【映画】A.I. 





「わたしたちは2千年待つべきだろうか」


海辺にひとり立っている。海の向こうには輝く島々があることを知っているけれど、ここからは見えず海を渡ることもできない。触れることも、証明することもできない。ただ思い出し、浜辺に立ち尽くす。海のかなたに、神話のようにある島々とはなにか。それは過ぎ去った瞬間、還ってこない場所――2004年6月の温かいある日、シーツの間でたわむれあったあの朝。2005年9月の肌寒いある日、慢性的な疲労の中で絶望的に話し合ったあの夜――聖別されてしまった孤島。私はそこと和解しなければならないと感じる。それは現在の彼女と和解することではない。過去に起こった出来事のその時とその場所が私を訪れることだ。けれども通常の時間と空間の中では、どれだけ待っても不可能なことだ、たとえ2000年待ったとしても。

映画「A.I」は2001年にスティーヴン・スピルバーグによって制作された。主演はデイビットを演じたハーレイ・ジョエル・オスメント、ジゴロ・ジョーを演じたジュード・ロウ、モニカを演じたフランセス・オコナー。正直にいうと、この傑作がスタンリー・キューブリックの原案かどうとかいうことには興味がない。ひとつ言えるのは、ラストシーンがスピルバーグのアイデアなら、手柄は彼にあるということだけだ。

舞台は未来。「愛することができるロボット」としてデザインされたデイビットはモニカの家にやってくる。彼女は彼に7つの言葉をインプットして母親となり彼を迎え入れるのだが、実の息子が戻ったことをきっかけにデイビットは森の中で置き去りにされてしまう。バックミラーの中で小さく消えてゆく姿、この場面を最後にモニカ本人はデイビットと切り離されて二度と登場することはない。ひとりぼっちになってしまったデイビットは「本当の人間の子供」になる方法を探すためにさすらい、ジゴロ・ジョーと行動を共にするようになる。ちなみに、ジョーはセックス・ロボットとしてデザインされていて、穏健な形でデイビットの愛と対照を描いている存在だ。ジョーはセックスを知り抜いたロボット、愛のテクニカルな側面を知り抜いていると話す。

「ママも僕の客と同じさ、君がするサービスを愛してるんだ」

精巧にプログラミングされたサービスは愛と見分けがつかないものかもしれない。そもそも、私たちは愛とはなんなのかということを完全に言い表すことはできない。いくら言葉を振り絞っても、捕えるどころか指の間からこぼれ落ちるように、抜け落ちてしまうものが浮き上がってしまう。いや、それどころか何が抜け落ちてしまったのかさえ、塗りつぶされてしまい感じ取ることさえできない。ジョーには不可能で、デイビットの目指す「本当の人間」なら、それができるというのならば「本当の人間」とは一体なんだろうか?未来の検索エンジン、ドクター・ノウはデイビットが人間になるために探し求めるブルー・フェアリーの居場所を、ひとつの隠喩で答える「ライオンが涙する地の果て、夢が生まれるその場所」。

しかし、マンハッタンに着いたところで待ち構えているのは救いのない設定だ。自分がどこで、いつ生まれたのかさえ知らなかったデイビットが知るのは、この世界では自分がどうあがいても「本当の人間」などにはなれないということ、ラボには自分の量産機が進歩して快適になった形で作られていること、メカニカルな子宮で見た記憶はただの企業のロゴにすぎないこと。その結果に、水没したマンハッタンの海にそびえるビルからデイビットは墜落する。そして彼が選んだことは海の底で、かつてのコニーアイランドにあるブルー・フェアリーの像の前で、水空両用のヘリコプターの中に座り、祈り続けることだった。

