MUSIC]Chris Watson『In St Cuthbert's Time

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●touchからソロアルバムを出し続けているChris Watsonの2013年新作。本作もこれまでと同様に高機能マイクで録音された自然界の音の蠢きが生々しく捉えられた秀逸なフィールド・レコーディングアルバムに仕上がっている。

●Chris Watsonは本作のために、イギリスはノーサンバーランド州の小島リンディスファーンでフィールド・レコーディングを行ったという。作品コンセプトは7世紀の音の再現(!)。ちなみにアルバムタイトルとして付けられた「St Cuthbert」は、7世紀後半に亡くなった「リンディスファーンの聖人」の名とのこと(全然、知りませんでした)。

アルバムには、いつものChris Watson作品どおり、鳥たちの鳴き声や、島の環境に鳴り響いていたであろう自然の音が見事に捉えられている。じっと聴き込んでいくと、その音たちによって、リンディスファーンに連れ出してくれる感覚を覚えるほど。

●前作『El Tren Fantasma』(2011)は列車の音を中心に捉えられ、車輪の反復的な音を増幅させたりするなど、かなり意図的な操作をされたアルバムだったので(ある意味インダストリアルとでもいうような・笑)、彼のソロ作品としては、いささか異質であった。その意味で本作は久しぶりのChris Watsonならではの純粋フィールド・レコーディング作品といえよう(ちなみに、2011年にはMarcus DavidsonとのアルバムCross-Pollination』もリリースされている)。

●しかし、いったい人は、何をもって「生々しいフィールド・レコーディング作品」などというのだろうか。そもそもステレオ・マイクに録音した時点で、音は人為的意図的に切り取られてしまものだ。つまりコンポションされてしまう。

●私見だが、Chris Watsonがソロ作品で実践していることは、このようなコンポジションではないか。世界に満ち溢れている(いた)膨大で、豊かで、測定不可能で、途方もない時間空間内包した自然界の音の蠢きを、マイクという機器によって、切り取ること。その、もっとも原始的なコンポジション実践すること。録音によって生じてしま音響の変化を作品として定着すること。

●その意味で、私たちは一聴して「生々しい音」と感じるカモやムクドリの鳴き声や自然界の音であっても、むしろ元々の音の意味から一度切り離された「新しい音=響」として聴くことが求められている(もちろん、まずもって自然界の音の豊かさを聴取することは間違いではない)。音それ自体の驚きや、心地良さや、快楽を味わうこと。聴き尽くすこと。そう、録音とは何度も繰り返し聴けるからこそ録音なのだから

●Chris Watsonは、音と環境の録音という実践を通じて、環境音がどんなに生々しく録音されていたにしても、それは世界に対して人為的行為、つまりコンポジションであるという事実を見事に作品化している。録音の持つ、二つの特性。つまり「生々しさ/録音されている時点で既に人為的」という二つの極の間にスラッシュを作るのだ。二つの極を融解し、その差異を際立たせていく…。

●ともあれまずはその音の豊かさに耳を澄まし、うたれることが大切だ。自然の音/音の世界。なんという音と空間か、これが世界に満ちていた蠢く音の場か、と感嘆すればいい。音への鮮烈な驚きと初めて音を録音したときのような鮮烈な驚き、がここにあるのだから。サウンドの新たなパースペクティブの生成。その意味でこれは確かにサウンド・アートひとつのカタチであり大きな達成でもある。

2013

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