post_tokyo

2010-03-18

デザイナーズ集合住宅の過去・現在・未来 展シンポジウム2(提示編)

| 06:46

テーマは「集まって住むことの広がり」。

東京R不動産より馬場さん、成瀬・猪熊建築設計事務所のお二人、bluestudioより大島さんがパネリストとして登壇。

まずは馬場さん。

80's、90's、00'sと続く「デザイナーズ」住宅のブームを経て居住者の空間への感受性が向上した現在、新しい「デザイナーズ」の在り方があるのではないかという問いかけ。

例として提示された新しいデザインの在り方は以下の通り

・共有のデザイン

・所有形体のデザイン

・時間のデザイン

・働き方のデザイン

・エコノミクスのデザイン

・場所のデザイン

東京R不動産の実例を元にこれらの要素を当てはめながらプレゼン。デザインの変数、領域拡大という点に集約されています。

現在価値観が多様化する社会の中で共通の理想的ライフスタイルを提供することは不可能。

逆に言うと個々の価値観にライフスタイルをフィットさせる機会を提供できる住居が求められているというわけです。

実際個々の価値観にフィットしたライフスタイルで住居の変数を絞れば、駅チカ、広い間取りと言ったステレオグラムに縛られないそれぞれの居住者が(馬場さんの言葉を借りれば)クレバーにライフスタイルを選択している例が多く紹介されました。

個々の価値観に変数を当てていけば必ずしもステレオグラムな価値観は必要とされないわけです。そういった条件を捨てしまってもかまわない。

共通の価値観がないから逆に建築デザインの拡張性が潜在的にまだまだある、むしろ必要不可欠というかんじでしょうか。形体デザイン以外にもデザイン性が求められていると。

こういう話はデザインの話を聞きにいくとよく聞く話だなーと思いましたが、よくよく思い返すと建築デザインに関しては形態論、作家論、環境論以外のデザイン論が少ないことに気づかされました。

デザインの領域拡大はまだ軽視している部分があるのではないか。となると少数のしかも建築のみのエキスパートがいくら変数を統合しても限界があるようにも感じます。その限界がこれまでの建築デザインであり、これを扱いきる建築デザイン拡張の在り方、多数の変数を扱う持続的チーム像も問われるように思います。(そして東京R不動産とOpenAの関係が一つのモデルを示しつつあるというかんじでしょうか。)

次は成瀬・猪熊建築設計事務所より。

プログラム→設計→使用

という受注型のポジションを変える在り方の提示。奇しくも?それまでの論点を引き継いでいます。

目指すモデルは

プログラム←設計→使用

設計において空間に限らずシステムや使い方など同時提案を行うことを狙っていきます。

進行中プロジェクトのプロセスが非常に面白かったのですが、進行中は進行中ということで伏せで。簡単に言うと積極的に提案する領域を増やしていくという行動を取り、大きくプロジェクトを展開させています。

単純な住戸面積のみで収益をシミュレートするのではなく、それを超えた変数シミュレートする。収益性をデザインしているというわけです。集合住宅ではなく共同住宅というのがミソ。

そして大島さん。

Narrative Design、物語をデザインする。という提示。

住居を「借りる」と「買う」の間の「中間層」が増えているという分析。これは先に馬場さんの話にあったクレバーにライフスタイルを選択している層と被ります。この層というのは端的に言うと年齢層に当ったかと思います。

この辺の年齢層やら所得やら家族構成やらの傾向は色んなテーマに絡みそうで、非常に複雑で分解、カテゴライズはさして意味を持たなくなっていくのではないかと思います。だからこそ簡単なカテゴライズとそこをスタートとしてフローチャート的に拡張したデザインの領域から提案を行うことに意味がありそうです。

話を戻すとその「中間層」は「あえて賃貸派」と「流動資産派」に分割されます。

いずれも自己の価値観とライフスタイルをフィットさせる合理的選択を行います。住環境は与えられる物ではなく、自ら作るものだという考え方であるようです。

とすると設計者はそのための下地を作ることが要求される。

そこから共同住宅の話に移ります。

共同住宅は個々の人ではない仮想誰某を相手に設計しないといけなくなります。そこで先ほどの層から支持を得るにはどうするのか。

端的には価値観と世界観のシェアをいかにデザインするかということになります。

それにより住宅の差別化と居住者のフィルタリングを同時に行えます。これは多様な事象から単純なシステムで特定者を引き上げるうえでかなり有効だと思いました。

世界観=物語が共有できる人達が集まる住居。一つの共同住宅が一つの物語を共有する。

ちなみに規模が拡大した場合どうなるのかということは後の議論で、複数の物語とさらにそれを緩くつなぐ物語の存在があげられました。

この場合でも、物語の共有ができなくなったら軽やかにそこから出て行けるというスタンスが前提なのは間違えありません。でないと某ニュータウンの南仏風なになにの抜け殻に成り果ててしまいますから。

と、この辺で長いし疲れたので一旦区切ります。今度はちゃんと続き書きます。

sh19esh19e 2010/03/18 07:27 価値観が多様化した現代社会で、個人向けに設計していこうとするのが馬場さんのスタンスで、少し大きな共同体(5〜10世帯くらい?)向けに設計していこうとするのが大島さんのスタンスだとすると、成瀬・猪熊さんの「プログラム←設計→使用」というスタンスは両者を統合した論理のようで、より大きな規模の集合住宅や新しい集合のあり方の可能性があるようにも思えました。

そこで一つ質問なんですが、「物語が共有できる人たちが集まる住居」という物語が信じられるから、集合住宅に人が集まって住むんだと思うんですが、特に共通の価値観が前提にできなくなった社会において、住人にそのような物語を信じさせているものとはどのような要素(ex.プログラムの新規性なのか、共有空間のあり方なのか、デザインなのか、人のつながりなのか、デザイナーズという記号なのか。)だと考えられるんでしょうか?また、これからの集合住宅にはどのような要素が必要だと考えられるんでしょうか?

その辺りのことがもし、シンポジウムで話されていたり、赤崎さんのアイディアがあれば教えていただきたいです。

post_tokyopost_tokyo 2010/03/18 08:57 コメントありがとうございます。
まずシンポジウムでのことですが、共通の価値観を共有できないからこそ、小さな世界観の共有を行うことで集まって住む豊かさを生み出せるのではないかという話が出てました。住人に信じさせるというよりは信じている住人同士が集うようです。確か大島さんがmixi的と表現されていました。SNS的物語の共有というかんじですね。
実際bluestudioのシェアハウス例も単純な共通の取っ掛かりがあるだけで豊かに共同生活を楽しんでいるそうです。例えばスペイン好きの集まるアンダルシア風の共同住宅とか。そういう共通点を元に共有幻想、物語を住み手も作り手も管理者も盛り上げていく、それだけで共同性を人は見いだせるようです。
ただこういう生活が可能な人は現状「中間層」であって、自分の生活をプロデュースできる嗅覚と手段を持っていて、軽やかに住居を移せる人に限られています。そういうものを持っていない人にいかに拡げるかが鍵のようです。
また規模と運営をセットで考えることで共同住宅のスケール変化に応えられるのではないかという猪熊さんの主張があったのですが、それはかなり可能性を感じました。
僕個人に関してですが、要素だけではどれも限界があると思っています。それらの組み合わせ編集をいかに行えるかというところが大事だと思います。物語の要素を更新する環境が必要なのではないでしょうか。
あと要素ということではSNS的共同住宅同士を繋ぐ要素はあるのか。それは可能か。繋げることにどんな意味があるのかという所が気になっています。

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