もし、祈りが、ただ言葉を宙に投げ出し拡散させてしまうだけのものなら、私たちの祈りに何の意味があるだろうか。ヘリの中でデイビットはいつまでも、ただ祈り続ける。残酷な場面。ひとつの可能性や願いの前で祈り続ける、文字通り可能性や願いが叶うまで祈り続けるということは狂気に等しい。火に包まれた殉教者よりも恐ろしい、途切れることのないいつまでも続く時間。ブルー・フェアリーからは何の返答もなく、沈黙したままだ。あるのは欠点のない無謬の愛を組み込まれたロボットにのみ可能な祈り。一体、どこの変態野郎がこんなシーンを考えたのだろうか。彼が祈る対象は遊園地にあるハリボテだし、祈る内容が望みのないことは全編にわたって繰り返されてきたことだ。Windowsならこう言うだろう「このプログラムからの応答はありません……救ってくれる神もいない海底で、どこにも辿りつくことがない言葉を吐き続けたデイビットもついには機能を停止する。動くものが無くなった機内は静まり返り、祈りの言葉は霧散してしまう。

ところが、ここから物語は超展開を見せる。氷で覆われた2000年後の惑星に立方体の飛行物体が滑空してゆく。乗り物に乗っているのは宇宙人に似た未来のA.Iたちだ。彼らは氷の下から掘り起こされたデイビットに触れ、彼を蘇生させ、彼の記憶をスキャンする。眩しい光の中で目を開けたデイビットはメモリーによって再現された母親の家(Home)の中にいることを知るのだが、この場面は非常に象徴的だ。未来の住人たちは宙に浮いた丸い円盤を取り囲むように立ち、円盤に映る(あるいは円盤の中に別の空間があるのかもしれない)デイビットがいる家をまるで別の次元から見ているように見下ろす。もしかすると、ここは死後の世界なのかもしれない、ちょっと変わった天国なのかもしれない、と見ているものに思わせる。

ブルー・フェアリーの姿を借りた未来の住人が望みを聞くと、彼の海の底の祈りはひとつの言葉に結晶化する、「ママを生き返らせて(bring her back)」。彼らは「もし母親を呼び戻したとしても、たったの一日しか存在できない。そして二度と会うことはできない」と告げ、それでもいいのかと尋ねる。彼は答える。

「その1日はあのヘリの中の1日になるかも、永遠に続く1日に」

デイビットは思う、この家はよく似ているけれど、どこかちょっと違う感じがする。それにとても静かで、不思議だ。寝室のベッドには誰か寝ている。柔らかい朝日、起きたばかりの生まれたてのような髪の毛、悲しみのない穏やかな額、まどろんだ暖かいまなざし、そっとささやくような声、笑顔――母だ。

とても美しいシーンだ。と、同時にある戦慄を感じた。それはヘンリー・ミラーの最晩年の短編に対するひとつの回答がここにあるという予感だった。エディション・イレーヌから出ている「母、中国、そして世界の果て」という小冊子に「母」というごく短い小説がある。夢の中で、煉獄にいたミラーが「生涯憎みつづけた母」と出会うというものだ。煉獄という、「空間の果てもなければ時間も存在しない、いわば永遠のなかの一点」で母と再会するのだが、そこにいたのはとても奇妙な母の姿だった。

「かつて鉄のダンベルのように僕に重くのしかかった」母の言葉ではなく、包丁を突き付けて20歳年上の子持ちの未亡人との結婚に反対した母の姿でもない。輝くように若く、聡明な言葉はまるで別人のようだ。ミラーはその母と語り合う。作家はこの短編を書いたときすでに84歳になっていて、おそらく彼の母はとっくに亡くなっていただろう。そんな彼女が、彼がこうであって欲しいと願っていた理想の母親として語りかけてくるのである。そこには口論も喧嘩もない。自分が呼び戻した理想の母として、不在になった人と語り合う。これはなんなのだろうか?それは和解だ。

