常夏島日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2012-10-20

[]例の偽装メール事件が示唆するのは、警察の無理筋捜査だけじゃない

少年の自供誘導か…上申書、詳細すぎる記述 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

朝日新聞デジタル:「早く認めた方が有利」 誤認逮捕の学生に神奈川県警 - 社会

など、警察の捜査がおかしかったのではないか、誘導だったのではないかという批判がなされています。

典型的にはPC遠隔操作事件が白日のもとにさらした、警察の自白強要‐anond.hatelabo.jpあたりの記事が指摘するところです。


私もそれはその通り、と思います。個人的に、詐欺の被害者として警察の取り調べを受けたときに似たような経験があるので。まあ被害者なので、被害感情の峻烈さとか落ち度がなかったことの強調とかを小学校の教科書のような日本語で書かれて、俺はこんな頭悪い話し方は一回もしたことないぞと思いつつハンコをついたという経験ですが。


でも、実はこのいきさつが示唆する問題点は、もう少し根深いものがあると思います。


いみじくも上記朝日新聞の記事に書いてありますが、「早く認めれば処分も有利になる」という言葉です。


日本の司法においては、一部で知られた事実ではありますが、かけられた嫌疑を、早く認めてごめんなさい、すればするほど、課される制裁が軽くなります。そして、裁判判決の日まで犯行を認めずに否認しとおしたら、裁判所判決ではしばしば、やった奴が自分の罪も認めずに強情に否認をし続けるとはけしからんので罪を重くするとかというコメントが出てきます裁判員制度の導入まではこのような判決が横行していましたし、裁判員制度が導入されてからも変わったという話は聞かないので、ひょっとしたら裁判員もそういう考えに同調しているのかもしれません。


でも、本当に罪を犯した人が、しらばっくれてやってないと言い逃れるのは確かに「盗人猛々しい」という評価にふさわしいと思いますが、もしこれが冤罪だったらどうなるでしょう? 警察も検察も誤解して訴えたのに、無実を確信して、なんせやってないんだから、と思って裁判所で主張したら、裁判官が「けしからんので罪を重くする」と判示するこの理不尽。


さらにその前段で、判事と同じような専門的訓練を受けてきた検事が同じような判断をしているからこそ起訴されるわけです。実際、被害者の証言に多くを依存するがために冤罪の温床と言われる痴漢事件などでも、最初からごめんなさいした人は起訴猶予になり、最後まで争った人は起訴される実態があります。ごめんなさいした人でも、争った人でも、やったことの中身は変わらないわけで、そこで差をつけるのが本当に合理的なのかどうかという疑問があるわけですが、実態的には、最初にごめんなさいするほうが有利な運用がされています。いみじくも、冒頭の記事に掲載されている大学生は保護観察処分になっているわけですが、これが最後まで否認して争ったら、嘘のIPアドレスの証拠で起訴され裁判にかかり、今頃ひょっとしたら刑務所にいたかもしれないわけです。


とすると、問題は、単に警察の強引な捜査だとかでっちあげにあるだけではなく、そもそも日本の司法自体に、実際に罪を犯していようがいまいが、本人にとって罪を認めるほうが得であるというインセンティブシステムが埋め込まれていることにあります。闘ったらブタ箱で、認めれば起訴猶予の保護観察処分、ということであれば、普通なら認めますよね。警察の誘導に従ってでも。問題なのは警官の誘導だけではなく、その誘導を力あるものにしている日本の裁判の判断そのものにあると思うのです。



そして、そのような日本の裁判の判断を、日本人は最高裁判所裁判官国民審査制度を通じて認め続けてきました。またもし裁判員制度によってもこのような判断の仕方をひっくり返せないのであれば、警察・検察にいったん目をつけられたとたんに、嘘であろうがホントであろうが罪をとっとと認めたほうが有利である、という冤罪生産システムを、日本国民として支持し続けているということになります。


警察の愚かさを指弾するのはいいけれど、最後はそれ、自分たちにかぶってくるんですよ?



(参照図書)

そしてそんな日本の司法文化を全面的に礼賛する本がこんな感じで出版されています。

日本の司法文化 (文春新書)

日本の司法文化 (文春新書)