多文化主義と排外主義。

日本においても、「多文化共生」という言葉はたくさん流通している。大学とか、公共の場でもよく語られる。他方で、在日外国人に対する差別は決してなくなっていない。

排外主義の声は、ネット上だけでもたくさん見つかる。朝鮮人バッシングや、朝鮮民主主義人民共和国への攻撃的な論調も、べつだん珍しくもなく、そのへんにある。

これらのことは問題である。排外主義言説は決して新しいものではなく、ずっと日本においてあり続けた声だ。それらに対して、どうするのか?そのときに、「多文化共生」という言葉を対置させるだけの、内実を私たちは持っているのか?

多文化なる言葉は、単一文化よりはよっぽどいい。しかしそもそも「文化」って複数的なものではないだろうか?私たちが排外主義の言説に直面するとき、いかなる対抗ができるだろうか?対抗できるだけの内実を私たちは持っているのだろうか?

以下に載せる文章は、韓国における「多文化主義」批判の論文の全訳である。もちろん韓国と日本では事例が違うし、具体的状況も違う。だが、単一民族という神話や、あるいは在留外国人に対する蔑視感は共通のものがある。

以前、この「反戦生活」ブログでも紹介した、韓国の移住労働者組合の活動家ミヌ氏は、強制送還された。多文化主義、多文化共生をかかげる国家において、強制送還は日常茶飯事のことである。以下に載せる文章で紹介されている韓国ソウル郊外の安山市というところは、移住動労者が非常に多い地域で、モスクがたくさんある。しかしタコ部屋的な環境も現存しているのだ。

桐野夏生が『メタボラ』で描いたような外国人労働者たちの姿。あるいは同時にある「多文化主義」と「多文化共生」。私たちは安易に「多文化共生」という言葉を使っていないだろうか。それを内実あるものにしているだろうか。


kg(ここまでの文章とここからの翻訳すべて)



原文は、ルモンドディプロマティクの韓国語版サイトより。
http://www.ilemonde.com/news/articleView.html?idxno=590


韓国的多文化主義、あるいはもう一つのセマウル運動

政府の多文化主義批判。「包接」−「排除」の矛盾を繰り返す国家動員体制。「多文化」という名前の後ろの画一性・序列化を壊さねば。


1970年代、朴正煕政権が駆使した社会統制システムを国家動員体制と呼ぶ。国家動員体制は大衆の同意を動員するやり方で、国家独裁を正当化する。代表的なものがセマウル運動だった。1970年代、国家動員体制の核心であったセマウル運動と2000年代後半の韓国社会を熱くさせる多文化主義熱風は奇異なことにも似ている。第一に、徹底して国家主導で進行している。第二に、対象にする大衆の力量強化と社会統合を強調するが、実際に起こっていることは、分割統治(divide and rule)のための内的分裂と社会的排除だ。第三に、当事者たちの主体的自立性は決して許されない。

セマウル運動の理念と組織は、徹底した国家主導によって上から下まで伝播し拡散した。このような理由で「セマウル運動という名前で進行されたすべての事業は権威主義的で戦時行政的」だった。しかし名目的な水準では大衆の自発的参与を受けなければならないから、「大衆動員的」性格を帯びた。多文化主義も同様だ。

■いきなりの多文化主義旋風

韓国は反移民国家だ。世界でも例がないほど同質化の圧力が強い社会であり、「純血」に対する脅迫をそもそも持ち、前近代的な人種主義が作動する社会だ。さらに多文化主義は、ヨーロッパとアメリカで退潮している政治哲学だ。それにも関わらず、韓国社会で多文化主義は大流行している。わずか2〜3年の間に驚くべき速度で主流壇論になってしまった。すなわち国家が主導しているからだ。韓国での多文化主義は2006年にいきなり社会的議題に浮上した。決定的な契機は、盧武鉉前大統領が提供した。2006年5月に開催された「第一回外国人政策会議」で、盧武鉉前大統領は「多文化‐多民族社会への転換」を、逆らうことができない時代的な課題として提示した。以降、それぞれの自治体を包括する政府のすべての省庁は「漂流と過剰」という批判を気にかけることなく、関連制度と施設の取り合い競争に飛び込んだ。

しかし、国家が主導する多文化主義は虚構的で矛盾した効果以上を出せなかった。国家は、国家統合性が毀損されないという前提の下でしか、異質的な少数者集団を受容できないためだ。これは、国家の立場からは少数者たちの「包接」と「排除」という、相反する作業が、一貫した統治行為の一環として遂行されるという意味だ。血統中心の偏狭な国民主権概念を固守する韓国の場合、このような問題は、より露骨な形態で現れる。