では和解とはなにか。それは失われた相手を生き返らせ(bring her back)語り合うこと、手元に引き戻すことだ。しかし、過去は現在から切り離されてしまって孤島のように隔てられている。和解をするということは、その島全体を現在に引き戻すことに他ならない。でも、どうやったらそんなこと出来るだろうか。フィリップ・K・ディックの小説に出てくるような時間と空間をねじ曲げるドラッグはどこにも売っていない。術策をしかける相手もいなければ、どこへ向かえばいいかもわからない。海図に島の場所は記されていない。デイビットがブルー・フェアリーにどこで会えるのか知らないように、私たちも和解に至る道を知るすべはない。運よく、彼のように祈り続けるための海底を持ったとしても、いつ可能性が成就するか。5分後だろうか?それとも10年後?それとも80万年後?私たちはいつ訪れるか分からない可能性にかけ、デイビットように永遠に2000年待つべきだろうか。それは去年を待つようなものだ。

「おっしゃるとおりです。ずっと去年が戻ってくるのを待っていました。でも、どうやら戻ってはこないようです」(「去年を待ちながら」フィリップ・K・ディック

私たちの<去年>は根拠をすでに失っている。一冊の辞書には、アルファベットの「A」と「B」のあいだに順番はあるけどそこに時間の経過はないように、未来のA.I.が「一度使われてしまった宇宙時間は二度と使えない」と言うように、私たちの<去年>も、常に使われたあとで、時間の経過を失って記憶となっている。この一度使われてしまった「去年」にふたたび時間を与えられるとしたら、静止した時の中でのみ可能だ。「A.I.」と、そして「母」が示したのは、夢の中、死後の世界、煉獄、2000年先の未来、空間の果てもなければ時間もない一点、永遠に続く一日の中でしか、失われた去年は戻ってこないということだ。時間のない場所の中とは、言葉が完全に叶う場所を意味する。そこでは愛の言葉、償いの言葉は、私たちのいる惑星の上とは異なり、何一つ損なわれることなく伝わる――映画のラストシーンで母がデイビットに伝える「I love you」は、そこで真に「I love you」となる――罪は清められ、嘆きは消え去り、祈りは叶う。つまり、時間のない場所に立って初めて、言語は完全に実行され、過去は甦る。逆に言えは、時間がある限り和解は成立しない。それは地球上では誰も幸福になれないということだ。


誰一人として地球上では幸福になれない。金持ちですら惨めだ。才能に恵まれた人間ですら、ありとあらゆる試練をくぐらねばならない。あたかもこの惑星そのものが病んでいる、はたまた呪われているかのようだ。呪われた惑星!間違いなく呪われた星だ。正気なのはブレイクやランボーのような狂った詩人たち。(「母」ヘンリー・ミラー

そう、呪われた惑星だ。言葉は有限の時間の中では決して相手には届かない。私たちの語り合いは虚しく空中に放り出されたままで打ち棄てられる。ヘリの中で祈り続けるデイビットの姿は、私たちの姿そのものだ。ごくまれに地上から離れる瞬間があったとしても、夢の時間が終わればまた元通り。再びむくわれない地上での生活が待っている。これを呪われた星と呼ばずになんと呼べばいいか?更に言うならば、そこで行われる和解も徹底的に一方通行で独りよがりなものにすぎない。なぜなら生き返った母親には、「A.I.」の表現を借りれば「魂がない」。魂を持たないゴーストは残像であり、本人の代用品である。糸巻きを投げ出して「いない、いない」とつぶやき、手元に引き戻して「いる!」と叫ぶ幼児の遊びのように煉獄の中で引き戻された母は、あらかじめプログラミングされたA.I.であるかのように――まさしくデイビットのように――完全な愛を与えてくれる本物の代用品だ。現実の母ではなく代用品の「母」という言葉を選んだときから、私たちの言葉は避けようがなく空虚で、あらかじめ虚しさで満ちている。ということは、この惑星上では不完全な形でしか機能しないということ、引き戻した母とは代用品であること、という言葉の本質である虚しさを二重に悟らされたことになる。それじゃあ、こんな和解に意味なんてあるのだろうか。




