常夏島日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2012-09-22

[]頭のいい人が見ている世界

最近、嫌なことがあったんです。聞いてください。


某H橋大学卒業の人たちと話してた時のこと。ある人が、「電車に乗ったときに、入ってすぐ、なんとなく近くの駅で降りそうな人が見つかるので、その人の前に立ってれば、さほど苦労なく混雑した電車でも座れるよ」と言ったところ、何人かの人が、「ああ、それあるある」とか言ってました。たしかに、私も、とても座りたいときに意識して周囲を見て、この人はごそごそ動いているから降りるかな、と思って狙っていったら何割かの確率で実際に席に座れるので、みんなそんな意識しているのかな頭がいい人は日々の過ごし方や意識の持ち方が違うのかな、っておもってきいてみたら、「別にそんなのわざわざ意識する話じゃないでしょ、なんとなくそう見えるからそうしているだけだよ」と口をそろえて言います。


またある日、某T京大学卒業の人たちと話してて、混雑した駅で早く進みたいときの話をしていたところ、「周りの人は基本的に等速直線運動をするはずだから、8割方の人の動きは読めるし、突然方向転換したり携帯をのぞきこんだりする人は態度でなんとなくわかるから、そうやって動きを予測すれば早く進むのに苦労はないよ」と言い放つ人がいて、周りもごく当たり前のようにうんうんとうなずくわけです。そんな周囲の人の動きの全体像なんて、相当意識しないと把握できないでしょ、と言ったら、「いや、なんとなくわかる」と口をそろえて言います。


頭がいい人が見ている世界と、私のようなのが見ている世界は、どうも違うようです。というか、見ているものの視野の広さも違うし、そこから得られる個々の情報の量も違うし、それを分析する能力も全然違うようです。むかし、有名なプロ野球選手が、「球が止まって見える」との名言を残しましたが、どうも頭がいい人たちが見える世界は、「人が止まって見える」世界のようなのですね。


同じものを見ても、違うように見える、そんな風に、人はひとりひとり違う世界を見ているということに、どれだけ多くの人は気づいているのでしょうか? 僕が混雑の雑踏を見るのと、そういう頭のいい人たちが雑踏を等速直線運動で理解するのは、全然違う世界を見ているということに近いと思います。


ああ、何かそこには深く大きなギャップ、あるいは断裂があるのでしょう。


なにか別の生物が同じ人間の皮をかぶって、私が話している日本語とは別の日本語を話していると感じた瞬間でした。ああ気持ち悪い。



(参照図書)

YASHA (1) (小学館文庫)

YASHA (1) (小学館文庫)