[]5枚のアルバムから2012年を考える。

●しつこくも「2012年」を考えています。この5枚のアルバムから、この一年音響を。

2012年ベストアルバム160はこちら→ http://d.hatena.ne.jp/post-it/20121220


==


■Andy Stott『Luxury Problems』

f:id:post-it:20121229000202j:image

●Andy Stott、その新作の素晴らしさは、音の層をカーテンのように感じとり、それをビートミュージックコンテクストの中で、音響ビートのサウンドの関係性を新たなフェイズへと持っていったことにあると思う。前作『Passed Me By/We Stay Together』ではそれがビートを中心に行われていた(つまりビート自身の多層音響化)が、本作では、音楽としてより統合的なサウンドの拡張を目指したように思う。これはFlying Lotusの新作にもActressにもない、全く新しい、そして重要音響遠近法の再統合への実験と、その成果である(ちなみに私はFlying Lotusの新作にもActressも肯定派だ)。今回導入されたのは「声」である。声というものは、時にその支配力の強さによって声とバックトラックという(いわばカラオケ化)によってエレクトロニクス・ミュージック先進性が一気に後退してしまものだが、本作においては、声をサウンドのカーテンのように幾層に重ねることによって、ビート、サウンド、声が新たなに遠近法の下に再統合されている。また、ビートキック音色に微かに感じ取れる声のエレメントなど、そのサウンドの質全体がまるで顕微鏡的なミュージック・コンクレートのようにも感じたれる。ビートミュージックではないeRikm『Transfall』とコインの裏表のように考えることができるのではないかとも思う。



■eRikm『Transfall』

f:id:post-it:20121229000316j:image

2012年.すべての音がカオスになった。カオスの中から音と響きは再統合され、拡張されたメディアを通して人の耳へと侵入する。音と響きをつなぎとめていた微かな連結は解かれ、新たな音/響としてサウンドがリ・コンポジションされていくだろう。この時代において、ミュージック・コンクレートが新たな意味付けとともに、サウンドを連結させる楔となる。事実、エレクトロニクス・ミュージックは、その過激な現在性(つまり現在が常に流動し固定化せず、絶えまない生成変化の中にあるという意味)において、ミュージック・コンクレート化している。それは電子音楽黎明期とそれと接続されつつも同時に、聴覚のあり方を2012年的流動的拡張性の中でアップデートするものだ。Room40からリリースされたeRikmの新作『Transfall』こそ、そういった意味でのエレクトロニクス・ミュージック現在系そのものような音であるビートよりもサウンド。サウンドの中に鈍い煌きのように輝くマテリアルの質感、その接続の刺激。(このテキストは前回の記事からの再掲載です)



■Demdike Stare『Elemental』

f:id:post-it:20121229000415j:image

●同じくModern LoveからリリースされたDemdike Stareは、Andy Stottの新作と同じくエレクトロニクス・ミュージックの奇妙なカオスを再統合してみせる。B級ホラー映画フィルムの粗い質感に、、無限のノイズを聴き取るような独自のサウンドメイキングは本作においては洗練の極みに達している。ノイズミュージックビートミュージック。本来、水と油、猿と犬のような相容れないモノ同士が、しかし関係性を一旦、分断されたあとに再統合することによって、新たなフォームが生成されること。それは奇妙であり、ダークであり、シックであり、ノンセンスであり、シュールであり、リアリティックであり、曖昧なようであり、現実のものような「音楽」ともいえる。2012年世界は暗い。その暗さを快楽に変えること。エレクトロニクス・ミュージック現在はそのような転倒ことが求められているように思えた。Demdike Stareの音楽こそ、まさにそういった転倒と再統合のエレクトロニクス・ミュージックである


■X-TG『Desertshore/The Final Report』

f:id:post-it:20121229000518j:image

●インダスリアル化するエレクトロニクス・ミュージックの潮流の中で突如オリジンオリジナル・メンバーを一人欠いて復活するということ。それは果たしてオリジナルのあのバンドなのか。違うものなのか。だがそれは問題ではないのかもしれない。このカオスにより文脈がバラバラになり、全く新しい状況で再統合されようとするこの時代、かつてカオスの側から資本主義へと根源的な批判を向けたTGが復活し、それが-1、もしくはー2)ですらあっても、その「言霊」(!)を冠したことは、やはりとてつもなく重要なことだと思うのだ。ニコのアルバムカバーと、故ピーター・クリストファーソンとのオリジナルセッションを纏めたアルバムの2枚組である意味も、そこにあるような気がする。TGではないこと/TGではないないこと。その二つのあいだで生成する、過去現在の接続。この異様に緻密なサウンドメイクには、プロジェクトの終了とプロジェクトの拡張が同時に刻まれているように思える。


■Raime『Quarter Turns Over A Living Line

f:id:post-it:20121229000604j:image

ビートミュージックが極端に遅くなり、ノイジーになること。ダブとノイズを全面的に導入すること。クラブミュージックは本来の身体の快楽性に批評性を抱かないことで成立する。しかし2012年のエレクトロニクス・ミュージックは、それが享楽的なダンスミュージックコンテクストにあるはずなのに、身体性に批評性をつきつけ、同時にノイズ快楽を注入する。Raime『Quarter Turns Over A Living Line』の魅惑は「遅い」ことだ。ビートBPM)遅さとノイズをいかにして組み合わせるか。そこに必要とされるものは音の空間である。これらが三つのエレメントがある種のサウンドの総体として、音の振動を形成する。享楽性の内部にウィルスのように存在した束縛性のダンスミュージック解放するだろう。まさに2012年型の最新性の「クラブミュージックである

トラックバック
0件
ブックマーク
0 users
post-it
post-it