再び彼女の夢を見た。夢の中で彼女はセックスの後、すっ裸でほほ笑んでいた。孤独でうちひしげられた慰め。けれども、目が覚めた後に新しい風を、かすかな胎動を――虚しさの上に立ち上がるもの、静かにあらわれるものがあった。それは裂けた傷口、眼、女陰であり、そこからあふれ出るものは血、涙、精液だった。額から眼窩へ流れおち、耳朶から首筋をつたい肩に届く、甘く、苦い、ぬくもり。この温かさがなければとっくに凍え死んでいただろう。ひとつの歌も生まれずに、呪われた惑星は氷河に覆われてしまっていただろう。夢にはなんの意味もなく、一方通行の和解にはなんの可能性もないだろう。そう、和解がおこなわれるとき、裂け目そのもの、不和そのものが私たちの前に訪れるのだ。この取り引きで――もしこれが取り引きだというのならば――私たちは何かを失い、裂け目の前に立ち尽くすということを得る。ぼう然とただ立ち尽くす、すると聖痕のように傷口が突然、そして再び、あらわれ血を流し始める。そのとき何が起こるのか?そこで歌が生まれる。

この取り引きを通じて私たちはある種の恍惚とした宗教的体験に遭遇する。しかし、それは直接現実の世界に働くようなものではなく、根本的には象徴の世界に属する。いうなれば言葉についての鍵のようなもの、ささやかなものだけれども芸術を生み出すものだ。映画の中で未来のA.I.たちは言う「魂を持っている人間をうらやましく思う」。裂け目を持つことのないものは夢を見ることはない。けれども、デイビットは最後に物語が終わろうとする中、夢を獲得した。これはデイビットの機能停止を意味するものではない。未来のピノキオが2000年にわたる長い冒険の末、魂を獲得したということなのだ。夢とは象徴の世界、つまりは言葉の世界――空間もなく、時間もない世界――であり、夢を獲得するということは、象徴の世界を獲得すると同時に、現実そのものから薄皮1枚で切り離され、からっぽの部屋である魂の座が作られるということである。現実の世界から切り離されてしまった、最初にして最大の不和、私たちが生まれた場所との不和、この裂け目は誰にでもあり、生きている限り傷口はふさがらず血は流れ続ける(しかし、古くからある表現のように「涙も涸れ果てる」ということはありえるだろう)。彼はもとには戻れない裂け目を受け入れ言葉の森を、祈るための海底を、別のたとえを使うなら象を作る工場を、胸に宿した。彼は「本当の人間」になったのだ。人間は誰もが自分が生まれた場所、粉々に砕け散ってしまった場所と和解しなければならない。彼はそれをやり遂げた。夢からさめ、再び目を開けたデイビットが見るのは、もはや凍りついた地上ではない。




あんたは自分の意識の底にある象工場に下りていって自分の手で象を作っておったわけです。それも自分の知らんうちにですな(「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド村上春樹

すべての偉大な芸術家はこの道を通ってきた。裂け目がもたらす景色、むき出しにされ限りなく硬い、どこまでいっても底の抜けている世界の不思議(wonder)と向い合いながら。そうやって彼らは偉大な芸術を作り上げた。が、芸術とはなんだろう?それはそのものの中に時間を再生産――かつてあった時間を、かつてあったかもしれない時間を、これからあるかもしれない時間を、現在を――再び生み出すことなのではないだろうか。また、言葉を綴るということは、物語るということは、ここにいながらにして書かれた文章の中でひとつの夢を見ることではないだろうか。そうなら、私が取りうる倫理的な行動はひとつしかない。私は、座りながら、立ちながら、寝ながら、がつがつと食べながら、酒を飲みながら、煙草を吸いながら、くつろいでコーヒーをいれながら、ソファで本を読みながら、ベッドで性交しながら、泳ぎながら、走りながら、歩きながら、キーボードを叩き文章を綴る。そう、彼女を2000年待つかわりに。

エレベーター

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You could always tell when Albert was arriving because of the commotion in the elevator――a great cussing and whining followed by a handsome tip which accompanied the process of bringing the floor of the elevator to a dead level with the floor of our tailor shop. If it could not be brought to within a quarter of an inch exactitude there was no tip and Albert with his brittle bones and his bent spine would have a devil of time choosing the right buttons to go with his dotted vest, his latest dotted vest. (When Albert died I inherited all his vests――the lasted me right through the war.)

