヌ [DVD]

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2018-08-06

[][][][]鮫

昭和39年 田坂具隆監督作品。眞継伸彦原作。

主人公は中村錦之助演じるところの越前の漁村(三国付近?)で生まれた「鮫」と呼ばれる青年。流民とかいうことで、漁村の他の連中から差別されている。支配者が漁村の他の連中に祭で気持ちを発散させている時に、流民の部落の方は焼き討ちにあう。大義名分が全くなしではあったが、まあ、どうせ理由なんかあってもこじつけだし、こういうことが往々にして起こるのだよということは充分わかるので、そのまま話を追う。(加藤嘉の、流民を恐れているからという言葉は映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」でのマイケル・ムーアの主張にも通じるところがある)

ただこの時の祭が、「面かぶりの神遊び」を許可するとか支配者がやってきて宣言し、神の島から使いの者が面を届けてくれ、魚介類の面をかぶって浜辺で踊るというようなもので、これはどういうお祭りなのだろうかと、とても興味を持った。

鮫が、加藤嘉扮する祖父に自分の父親についてたずねたところ、「ひじほうもん」という言葉が出てくる。秘事法門ということだろうか・・wikipedia秘事法門の項はこちら

焼き討ちで母を喪った後、鮫と祖父は京の六角堂で願阿弥という僧が飢えているものに施しをしているという話をききつけ、京を目指す。(願阿弥についてのwikipediaの説明はこちら。)

足軽からゆくゆくは、武士にということを目指している鮫だが・・・鮫がいろんな人と出会ってなにかを学んで年をとっていくストーリーになっていて、その出会う相手とのことがなかなか鮮烈に描かれている。

特に足軽隊で出会う元人買いの加東大介現実主義者で、その世界で生きていくコツを教えてくれるのだが、太刀捌きも美しくなんと頼もしいという風にみえる。

そのあと鮫にとっての一番大きな出会いが、三田佳子扮する見玉尼との出会いである。若き三田佳子の清らかで美しいこと。役にぴったり。三田さん、こういう感じだったんだとつくづく思った。

鮫 [VHS]

鮫 [VHS]

[][][][]江戸の春 遠山桜

若き日の遠山の金さんを描いたもの。

以下、ビデオに同梱の山根貞男さんの文章を読んでのまとめ。

北川冬彦という詩人映画評論家が、「キネマ旬報」でこの映画のことを「『百萬両の壺』*1その他で、この作の面白いところは用いつくされている」と断じ「(監督の)荒井良平は、山中貞雄の後を追おうと始めた。これは、どんなものか」と疑問を呈しているそうだ。

山根貞男さんによると、確かに「百萬両」の方とこの映画は共通点が多いらしい。遠山の金さん丹下左膳の違いはあれど、時代劇なのに現代感覚で作られているところ。また細かい点をいえば、ということで高勢実と鳥羽陽之助が茂十・当八コンビで両方に出てきていること。(この映画では、おでんやとそばやの役。)そして、北川氏の批判のその部分をこそ、当時の観客は喜んだにちがいないと山根さんは推測しておられる。

高勢さんの場面、本当のんびりしたおかしさがあってみていてくつろげる。あとは、実家の親に心配されているような金さんの若さが新鮮。演じる尾上菊太郎という方、いなせでかっこいい。

脚本は梶原金八という、ヒット作を数々出している八人からなる共作チームで、その八人の中にひとりは「百萬両の壺」の監督、山中貞雄なのだが、甥の加藤泰の書いた「映画監督山中貞雄」によると、この作品には山中貞雄は参加していないらしい。

日活HP