一方では多文化主義を唱えるが、他方では自分たちが支援してきた「多文化」活動家を容赦なく逮捕しなければならないことが、韓国多文化主義の現実だ。2009年10月23日、ミヌ〔ミヌ氏は、ネパールから韓国へ来て、移民労働者の組合活動をはじめ様々な活動をしていた。2009年に強制送還される。――訳者〕に起こったことだ。「多文化社会で移住民の人権保護と増進」のために「ソウルガイドライン」が公表された2008年11月12日、マソク公団では法務部〔法務省に相当――訳者〕と警察職員280余名が投入された「人間狩り」式の合同操作を通じ、130余名の移住労働者たちが捕まえられた。その中の5名は深刻な怪我をした。

国家主導多文化主義の疑心的両面性は「多文化」という象徴へ対する「大衆の同意」を動員するやり方で正当化される。「多文化」という象徴が、大衆の内面に親密な日常性として接近する過程は「セマウル精神」が内面化された過程と似ている。セマウル運動は大衆媒体と学校教育、そして国家が指定した85の社会教育機関を積極的に活用した。国家主導多文化主義もまた同様だ。1990年代の10年間、多文化と関連した記事件数は235個に過ぎなかった。それが意味するように、多文化主義が公論化された翌年の2007年には、一年だけで、2万7894件に急増した。2008年には3万6778件にさらに増えた。公益広告を通して多文化社会は「愛する気持ちもより大きくなる社会」として褒め称えられた。多文化師範学校が指定され、多文化教育センター、多文化福祉センター、多文化家族支援センターなど、全国的に数百箇所の「多文化」関連機関が設立され運営された。法務部が指定した「ABT」(Active Brain Tower)と命名された「多文化社会統合主要拠点大学」だけでも20箇所あまりにいたる。この機関を中心に「多文化専門家」、「多文化福祉師」、「多文化専門相談員」、「多文化指導者」などと呼ばれる専門家集団が促成・養成され、数多い擬似資格証が乱発された。多文化を主題とするさまざまな行事と講座には、ボランティアと受講生によって、足を入れる隙間もない。

セマウル運動のまた違った特徴は、名目的には農民層の自己力量強化と社会統合を目標としたが、実際には農民層に対する自発的接近を通し「農民層を分解」させ、国家統制に従属させる結果を出したという点だ。セマウル運動は、零細農民には、むしろ農村を出ざるをえなくさせた構造的強制として作用した。ある月刊誌は、当時の状況をこのように描写する。「1960年代前半には農村人口100名中13名が“古い村”を出て行ったが、1970年代後半には、年毎に37名が“新しい村(セマウル)”になった農村から追われた。」この点でもやはり、多文化主義はセマウル運動に似ている。零細農民が「セマウル」から追われたように、移住民もまた“多文化村”を作るという名目で推進される開発プロジェクトによって自分の生の基盤から追われていく世の中になっている。「多文化特区」に指定された」安山市ウォルゴク洞一帯が代表的だ。人為的な開発プロジェクトは移住民の生をさらに不安定にさせるだけだ。

■第二、第三の「ミヌ」たち

韓国の多文化主義は、故意に移住民の社会統合を目標にしているが、実際には典型的な分割統治のやり方で移住民共同体の内的分裂と人種的序列化を助長している。多文化主義によって先進国出身移住者と開発途上国出身移住者、ビザ所有者とビザが切れた者、韓国国籍を取得した移住者と非取得移住者の間の境界と位階は、より厳格にはっきりしていく。移住民共同体は「選別的包容」と「暴力的排除」の対称に明確に分離される。この過程で「韓国民族」もまた第一世界居住エスニックコリアン、南韓人、第三世界居住エスニックコリアン、北韓離脱住民などの順で、「人種的に序列化」される。

多文化主義という名前で行われている過酷な社会的排除と差別の最大の被害者は未登録移住労働者たちだ。移住労働者たちは韓国の移住民のなかでもっとも規模が大きい集団だ。2009年1月現在、韓国では64万人の移住労働者が存在する。そのなかで約27%に該当する18万人余りが未登録移住労働者たちだ。かれらの90%は韓国人が忌避する「3D」業種で勤務する。内国人労働者の40〜50%の賃金で、一日平均11時間から12時間の仕事をする。2007年の移住労働者の自殺率は1.01%であり、韓国の労働者全体の自殺率である0.72%より、かなり高い。かれらは「国内労働市場を補完」するだけでなく、重要な製造業の生存に絶対的な寄与をする、韓国社会に必須的な存在だ。

しかし、韓国社会の移住労働者の大多数は人権と労働権の死角地帯で「一過性労働者」と「不法人間」の間の選択を強要されているのみだ。「在韓外国人処遇基本法」(2007)、「居住外国人支援条例」(2007)、「多文化家族支援法」(2008)など、2006年以降制定された一連の移住民関連法令からも、未登録移住労働者たちは完全に排除されている。出入国管理法改定を通じて未登録在留者に対する捜査および強制退去政策は、さらに強化された。軍事作戦を彷彿させる毎年末に定期的に実施される未登録在留者合同捜査を通し、数多くの「ミヌ」たちが強制退去になる。2007年の一年間だけで、2万2546名の移住労働者が捕まえられ、その中の1万8462名が強制退去となった。大部分の捜査班員は私服だ。身分証を提示したり、同意や許諾を求めることもほとんどない。かれらの79.5%が手錠を使い、4.5%は警察装具を使った。電子衝撃機と網が出る銃を使ったことも2.9%に達した。その過程で、2003年以降だけでも、実に100余名の移住民たちが死亡した。