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commotion 暴動、騒動、動揺、持続的な動き、同期的運動
follow 〜の結果として 〜についてくる
cuss <口語>curse ののしる、九対をつく
whinge 泣き言を言う、愚痴をこぼす、
tip チップ
handsome (金額などの)かなり、気前の良い
accompany 同行する
exactitude 正確、精密
devil of〜 <口語>実にひどい、どえらい、痛快な
inherit 授かる、相続する、受け継ぐ
last(vi,vt)続く、存続する、耐える、持ちこたえる、損なわない



これだけを読んでも、アルバートが誰と争っているのかわかんない人が多いんじゃないでしょうか。ちょうどディックの小説の中で当時のエレベーターを描写したものがあるので、それをまず引用してみます。

<そして、自分が開いたエレベーターの箱と向かいあっているのに気づいた。ピカピカの真鍮の飾りのついた檻型のエレベーターは、一本のケーブルで吊るされていた。制服姿でどんよりした目つきの昇降係が腰掛けに坐り、ハンドルを動かしている。昇降係は二人を無関心に見つめた。>
「ユービック」(フィリップ・K・ディック 朝倉久志訳)

当時のエレベーターは人が乗って操縦してたんですね。当然、上手な昇降係もいれば下手な人もいて、床ぴったりに停めれない場合も多かったんだろうと思います。当時をしのばせる日本の古い手動式のエレベーターも残っているようです。
http://portal.nifty.com/2008/02/25/c/
http://portal.nifty.com/special04/11/28/2.htm
ニューヨークにエレベーターが登場したのが1889年だから、ミラーは1891年生まれなので、20代のころにはそこそこ普及していたんでしょう。さすがに昔の風習なので昇降係をいうことを補っておきます。訳注ですませるっていう手もありますねー、あれやってみたかったんだよねw そのうちやろうっと。



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アルバートが来るといつも彼の到着を知らせる一騒ぎが起きる。罵声と悪態が響きわたり、アルバートがエレベーターの昇降係に――僕らの仕立屋のある階の床とエレベーターの床との間に、彼の曲がった腰が砕けそうなほどの段差が出来ているという結果に対して――気前よくチップを払えるものかと大声でののしっている。もしエレベーターが床に対して正確に4分の1インチ以内に寄せることができなかったら、チップは1セントたりとも出ない。それだけではなく、腰のひん曲がった骨のもろいアルバートは、彼の棺おけに納まるベスト――彼の最後の水玉ベストに付けるのにふさわしいボタンを選ぶという、最悪の時と迎えただろう。(アルバートが死んだ時、僕は彼の水玉ベストをすべて貰いうけた。水玉ベストは、戦争が終わるまでの間、僕の服装を実にふさわしく保った。)

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水玉のベスト

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If Albert, who was a little cracked and had a penchant for dotted vests, happened to see a cutaway hanging on the rack with the words H.W. Bendix written in green ink on the try-on notice, he would give a feeble little grunt and say――”feels like spring today, eh? ” There was not supposed to be a man by the name of H.W. Bendix in existence, though it was obvious to all and sundry that we were not making clothes for ghosts. Of the three brothers I liked Albert the best. He had arrived at that ripe age when the bones become as brittle as glass. His spine had the natural curvature of old age, as though he were preparing to fold up and return to the womb.

