明るい部屋:映画についての覚書

日々の映画鑑賞と研究の記録、最新DVD情報などなど。ときどき書評めいたことも。


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神戸映画資料館「連続講座 20世紀傑作映画再(発)見」第15回
国辱映画『チート』とサイレント時代の知られざるデミル
詳細はここで。

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評価の目安:

★★★★(大傑作、あるいは古典)
★★★(傑作、あるいは必見)
★★(見たほうがいい)
★(興味深い)

(基本的に、興味のない映画はここでは取り上げません。なので、ここで話題にしている時点で、それなりに見る価値はある作品であるといえます。)

フェリクス・E・フェイスト『世界大洪水』――プレ・コード時代の大災害パニック映画


フェリクス・E・フェイスト『世界大洪水』(Deluge, 1933) ★★


プレ・コード時代のハリウッドで作られた最初期のディザースター・フィルム(大災害パニック映画)の一つ。フィルムは失われてしまったものと長らく考えられていたが、1981年にイタリア語版のプリントが発見され、2016年になってさらに英語版も残っていたことが判明した。現在ではデジタル修復されてまばゆいばかりの状態で Blu-ray 化されていて、簡単に見ることができる。

監督のフェリクス・フェイストは、カート・シオドマクの原作を映画化した『ドノヴァンの脳髄』で有名だが、フランスのシネフィルの間などではカーク・ダグラス主演の『ザ・ビッグ・ツリー』が、ときにホークス作品と比較されるほど評価が高い。


オープニング・クレジットが終わると同時に、科学者たちが前代未聞の異常気象について警戒を強めている様子が描かれ、その直後に、台風と地震がニューヨークを直撃するというスピーディな展開がよい。やがて押し寄せた津波によって、立ち並ぶ高層ビルは次々と崩れ去ってゆき、NYはあっという間に見渡す限りの廃墟と化す。80年以上前に作られた映画だが、精緻に作られたミニチュアを使った津波の場面は今見ても十分に見応えがある。ニューヨークが海に飲み込まれてゆくこのイメージはおそらく『デイ・アフター・トゥモロー』の津波のシーンなどにも確実に影響を与えているはずである。

大スペクタクル映画とはいえ、70分ほどの上映時間しかないこの映画のなかで、カタストローフの場面は最初の半分だけで、映画の後半では、崩壊した世界のなかで生き残ったものたちのサバイバルが描かれる。「大洪水」という原題がすでに暗示しているように、この映画の背景には旧約聖書的な洪水の物語があるといっていい(実際、映画は旧約聖書の言葉の引用で始まっている)。

荒廃した世界のなかでやがて、素性の知れないひとりの美しい女性と、妻子を失ってしまった(と彼は思っている)ひとりの男性が、アダムとイブのように結ばれるのだが、その楽園は長くは続かない。海岸に流れ着いた女を最初に助けて、彼女を自分の所有物のように勝手に思い込んでいる野蛮な男が、銃を持った仲間のギャングたちを連れて彼女を奪い返しに来たのである。洞窟での銃撃戦の末にギャングたちを倒したふたりは、ちょうどギャングたちを制圧するためにやってきた別のコミュニティの者たちによって保護され、彼らが建てた街に連れて行かれる。だがそこには、死んだと思っていた男の妻子が生きて暮らしていて……。

前半が災害パニック映画だとすると、後半は、終末後の世界を描いたディストピア映画になっているとでも言えばいいだろうか。

スペクタクル・シーンがこの映画の見所であるのは間違いないが、プレ・コード時代の映画としてみたときも、この作品は実に興味深い。男女が同じベッドに横になっているショットはもちろんだが(この映画の1年足らず後には、同じベッドに男女が横たわっているイメージは、表象不可能なものになってしまっている)、一番驚いたのは、おそらくはレイプされて殺されたのであろう女の、ロープで縛られ全裸で打ち捨てられた死体(さすがに一部を見せて暗示するだけだが)まで見せているところだ。

ヒロインを演じているペギー・シャノンは、ジーグフェルド・フォリーズのコーラス・ガールのひとりとして活躍したあと、映画の世界に入り、当時神経衰弱で参っていたクララ・ボウにかわる「ニュー・クララ・ボウ」として売り出されたものの、女優として真に開花することはなかった。この映画を撮った数年後から彼女は酒に溺れるようになり、1941年、自宅のキッチン・テーブルで、グラスを片手にテーブルにうつ伏せになるようにして死んでいるところを、旅行から帰宅した夫によって発見される。わずか34歳だった。そしてその夫も、数週間後に、同じテーブルで頭を猟銃で撃って自殺している。

一方、主演男優のシドニー・ブラックマーは、このあと次第にテレビに活躍の中心を移してゆくのだが、この映画の30数年後に『ローズマリーの赤ちゃん』で演じた、ミア・ファーロー&ジョン・カサヴェテス夫婦の隣の部屋に住む奇妙な老夫婦の夫役はいまでも強く印象に残っている。