「国家官僚」が主導するセマウル運動の過程において、農民は「実質的主体」ではなかった。農民の自助的民主主義が強調されたが、農民の「自律性」は保障されなかった。韓国の多文化主義の最大の特異性は、すなわちこの点と関連している。韓国の多文化主義には、移住民の立場が全然ない。移住民には、いかなる主導的な役割も許容されていない。韓国で多文化主義が公論化されえた決定的な要因は、移住民の人口の増加だった。1990年に5万余名に至らなかった外国人人口の規模が、2007年には106万余名まで増えた。全体人口の2%を上回る規模である。この時期前後に、「多文化・多民族社会への転換」という問題意識が全社会的議題へと拡散されたのだ。

しかし、多文化主義の壇論で移住民自身の声を探すことは難しい。すべてのことは、韓国人だけで決定する。そのやり方で画一的な(すなわち反多文化的な)多文化の規定、資格、基準、マニュアルが作成された。移住民は「温情と憐憫」、「教育と相談」の対象であるだけで、決して文化的主体として尊重されることはない。移住民たちにはまたちがった両者択一の選択肢だけが強要されるだけだ。韓国人によって主導される多文化主義を許容するのか、あるいは拒否するのか、この二つのうちの一つだけが可能なのだ。そのように、一つの外的な強制になってしまっている多文化主義は、「多文化」という名前によって多文化の主体を排除し除外する。自分たちの切迫した現実的な欲求を無視し、自分たちの存在を歪曲する韓国の多文化主義に対し、異住民たちは冷笑的な無関心と沈黙によって対応する。

省察、批判そして最構造化

国家動員体制としての韓国の多文化主義は、「多文化社会」という言葉が連想されるさまざまな価値とは、なんら連関性がなく見える。多文化社会は伝統的に公約不可能と思われていた「多文化平等」という価値の調和を追求する社会だ。「違い」を理由に差別せず「平等」を理由に同化を強要しない社会、言い換えると、社会構成員が、それぞれの個性と文化的全体性〔アイデンティティ――訳者〕を享有でき、平等な権利と義務を共有する社会が多文化社会というものだ。いわば、いかなる多数集団(と、かれらの全体性あるいは文化)も、「普遍(標準)の地位」あるいは「主流の権威」を主張できない社会が多文化社会だ。もちろんこれは決して易しいことではない。「中心」と「標準」、「主流」と「多数」の衣装を着た既存の認識枠と制度、そして全体性に対する省察と批判、そして最構造化が要求されるのだ。その核心には民族国家を再規定する問題が占めている。構成員たちには人為的同質性を強要し、少数者には恣意的自発を行わせる「標準化された権威」の根幹の拠点が民族国家であるためだ。

韓国の多文化主義は民族国家を再動員しているという点で、多文化社会を追及する哲学であり政治志向であり問題視式である展望としての多文化主義とは画然と区分される。韓国の多文化主義は「国家が追求する目的実現のための行政および政府組織を最大限活用し、国民を動員し参与させる政治」的なスローガンであるだけだ。国家が主導する韓国の多文化主義は、偽善と矛盾を正当化するために積極的なやり方で大衆の同意を動員する。大衆に多文化は身近な日常として内面化されたが、じっさい多文化社会の主体だと言える移住民共同体は内的に分裂され、韓民族の人種的序列化が構成され、移住民の自己決定権と生の主導権は、さらに脆弱になる。

多文化主義という名前によって、1987年以降は衰退したものとして評価される国家動員体制が再稼動された理由は、果たして何なのか?セマウル運動がそうだったように「政治・社会・経済的危機を管理し統治体制の安定性を維持しようとする目的」であることは明らかだ。もし、多文化主義を再稼動している国家動員体制として理解するなら、多文化主義に対する私たちの評価と態度は修正されなければならない。韓国の多文化主義か見せてくれる偽善と矛盾の分裂症は、ヨーロッパ的理念と概念に依存しては理解することが難しいだろう。しかし国家動員体制の脈絡においてなら、それは、限りなく正常的な国家統治術の一環であるだけだ。国家は私たちに「多文化主義」を「強要」している。全国家的であり、全社会的な水準で「多文化」は私たちの綱領になっている。私は決して多文化主義に反対しない。「多文化」という名前によって私たちすべてが同一化していくことがいやなだけだ。

おぎょんそく:漢陽大学校多文化研究所、研究教授。同僚とともに『韓国における多文化主義:現実と争点』(はぬる、2007)を書いた。