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cracked 砕けた、割れた、(人格、信用)損じた、落ちた (声)しゃがれた<口語>いかれた、気の変な
penchat 傾向、好み、趣味
dotted(服)水玉
cutaway モーニングコート
try-on 試着、試し
notice 気づき、知らせ、ビラ、告知文
feeble 弱々しい かすかな
grunt ブーブー鳴く、言う
feel like(天候)どうやら〜らしい
be suppose to〜 〜することになっている、〜するためにつくられている
sundry 種々様々の
obvious 明らかな、わかりきった
though〜 〜にもかかわらず、〜だけれども
ripe 熟した、盛りの、すっかり準備の整った
brittle 砕けやすい、割れやすい、もろい
spine 背骨、脊柱、脊椎
curvature 曲げること、湾曲、ひずみ
prepare 準備する
fold up きちんとたたみ込む、たたんで小さくする
as though=as if〜 まるで〜かのように


ベンディクス三連星のひとり、アルバートです。
”feels like spring today, eh? ”が難しいところです。直訳すると「どうやら今日は春みたいだな、あん?」となるところですが、それじゃあまりにも意味が伝わり辛いです。色々考えてみたんですが、僕の出した結論は、これは少し前に出てきたthe words H.W. Bendix written in green inkのgreenにかけてあるのでしょう。greenは緑という他に、草、「あー田舎は緑があっていいなー」と言う時に使われる意味でのグリーンのことだと思われます。もしくは、「一体いつから春になったんだい?」という、そのまんまのすごーく遠まわしな皮肉か、のどちらかでしょう。cutawayはモーニングコートはコートとはいえ、要するに燕尾服ですから季節は関係ありません。ちなみにgreen inkをウィキで調べると、確かに独自の意味はありますが、この場合には関係のない内容でした。ですからここでは、緑色をまぶしがるアルバートというニュアンスを軽く、どこかに補い出来るだけ緑のインクのすぐ後にアルバートの発言が来るようにできればいいんですけど。

ちなみに前半の長い一文は仮定法になっていますが、あまりに具体的な記述から「上島竜兵の仮定法」と名づけましたw 読者からすれば「お前、絶対にそれをやらかしただろ!」と突っ込む場面です。

次の文は否定をひっくり返して「幽霊に服を作っていたように」とやっておきます。



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僕らの方も触れないように充分に気をつかっていたけど、水玉模様のベストが好きな、ちょっとイカれたアルバートが店にやって来て、ラックに架かった仮縫い中のモーニングコートに「H.Wベンディクス様」と書かれた札がぶら下がっているのに気づくようなことが起こったとしたら、もぐもぐ不満をこぼしながら緑色のインクで書かれた名前を見て言っただろう。「どうやら今日は春みたいだな、あん?」そんな状況では、まるで僕たちが幽霊を相手に実に様々な服を作っている最中だったかのように、H.W.ベンディクスという人間は存在しないことになっていた。僕は3人のベンディクス兄弟の中でアルバートが一番好きだった。彼はすっかりお迎えの準備ができている年になっていて、骨もガラスのようにすっかりもろくなっていた。

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シュナップス

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R.N.I never saw in the flesh. He was an item in the ledger which Bunchek the cutter spoke of glowingly because there was always a little schnapps about when it came time to try on the new trousers. The three brothers were eternal enemies; they never referred to one another in our presence.

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flesh (n) 初期、清新な時期
glowingly 熱のこもった。熱中している

fleshで初期、とか清新な時期という意味があるのは知りませんでした。しかし、これって結局ミラーはRNに会ったことあるんでしょうか? このin the fleshというのは仕立屋に勤めていた時期と考えた方がよさそうです。この後、母親の年と大して変らない女性と同棲したり、無職状態になったり、フランスに行ったりするようになるので、それと比べてfleshということなんでしょう。うん。Bunchek the cutterはジャック・ザ・リパー(切り裂き魔ジャック)と同じです。裁断師のバンチェクとしておきます。schnappsはよく火酒と訳されていることが多いですね。でも僕はマスターキートンで出てきた一場面が印象に残っているので(東欧の廃墟のアパートで酒盛りしてるおっさんがソーセージ食べながらキートンさんに一杯勧める場面)シュナップスは蒸留酒のイメージです。ウオトカあたりが代表的かも。ウィスキーはあんまりシュナップスとは呼ばないようです。

あと、今日からBendixをベンディクスと改変しますw やっぱり元の発音に従ったほうがいいよねlol

ベンディクス兄弟が一通り終わったら一度そこまでの訳をまとめて修正してみます。

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僕が父を手伝っていたころ、一度もR.Nを見なかった。彼は帳簿の中の名前でしかなかったけど、裁断師のバンチェクは彼のことを熱のこもった調子で話していた。R.Nが新しいズボンを頼む時が来ると、そこでいつもシュナップスにひと口ありつけたからだ。3人のベンディクス兄弟は永続的に憎み合っていて、僕たちの前ではほかの兄弟のことは一切触れなかった。

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THREE BENDIXES

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There were three Bendixes――H. W., the grumpy one, A. F., whom the old man referred to in the ledger as Albert, and R. N., who never visited the shop because his legs were cut off, a circumstance, however, which did not prevent him from wearing out his trousers in due season.

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grumpy 気難しい、不機嫌
refer 言及する referred to ―as〜 〜を―と呼ぶ
ledger 台帳
circumstance 事情、状況、環境
wear out すり減らす、使い果たす
trouser ズボン用の
due 当然支払われるべき

ベンディックスには3人の兄弟がいた、ちなみに全員タチの悪い男どもです。考えどころはこの二箇所でしょう。

A. F., whom the old man referred to in the ledger as Albert

a circumstance, however, which did not prevent him from wearing out his trousers in due season

直訳すると

「台帳の中でアルバートと呼ばれている老人であるアルバート

「彼に当然擦り切れさせるであろうシーズンに、彼のズボンを擦り切れさせることから彼を妨げることがない事情」

となるので、日本語としてどうやって書き下すかというのかという問題になります。個人的には直訳の要素が多くなってもいいと思ってるんですがね。

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ベンディックスには3人の兄弟がいた。H.W.、ご存知の気むずかしい男。A.F.、帳簿の中でアルバートと書かれている老人。そしてR,N.、彼は一度も店を訪れたことはない。もっとも彼の場合は両方の足が切断されてしまっていたので、店に来れないというよりは1回のシーズンでズボンがすり切れたりしない、という理由があった。

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My brother was a halfwit and he got on the old man’s nerves even more than H. W. Bendix with his“ Pastor So-and-so’s going to Europe… Pastor So-and-so’s going to open a bowling ally, “etc. “Pastor So-and-so’s an ass, “ the old man would say, “ and why aren’t the dumplings hot? “

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halfwit まぬけ、うすのろ、精神薄弱者
nerves(nerve) get on 〜‘s nerves  〜の神経にさわる、〜をいらだたせる
pastor 牧師、司祭
ally 盟友、同盟、見方


実際のミラーには妹がいました。halfwitの妹は南回帰線で登場するので、知っている人もいるかもしれません。ここではmy brotherとなっていますから、性別が逆転しています。以前、オルコットホテルについて調べた時に分ったことですが、実際にはOlcottではなく、Wolcottホテルだし、勤めていた電信会社の名前については言うまでもなく別の名前です。一見自伝的に見えるミラーの作品ですが、やはりこれは小説だということに留意しなくては何がなんだかわからなくなります。

So-and-soは何度か出てきてる、誰それという意味。old manは父のことです。文法的には楽ですねー。even more than は「〜もさることながら」こんなのを調べる時は英辞郎は便利ですねw 周囲の状況から考えると、ミラー自身がカソリックの友達にキモいと言ってる話(わが青春のともだち)もありましたし、彼の協会はプロテスタントなんでしょう。bowling allyはボーリングの会という意味で、allyという単語はアメリカの大学のサークルなんかでよく使われてますね。盟友会とかその手の言葉です。ここでは「ボーリングのつどい」としておきます。この話は南回帰線でも出てきたんですけど、そっちでも完全に馬鹿にしきってますw ここは知的障がいをちょっぴり負った弟を間抜け具合に神経を使うところです。be going toとwillの違いは、実際に準備を始めているのがbe going toのニュアンスの特徴でした。食事が冷めるという日本語の表現は感情や状況がこもっていていい表現なので、付加疑問文は逆転させ、「怒っていた」と付け加えることで苛立ちを表現してみました。


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弟はうすのろな男で「どこどこの司祭さまがヨーロッパへ行くんだって……どこどこの司祭さまはボーリングのつどいを始めるんだって」という間が抜けたことを言い、下手をすればH. W. ベンディックス以上に父の神経を逆なでにした。「『司祭さま』なんてただのクソだ。そんなことより、なんでジャガイモが冷めているんだ?」父はよくそんな風に怒っていた。


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母親


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My mother hadn’t the least idea what it meant to be kissing rich people’s backsides. ALL she knew how to do was to groan and lament all day, and with her groaning and lamenting she brought on the boozy breath and the potato dumplings grown cold. She got us so damned jumpy with her anxiety that we would choke on our own spittle, my brother and I.

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groan 唸る、うめく、唸り声のような声を出す
lament (声をあげて)悲しむ、嘆く、無く
potato dumplings ジャガイモ料理の一種。蒸したジャガイモの団子
damn 強く非難する、責める、とがめる<口>呪う
jumpy よく跳ねる、(話など)神経質な、びくびくして
anxiety 心配、不安、懸念
choke〜 〜をチョークする、〜を窒息させる、息が詰まる、窒息する
spittle ツバ、泡


さて、間があきましたが、父に続いて母が登場します。
飲んだくれの父の母とはどういう人物かというと、ミラーは常にかなり仮借のない批判を加えています。厳しい批判は終生続き、最晩年の「母」でようやく和解を得ていますが、この時点でも相当容赦ないw しかし、この容赦のなさを楽しめなければこの作家に接近できないでしょう。

最初のhadは動詞です。assじゃなくbacksidesになっているのは同じ言葉の繰り返しを避けるためと、若干柔らかい表現のためでしょう。groanとlamentに共通するのは、ふたつとも声をあげるというニュアンスです。なので「ウーウーうなりながら嘆く」とやっておきます。potato dumplingsはgoogle先生の本領発揮です。レシピを見ると茹でたジャガイモにタマネギや塩、コショウ、卵、バターを混ぜ、小麦粉をまぶし、沸騰した塩水で茹で上げるという料理でした。イメージとしてはマッシュポテトの一種ですね。肉入れて揚げればコロッケになりそうです。ここは分りやすさを優先し「茹でたジャガイモの団子」にします。

choke on our own spittleはgoogle先生に聞いたところ、あんまりない表現のようです。ourをher、his、myなどに変えて検索したところ、それぞれ数十件だけありました。つまりこれは古い時代の言い回しなんでしょう。だから、軽く流しておきます。anxietyは心配や不安という意味ですが、悪循環に陥っている母の心配ということで、「悩み」としておきます。brotherなんですが、これにはちょっとした小話もあるんですが、別の機会に。とりあえず弟としておきます。She got us so damned jumpyのところは、正直あんまりよくわからない。困ったときのgoogle先生で” damned jumpy”と調べてみると131件見つかり「とってもひどい」という意味のようです。damnedはムズいなあ。比喩をつかって、「豚みたいにイライラさせた」とやっておきましょうか。


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母は金持ちのケツの方にキスするという最悪のアイデアさえもっていなかった。彼女の知っていることといえば、一日中ウーウーうなりながら嘆くことだけだった。母が一日中そうやっていた結果は、泥酔した酒臭い息の男を家に運んでくるだけで、放っておかれた茹でたジャガイモの団子は冷めていった。母は悩みのあまり僕と弟を豚みたいにイライラさせたから、僕らは完全に息が詰まってしまった。

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